三 「思わぬ助っ人」

 

「さて、どうしたものかね」

 

 途方に暮れる、とは正にこういう状況を言うのだろう。お互いにとって見慣れたはずの空間に、二人はよそよそしく迎えられている。門番を処理したマグナスとサフィラがメンシズ棟へ辿り着くと、そこはもぬけの殻だった。

 

 門前でサフィラの天眼が捉えたという魔物の影は、城の中央部に偏っていた。人のアニマの数も、バラけてはいるが何箇所かにまとまっているように視えると、眼を凝らした士長は顔面蒼白で告げた。だから予感はしていたが、彼の敬愛する母親の姿も、信頼のおける部下や恩師の姿も、彼らの領域には見当たらなかった。療養室の様子を確認したマグナスが、思案顔で顎に手を当てた。

 

「ナトゥラもいない、か……この感じじゃあ、味方に引き入れられそうな人間を個別に当たるのは無理だな。お前が視た通りなら、魔物の侵入って線も薄い。それだけの数がいて戦闘が起きてない以上、誰かに指揮されて、統率がとられてる可能性が高い。まったく、何が起きてんだよ」

「……っ」

 

 ごん、と、鈍い音が鳴る。日頃グリモアを繰る魔術士長の拳が、今は白い内壁に打ち当てられている。

 

「なぜ……気付けなかった……!」

 

 声に、悔しさが滲む。全く同じ台詞を、今しがたマグナスも思い浮かべた所だ。だが、沸き起こる感情だけが、友のそれとは少し違っている。

 

「俺も不思議なんだよな。殿下に刺客が差し向けられた事から始まって、今や城が魔物に占拠されてる。俺やお前が不在の間に、な。たった一日の間に、だぞ?ここまで大掛かりな事が、一日二日で成し遂げられるはずがねえ。いつからかは知らねえが、着々と準備が進められてたのは間違いない。関わってる人間だって、一人二人じゃないだろう。ドゥークの爺は敵と見て間違いねえ、おまけにザインも怪しい。俺達や陛下の目を欺いて、よくもここまでやったもんだぜ」

「感心している場合か!近衛も術士も、どれだけの数が敵側についているか分からないんだぞ!早く陛下や……母様を探さないと——」

 

 早口で捲し立てる声が、不意に止まる。思案していたマグナスが様子を伺うと、サフィラは壁に片手をついたまま、もう片方の手で額を押さえ俯いている。常ならば頭の後ろに結われている横髪が、顔を覆い隠すように長く垂れている。

 

「まさか……」

 

 絞り出すような声が、髪の隙間から漏れる。

 

「殿下は……利用されたのか?だとしたらもう……」

「おいおい——」

 

 戦友の言わんとすることを察し、項垂れるその肩を支える。城の現状を見たマグナス自身、その可能性は十分にあり得ると思えた。

 

 謀反。

 

 今回の企てがそれであるならば、すでに王宮の占拠にまで成功している。ならば、太子ではない上、不吉な伝承を持つ異端の王女など、早々に排してしまいたいはずだ。現に、ドゥークは脇目も振らずロイドの雨具屋へ向かった。

 だが、と、マグナスは一人口角を上げる。主の不在を狙ったのだろうが、ドゥークの目論見は失敗に終わっているだろう。

 

「殿下のことは心配するな、ロイドがいる」

「間に合っていればの話だろう!それに、あの人が前線を退いて何年経つと——」

「だから、心配ねえよ。全く鈍ってなかったぞ、あいつ。さすがに持久戦になれば厳しいだろうけどな」

「……どうだか」

「まあ、ドゥークじゃ勝てねえよ。あの身体能力、それに瞬発力と判断力——血は争えないってことかね」

「……私に聞くな」

「ハハ」

 

 サフィラが顔を顰めたのを確認し、マグナスはその背中をぽんと叩いた。あれこれ考えたり落ち込んだりしているより、不機嫌な時の方が、この戦友は調子が良いのだ。

 

「あ、お前まで武闘派にはなってくれるなよ?俺の立場がなくなる」

「ふん、心にもないことを」

 

 悪態をつき背筋を正したサフィラが、遠くを見るように目を細める。

 

「ここでじっとしている訳にはいかない。もう一度『眼』を使う……アニマの集まっている場所をしらみつぶしに探すしかない」

「それは賛成しかねるな」

 

 マグナスが、即座に返す。

 

「お前の遠視とおみじゃ個の違いまでは判別できねえんだろ?魔物は避けて通れたとして、向かった先のアニマが敵側の人間だったらどうする」

「黙らせるしかないだろう。他に方法がない……それに、私達が戻っていることなどすぐに知られるぞ。まとまって来られるより、ある程度バラけているうちに奇襲をかける方が——」

