二 「二翼の帰還」


 ロイドの雨具屋が位置する東区から王宮までは、歩き通しでおよそ四半日かかる。城が聳える北西区は区の大半を「登城通り」と呼ばれる坂道が占めており、この長く緩やかな道を行き来するのに、車屋が好んで利用された。城には兵車の他にも紋入りの馬車が常駐し、降り続く雨に乗客を濡らすことなく目的地へ運ぶ。

 城へと急ぐマグナスとサフィラも、黒薔薇紋の車で登城通りを進んでいた。

 

 上水路街から表通りへ出てすぐの路肩で、馬車が往路の乗客であるマグナスを待っていた。利用時に賃金のやり取りをしない濡羽色の車は、王宮関係者しか利用することができない。乗り込み、登城通りへ差し掛かる手前で、二人は海鳴りの警報を聞いた。怯える馬をなんとか落ち着かせ、同じく不安げな顔の御者に速度を上げるよう促す。車内には緊張感が満ちていた。

 徐に、懐から捕縛用の縄を取り出したマグナスが、窓の外へ視線をやる。進行方向右手側に、城を囲む外壁が見えてきている。城内から漏れる明かりに、薄く雪化粧を纏った石壁が白く浮かび上がっている。

 

「四頭立てにして正解だったな。さっきの警報、間違いなく城で何か起きてる。これでも遅いぐらいだ」

「ならお前だけ降りて走ったらどうだ。馬の負担もだいぶ減る」

「馬より、お前の口は減らせないもんかね。切り替えろよ、作戦会議すんぞ」

 

 車内対角に座るサフィラに、身体を横に向けるよう促す。身を乗り出し、背中側、腰の辺りに両手を集め、捕縛縄を当てる。

 

「本来なら今日の当直は次席隊だったが、ナトゥラが重症だったことで三席隊が連番してる。頭が動ける隊を捜索に出すために、俺が指示した。あいつの部下なら、面倒な詮索されることもないはずだ。番兵に話を通して、まずはメンシズ棟へ向かう。ロイドが居れば話は早いが、どう転ぶかわからんからな。協力者が要る。それから、すぐにクラヴィア小母おばさんと会って、例の本を回収する。女神の欠片を探す上で、手がかりになるかもしれないからな」


 マグナスの言葉を、サフィラは静かに聞いている。その両手を、手の甲を合わせた状態で一つに縛り終えると、マグナスは元の位置に座り直した。「軽く引っ張れば外れる」と縄の状態を知らせると、サフィラも正面に向き直る。


「協力者はどう選ぶ?近衛同様、私の部下達も一枚岩ではない。事の詳細を伝えられない以上、見つかれば罪人として対処される可能性も——」

「そう自分を卑下すんなよ。お前の功績を称えて、慕ってる奴らだって大勢いるだろ。もし駄目でも、小母さんと先生は絶対味方になってくれる。それだけで百人力だろ?」

「……そうだな」

 

 不安げに、視線が窓の外へと向けられる。城壁はもう目の前だ。気合いを入れるようにマグナスが肩を回した時、車体が大きく揺れた。前方から嘶きが聞こえ、車の進行が止まる。馬達の鳴声と蹄鉄を踏み鳴らす音、慌てる御者の声が薄闇の中に響いている。

 

「今度は何だ」

「馬が怯えてるな……御者と話してくる。乗ってろ」

 

 マグナスが車を降り、懸命に手綱を引く御者に声をかける。馬が進もうとしない、何かに酷く怯えているようだが理由がわからないと、御者は言う。通い慣れた道なのに、と、御者自身も狼狽えているようだった。もう、城門は目と鼻の先だ。

 

「仕方ない。引き返して、近場の駐留所を使え。馬が休めたら、折を見て城へ戻ってくれ。悪いな」

「とんでもない!どうかお気をつけて」

 

 片方の手を雨衣の庇に当て、御者が深く頭を下げる。返答代わりに軽く片手を上げたマグナスは、城門前、左右に別れて陣取る番兵を見つめる。その眉間に、僅かに皺が寄った。乗車したままのサフィラに降りるよう声をかける。偽装とはいえ両手を縛られているため動きづらそうなのをいいことに、降車を手伝うふりをして耳元に口を寄せた。二人の番兵は、その場から動くことなくこちらを見据えている。

 

「聞け。作戦変更だ」

 

 小声で囁かれた言葉に、括られた両手に力が入った。二人が数歩距離をとったのを確認すると、御者が手綱を引くより先に、我先にと馬達が方向を変える。一目散に城門に背を向けた車は、夜闇に紛れてあっという間に見えなくなった。

 捕えられた罪人とその連行者を装いながら、二人は城門へと歩き始めた。微動だにしない番兵達を睨みながら、マグナスが続ける。

 

