五 「霞の先に」


「これは一体何事か——弁明せよ、テネブレ。弁解ならばいらぬ」

 

 謁見宮中央、円卓を囲むように座らされた四名が、一斉に玉座を仰ぎ見る。びりびりと、五臓六腑が震えるような声を放った国主が、向かい合うように円卓正面に座した己が執政を見据えている。その全身から放たれる凄まじい圧が、場にいるすべての敵対者の肝を冷やしていた。

 ただひとり、問われた張本人を除いては。

 

 卓に両の肘をつき、唇の前で両手の指を組んだ鈍色の老人が、どこか焦点の合わない目で主を見上げた。足元からゆっくりと上がっていく視線が王のそれと交差した瞬間、吊り上がった両目の間にきつく皺が寄った。

 現執政、テネブレ・セクトールの重苦しい声が応える。

 

「少々……おかしなことが、続いておりましてな」

「おかしい?おかしいのは己の方だと思わぬのか。その両目、めしいておるわけではなかろう」

 

 目の前の異様な光景を暗に示しながら、隠すことなく嫌悪を言葉に乗せる。

 第一王子クラルスと、二人の王妃ミラとマリナ。そして、サフィラに代わり士長の座を預かったクラヴィア。四人の背後には、それぞれ異形の魔物がゆらりと立つ。王を玉座に縛り付けているのは、縄でも鎖でもなく、その異形達の存在だった。本来、知能を持たず本能にのみ従うとされる者達が今、人質を前に静かに次の指示を待っている。それだけでなく、他にも数えきれないほどの異形達が、次席派の近衛達と並び宮内の壁際を埋め尽くしている。彼らから発せられる腐臭が、清廉な内装と相反して一層胸を悪くさせる。魔物達は皆、一人の老人の顔色を窺い見ていた。

 王の威圧にも態度を変えず、どこか野鳥を思わせるような鋭い目付きで、テネブレがゆっくりと席を立った。

 

「王の役目とはひとえに、王であること。国の頂として、民の長として、ただそう居続けること、有り続けること。それだけにございます、陛下」

 

 慇懃な足取りで、執政は王の足元へ向かう。両手を広げ、膝を屈し玉座の下で跪くと、波打つ長髪が衣の裾と共に床に広がる。その鈍色の頭上に、その仕草を一蹴する声が降り注いだ。

 

「ふん。随分と回りくどい真似よ。答えになっておらん、はっきりと申せ。余に反旗を翻す者あり、その首謀者こそ己であると」

「陛下……陛下は何か、勘違いをしておられる。この老躯ろうく、陛下に取って代わろうなどとは夢にも思っておりませぬ。我等の願いは、祖国の安寧、ただそれだけにございます」

「ほう。その言葉で合点がいったわ。我が子レグロを取り巻く一連の愚行、その歪んだ愛国心故と釈明するのだな」

「陛下……」

 

 広げていた両手を下げ、執政が、主君を見据えるべく顔を上げる。

 その両目と口元は、気味が悪いほどに美しく、弧を描いていた。

 

「当然の事にございます。この国の行末を、真に思えばこそ……比べるべくもないでしょう?国と家族とでは」

 

 さも当然だと言うように放たれた言葉に、王の額に青筋が浮く。しかしそれも束の間、聞いていた誰もが肩を跳ねさせた。

 轟くような声で、王が笑い出したのだ。まるでおかしくて堪らないとでも言うように。

 

「ハハハハ!くだらん、実にくだらん!貴様がそれ程怯え震えていたとは知らなかったぞ、あんなくだらん伝承如きに!これほど大掛かりな茶番まで用意して、幼子一人の存在に振り回され、なんと滑稽なことよ!」

 

 尚も高く笑う、王の声。テネブレの顔に浮かべられていた笑みが、僅かに綻んだ。

 