「敵側に人質がいたら?」

「……」

 

 両者、胸の前で腕を組んだ。

 

 事態の全容は見えず、打開策を練るための時間もない。いっそのこと、危険は承知で火に飛び込むべきか。そんな乱暴な考えが二人の頭を過ったその時、静まり返っていた室内に物音が響いた。カタン、と、何か小さな物が床に落ちたような音が、部屋の隅から聞こえた。

 

「!」

「誰だ!」

 

 瞬時に臨戦体勢をとったマグナスが、一番奥のベッドと壁との隙間、僅かな暗がりへ声を張る。小さく息を呑むような音の後、そろそろと両手を上げながら立ち上がったその姿に、二人は得物に伸ばしていた手を下ろした。

 

「きみは……ルーナ!どうしてここに?」

 

 現れたのは、青白い顔をした栗色の髪の少女。雨具屋の双子と同じぐらいの歳に見える。片手にグリモア、もう片方の手には万年筆。さっき音を立てたのは、どうやら後者のようだった。サフィラが駆け寄ると、安心したのか、蒼白な顔をくしゃりと歪めた。髪と同じく淡い栗色をした瞳に、天眼の光輪が輝いている。

 

「士長!ああ、私……どうしたらいいか分からなくて……私一人じゃ、戦えなくて……お願いします、どうか、父さんと母さんを助けてください!」

「落ち着け、嬢ちゃん。先生や……他の術士達は無事なんだな?」

 

 マグナスの問いに、少女は「わからない」と呟くと、堰を切ったように泣き出してしまった。

 少女の名はルーナ。サフィラ達兄弟の敎育担当だった魔術士、ファヴラーの一人娘であり、彼女もまた天眼と魔力を保持している。育成所に通っている頃から人一倍臆病で、他の同期生達が皆術士となった今でも、見習いを卒業できずにいる。厳格な母からは手酷く叱られることも多いようで、その度に塞ぎ込んでしまうのを父は気にかけていると聞いた。

 術士達は一人前と認められると、王宮魔術士の証である白の魔装と、メンシズ棟の隊舎に個人の居室が支給される。ルーナの場合、両親ともに王宮居住者ではあるものの、当人が見習いのままであることや、他の術士との折り合いの悪さから、父方の生家に身を寄せていた。

 冷めざめと涙を溢しながら、ルーナは声を絞り出し語り始めた。

 

「今朝、城から伝令が来たんです、今日の従事は中止だって。だから、家にいたんです。一日中、ずっと目の奥が痛くて、それで、夜になったら天眼しか開かなくなって。城に、魔物がいるのが視えたんです、それもたくさん!父さん達に何かあったらと思って、こっそり来てみたら、母さんにここに隠されて、その後すぐ、たくさん足音が聞こえて、言い争う声がして、赤いアニマがそこらじゅうに……気付いたら誰もいなくなってて、私は……怖くて、動けなくて……どうしよう、母さんと父さんを、助けに行かないと!」

「話してくれてありがとう、ルーナ。ご両親は必ず見つけ出す。だから落ち着いて答えて欲しい、きみは今朝からの騒動について、何か知っているか?」

「騒動……?ごめんなさい、私、何のことだか……おかしいと感じたのは、夜になってから『眼』が勝手に開いたからで……こんなこと、今までなかったから……」

 

 城の外にいたルーナは、王子誘拐事件も、士長がその手配人となっていることも知らないようだった。話しているうちに少し落ち着いてきたのか、涙の引いた眼できょろきょろと視線を彷徨わせている。

 いくら上司であるとは言え、見習いと長では関係値は薄いはずだ。変装を施したサフィラを迷いなく「士長」と呼んだことを、マグナスは疑問に思った。少女の眼を彩る光輪が一際輝く。

 

「なあ、ルーナ嬢。あんた今も、『アニマしか見えてない』のか?」

 

 質問の意図が分からず疑問符を浮かべた少女に、更に問う。

 

「俺達のアニマだけを見て、俺とサフィラだと分かったのか?」

 

 マグナスの深意に気付いたサフィラが、目を見開く。ルーナは小さく頷き、答えを返した。

 

「?は、はい、そうです。隠れてる間、話し声も聞こえてたから、お二人だろうとは、思いましたけど……」

 

 尻すぼみに答えながら、二人を交互に視るルーナ。その碧に光る瞳を見つめたサフィラとマグナスが、顔を見合わせる。金眼を細め、マグナスが微笑んだ。

 

「天啓得たり、だな」

 

 

 

 

 

 

 

 

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