「……ドゥークの部下だ」

「何?どういうことだ」

「さあな。俺が城を出る前、先にドゥークが街へ降りたこと、ナトゥラが療養室にいるのは確認した。俺が居ない間に指示系統に横槍が入ったらしいな」

「……どうする?」

 

 マグナスが答えるより先に、番兵の一人が声を張った。

 

「お二人、別々にこちらへ」

 

 ここで事を荒立て、分断されては元も子もない。一旦従うフリをするべきかと、サフィラは半歩背後に立つマグナスへ視線を投げる。小さく、端的な返答が聞こえた。

 

「一秒で、落とせるか?」

 

 短い問いだが、戦友の意図を汲むには充分だった。倣い、簡潔に返す。

 

「無理だな」

「だよな。何でもいい、一瞬、注意をそらせ。二秒で二人落とす」

「——了解」

 

 近衛の長は、仲間を呼ばれる前に、番兵を戦闘不能にするつもりらしい。

 

 

 

 

 

「緊急時のため申し訳ありません、総長」

「訳あって、我々がこの場を引き継ぎました。お伝えする前にお出かけでしたので」

 

 門前、左右に分かれて立っている番兵の前に、マグナスとサフィラはそれぞれ相対した。それらしい事を並べ立てる、一応は部下であるはずの二人の近衛に、長である男の茶化すような声が飛ぶ。

 

「訳、ねえ」

 

 マグナスが城を出たのは、彼らの直属の上司であるドゥークよりも後だ。彼らが指示を受けた段階で城にいたはずの総長じぶんに、配置替えの伝達はされていない。彼らの発言は、どう見ても黒だ。

 いよいよ信頼関係が崩れ去った先代への追及は後程として、深く息を吸い、目の前の番兵への対処に全神経を集中させる。

 

「手配犯を見つけて、こうして連行した。それだけだ。怪しまれるようなことかね」

 

 両手を大袈裟に上げ、武器を持っていないことを伝える。サフィラの方の番兵も、背後に回り両手の拘束を確認した。

 

「存じております。総長を疑うはずもありませんが、お二人はご友人でいらっしゃいますので——」

「だから?そんなに信用出来ないなら、本人かどうか確かめてみたらどうだ?」

 

 嘲笑まじりに吐き出した言葉に、二人の番兵が顔を見合わせ、頷く。再び手配犯の正面に回った番兵が、雨衣のフードに手をかける。その下から現れた「黄金色」の頭に、二人の表情が凍った。

 

「えっ!?」

「別人?いや——!」

 

 見慣れた髪の色ではないが、顔立ちと瞳の色でわかる。渦中の人物である、魔術士長その人で間違いない。面食らっている番兵の前で、さらに目を見張る事が起きた。

 

「なっ!?」

 

 士長が、片手をひらひらと自分に向けて振っている。もう片方の手には、縛っていたはずの縄が握られている。

 拘束されていたはずの両手が、いつの間にか自由になっている。

 

「よし、二秒」

 

 意識を手放す直前、背後から声が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

「三秒」

「は?二秒だろ」

 

 気を失い倒れ込んだ番兵達を運びながら、言い合う二人。

 ロイドが施したサフィラの変装で、番兵に一瞬の隙が生まれた。その一瞬を、この国最強の男が見逃すはずもなく。自分の目の前にいた方を鳩尾への一撃で気絶させると、すぐさまもう一人の背後へ跳んだ。罪人の拘束が解けていることに驚いた顔のまま、首への一撃でもう一人もあっけなく沈んだ。通常、どれほどの熟練者であっても、人を殺さずに失神させるのは難しいと聞く。それをこうもあっさり、それも一度に二人、わけもなくやってのけるのだから恐ろしい。

 城門から入ってすぐ、城壁内に設けられた守衛室へ、番兵を運び込む。他に、人影は見当たらなかった。それどころか、人の気配一つしないのが、異様さを際立たせている。朝からの異常事態、加えて先刻の警報。深夜とはいえ、城がこれほど静まり返っているのは不自然だった。サフィラを連行するていでメンシズ棟へ向かうというマグナスの案が白紙になってしまった以上、作戦を練り直す必要がある。状況を把握するため、遠視とおみの眼を開いたサフィラが息を飲んだ。

 

「これは……一体どう言うことだ」

「——何が視える」

 

 動揺したように片手で口元を覆った戦友の様子に、マグナスの眉間に皺が寄る。自分の天眼でははっきりとした数まではわからない、と前置きした上で、サフィラは城の中枢の方角を睨んだ。淡い碧の口輪に彩られた瞳が、細められる。

 

「城内に……魔物がいる!それも、一体や二体じゃない——大軍だ!」

「!……おいおい」

 

 同じ方向を見据えたマグナスの背中を、嫌な汗が伝う。勘弁してくれよ、と吐き出した微かな声は、薄く積もった雪に吸われて消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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