「お言葉ですが陛下……陛下は何もご存知ない。それはとても幸せな事にございます。仰る通り、たかだか古い伝承など、恐るるに足らず。されど——」

 

 釣り上がった目が、不穏な輝きを帯びる。

 

「伝承などではなく、事実であったならば」

「……何を、言っている?」

「殿下は、数奇な宿命を背負っておられる。我々の悲願を、根底から覆してしまわれるほどの」

「ふざけたことを。あの小さな王子ひとり、一体どうやって国を滅ぼすと言うのだ」

 

 ざわり、テネブレの纒う空気に波風が立つ。しかしそれ以降口を閉ざしてしまった執政の様子を気にかけながら、王妃ミラは主君へと顔を向けた。

 愛する息子が、十年もの間男として接してきた我が子が、実は娘だったのだと聞かされた時の衝撃は、どれほどだったろう。正室として側に仕え続けた自分の口から告げられた真実に、それでも王は、動じた素振りを見せなかった。いや、見せられなかったのかもしれない。ただ一言、「そうか」と呟いた時の王の表情を、一生忘れることはできないだろう。たった今、娘を「王子」と呼称した声色を反芻しながら、そう思った。

 

「陛下、よろしいでしょうか?」

 

 唇を噛み締める妃の、右隣から声が上がる。「構わん」と答えた主君に、声の主が一つ頷く。発言の機会を見定めたように、クラヴィア・メンシズが凛と言葉を紡いだ。

 

わたくしが把握している範囲での発言になる事、ご容赦願います。一つ——私を含め、魔術士達は皆『メンシズ棟指令室にて待機』との命を受けておりました。城に居た者は例外なく、全員です。ご存知の通り、術士は皆天眼を備えておりますし、この異常事態です。城内の様子には、誰もが眼を光らせておりました。それなのに……」

 

 クラヴィアが、唇を引き結ぶ。穢らわしいものを見るように目元を歪ませ、居並ぶ魔物達を一瞥する。

 

「この異形達が、これほどの数の侵入者がいる事に、誰一人気付けなかった。それだけではありません。『その瞬間』を視たという者から、信じ難い事実を聞きました。いいえ、信じたくないと言った方が適切かしら——」

 

 クラヴィアが、深く息を吸う。

 

「……魔物達は城の地下から現れた、と、数人の部下達から報告を受けております。上空から飛来したものも僅かばかりいたようですが、大半は城の中に潜んでいたようだ、と」

 

 王族達が、一斉に息を飲んだ。互いに顔を見合わせる二人の王妃と、王子クラルス。強く拳を握った王が、クラヴィアに続きを促す。

 

「では我々は皆、いつからかは定かではないが——この異形どもと同じ空気を吸っていたと言うのだな」

「はい。ですが、それはおかしいのです陛下。多くの魔術士が日に何度も遠視とおみの眼を使うこの城において、これだけの数の魔物を匿っておくなど不可能です。異色のアニマの存在を、誰一人感知しなかったのは不自然で——」

「一人、いるではありませんか。それが可能であろう人物が」 

 

 クラヴィアの声を遮ったのは、沈黙していたテネブレの不穏な低音。玉座のまえに跪いたままだった老人が、ゆらりと立ち上がり円卓の方へ振り向いた。今度はクラヴィアの双眸と、交じり合った視線が火花を散らす。

 

「どういう意味です?可能な者などいませんわ。天眼が捉えるのは生物のアニマの色。物質の存在は無いものと同じです。例え何重にも秘された壁の向こうだろうと、深く暗い水の底だろうと、あの悍ましいアニマを覆い隠すことなど出来ません」

「そうかもしれませんな。今までは、の話だが」

「……何が言いたいのです」

「わかっておろうに……貴殿の義息、あれが散々持て囃されてきたのは、これまで不可能だと思われていた数々の事象を、現実のものとしてきたからであろう」

「なっ——」

 

 クラヴィアの瞳が、大きく見開かれる。すぐさま反論しようと乗り出した身を、テネブレの嘲るような声が席へと押し戻す。

 

「加えて、不完全とはいえ天眼も機能しているのだ。アニマの色を遮蔽する何らかの術を、編み出していたとしても不思議はなかろう?」

「馬鹿なことを言わないで!属性術はそんな都合のいい——使い勝手のいい道具ではないわ!それに、仮にそんな術が存在したとして、城に魔物を招き入れてあの子になんの得があると言うのです?これまでの功績だって、誰よりも国のためを思い、一人孤独に属性術と向き合い続けた結果です!貴方だって、ご存知ではないですか!だからこそ、罪人として名を出さずに捜索することを許可されたのでしょう?」

「真実など、重要ではないのだよ」

「……なんですって?」

 

 主君に背を向けていた執政が、再び身体の向きを変え玉座へと歩み寄って行く。一歩一歩、柔らかな土を踏み締めるように進むその背から、声高に一つの真実が告げられる。

 

「重要なのは……民が、信じるに足るか否か。ただそれだけよ。その為に最もらしい罪人を仕立て上げる必要があっただけのこと」

「……殿下を亡き者にし、その罪をサフィラに着せるつもりなのね」

「いかにも。もともと、どちらも目の上の瘤でしかなかったのだ。この機会に一掃してしまえるならば都合良い」

「しかしその企て、どうにも上手くはいっておらぬと見受けたが?」

 

 玉座から響いた声に、テネブレの歩みが止まる。鋭さを増した視線が、湿度を纏い王を見上げる。追撃をかけるように、再び国主が詰める。

 

「我が子レグロが異端の存在であり国に害成す者だとして、ならばなぜ秘密裏に始末しなかった?女であると分かった時点で手を下すことも出来ただろう……既に前例もあるのだ。それをこのように大事にし、余に刃を向けるまでに至った……これら全てがお主らの企てと申すか?国を滅ぼすと伝えられる王女だけならまだしも、救国の要である士長まで放逐しようとは……果たしてその行いのどこに、愛国の心があろうか」

 

 王の疑問に、クラヴィアが頷く。城に潜んでいた魔物の存在とは別に、クラヴィアが抱いていた、もう一つの疑念。

 

 なぜ、王女を暗殺しなかったのか。

 いや、出来なかったのではないか。

 

 先刻テネブレが発した「おかしなことが続いた」という言葉。そして、海鳴りの警報の直後。執政は、孫であり共犯者と見られるザインを、すぐにある場所へと向かわせていた。まるで、何事も起きてはいないと、その様子を確かめさせるかのように。

 

 これら全て、敵の内部に亀裂があるのだとすれば、辻褄が合ってしまう。

 

 王の声が、核心へと手を伸ばす。

 

「テネブレよ。お前達の……セクトールの、真の望みは何だ」

 

 謁見宮の中にある、全ての目、全ての心が、執政へと注がれる。

 

 鈍色の老人の乾いた唇が、歌うように答えを紡いだ。

 

「この世で最も幸せなこと、それは何も知らぬこと。我等がのぞみはただひとつ……静かなる腐敗、静かなる最期にございます、陛下」

 

 

 

 

 

 ぽつりぽつりと、頭上から雫が滴る。降り止まぬ雨に侵された屋根材から、一定の間隔で水滴が垂れる。滴った一粒が、睨み合う二人の男の片方の背へと落ちた。

 きらり。抜き身の斧剣の刃を、雫が伝い落ちていく。

 

 雫が刃を離れる瞬間、得物を背負った男が快活な声をあげた。

 

「よお、ザイン。ちょうど話したいと思ってたところだ」

 

 名を呼ばれた方の男は、暗がりに佇み、鼻から上に影が落ちている。かろうじてはっきりと見えている色の薄い口唇が、微かな灯りに照らされ緩やかに弧を描いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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