三章

一 「王の心、父の役目」


 雨の国最北西に聳える王宮は、国土の最も高地、街の全てを見下ろす場所にある。侵入者を拒むように城をぐるりと囲む、その高い外壁の中。増改築を繰り返したことで大小様々な棟が乱立し、数年暮らした者でも内部の全てを把握することは不可能だと言われる、広大な土地。その最も中心部に位置するのが、謁見宮と呼ばれる一つの独立した棟である。他の棟と繋がる回廊に周囲を囲まれ、回廊と謁見宮の間には中庭が陣取っている。回廊から伸びた緩やかな階段のみが、宮へと繋がる唯一の出入り口となる。一般的な聖堂ほどの広さがあり、民への披露が不要な官吏の任命の儀などは、ここで執り行われる。同時に、高い機密性を誇る建物として、絶対に外部に漏れ伝わってはいけない、国事の会合の場となっていた。

 階段を上り切った先、二本の円柱に支えられた庇屋根の下。精巧なレリーフに彩られた両開きの扉が、重々しい音とともに開いた。雪の舞う夜の寒空の下、扉に負けず劣らず重苦しい顔をした官吏達が、階段を下ってくる。その流れに逆らいながら、一人の兵が扉をくぐり、謁見宮へ入る。階段下で出入りを見張る役目をしていた、近衛の青年だった。

 謁見の間のみで構成されたこの建物は、天井の高い大広間に、常であれば段上の玉座だけが鎮座している。それが今は、部屋の中央に円卓と座席が整然と並べられていた。

 淀みなく歩く近衛の青年が目を遣ると、誰もいなくなった円卓の先、一段高い位置に設けられた玉座の上に、片手で額を押さえ俯く主君の姿があった。狼狽したその姿に内心動揺しながらも、青年は階段の下で跪いた。

 

「お疲れのところ失礼いたします、陛下」

 

 掛けられた声に顔をあげることなく、王は先を促す。

 

「構わん。用件を話せ」

 

 威厳が萎んでしまったかのようなその声に青年は一瞬躊躇したが、背後に感じる視線に腹を括る。

 

「お目通り願いたい、と」

 

 いまだ顔を上げない主君の声に、険が乗る。

 

「指示あるまで何人たりとも通さぬことと、命じたはずだが」

「心得ております。ですが……」

「はっきりと申せ」

「……クラルス殿下です」

 

 その言葉に、はっと王が顔を上げた。

 目線を下げたままの青年の後方、両開きの扉の左側だけが開け放たれ、一人の若者がこちらを見つめている。返答を待つことなく、若者はそのまま玉座へ歩み寄ってくる。痺れを切らしたように大股で進むその足音に気付き、近衛の青年は若者へ場を譲った。

 段上の王を見つめながら、若者はよく通る声で問いかけた。後頭部でしっかりと纏められた髪が、若馬の尾のように揺れる。

 

「陛下——父上!これは一体どういうことです!」

「……クラルス」

 

 諭すように、静かに名を呼ぶ。

 自身と同じ、溶けた闇のような黒い髪と、黒い瞳。意志の強さを宿した鋭い視線は、それすらも己の血を引く者の証なのだと思えた。もうこれ以上は無いと思っていた疲れが、増して押し寄せる。今ここで、押し問答になるのは避けたい。そんな父王の心中を察しているのか、それでも引けないとばかりに王子は詰め寄る。

 

「一日——丸一日も、なぜ手を拱いておいでなのです!?どんな理由で、表立って弟を探さずにいるのですか!?こうしている間にも彼の身に危険が迫っているかもしれないというのに、なぜ——」

「落ち着け、我が息子よ。今まさに、こうして協議を重ねている最中だ。名を出さず行方を探しているのも故あってのこと、お前が気に病む必要はない」

「協議など、なぜ必要なのです!これほど長い時間をかけて、決められぬようなことなのですか!?連れ去ったのは士長だと耳にしました。彼の力は強力です。動機はわかりませんが、早く見つけないと取り返しのつかない事態になる可能性も!」

「……もうよい、クラルス。母の元へ戻れ」

 

 必死の訴えにも取り合わない様子の王に、王子は深く息を吐いた。

 

「あの噂は、本当なのですか」

「……」

 

 何を言うつもりかと、王が息子を睨む。王子は一度、近くに控えたままの近衛の様子を伺ったが、構わずそのまま続けた。謁見宮の警備役を任されるほどの者なら、この先の話も当然知っていよう。

 

「弟が、レグロが……女だというのは」

「……」

「それが仮に本当だとして、公にすることに何の不都合があるのです?あの髪と目は紛れもない王家の血を引く者、父上の子であるのは間違いないはずです。王家にかかっていると言われる呪い、それ自体を否定する存在にもなり得る。むしろ喜ばしいことではないですか!」

 

 声を荒らげる息子の顔を、王はじっと見つめた。

 縋るように見つめる瞳は、純粋にレグロの身を案じている。叶うことなら自ら捜索に加わりたいと、事態を把握するなり申し入れてきたくらいだ。やや短絡的で感情に流されやすいのが玉に瑕だが、思慮深いが内に篭りやすい弟と二人、足りない部分を補いあっていけるものと信じていた。

 

 先に生まれた側室の子、クラルス。一妃制であった王家では前代未聞の、二人目の王妃との間に生まれた長子。両妃ともに合意で、次期国王の座を担う太子として育った。後に生まれた正室の子、レグロは、子が出来ないと思われていた一人目の王妃、ミラとの間に生を受けた。それはまるで、奇跡のように。呪われし王家に生まれるはずのない、「二人目」。そして今、クラルスが告げた噂も、真実である。およそ十年、息子として接してきた王子が、実は娘だったのだと、妃の口から聞かされた時、雷に打たれたかのような衝撃を受けた。何も知らない兄は「呪いの終わりを告げる喜ばしい存在」と捉えたようだが、現実は違う。

 

 それは、それだけは、あってはならなかったのだ。

 破滅をもたらす女王の到来、その伝承に怯える、ディウィティア王家にとっては。

 

「クラルス、聞け」

 

 父王の毅然とした声に、王子は背筋を正した。

 

「今はお前に、これ以上話すことはできない。だが、約束しよう。時が来たら、必ずお前に全てを話すと。レグロのことも、必ず無事に連れ戻すと誓う。あの子にとって、そしてこの国にとって、一番安全な形でな」

「父上……」

 

 王の言葉の意味を、完全に理解できはしなかった。それでも、父が約束や誓いといった言葉を軽々しく使わないことは、誰よりもよく知っている。溜飲が下がった様子で頷いた息子に、父王は姿勢を楽にしながら、咳払いを一つ、砕けた口調で話し始めた。

 

「ここまでは王としての言葉、そしてここから先は、一介の父親としての独り言なんだが——」

 

 ちらりと近衛に目配せすると、心得たように一礼し、再び持ち場へと戻り始めた。ある程度その背中が遠ざかってから、王は言葉を続けた。

 

「こんな先の見えない協議など捨て置いて、今すぐあの子を探しに城を飛び出したい!!」

「……え?」

 

 いきなり大声で心中を吐露した父王イーオンの姿に、クラルスは驚いて目を丸くした。王の告白は続く。

 

「この真冬の空の下、我が子がどこぞで怯え凍えているやもしれんというのに、何もしてやれぬ男の何が父か、なんと不甲斐ない!」

 

 溜め込んでいたものを全て吐き出すようにため息をつく。共感したのか、唇を噛み拳を握る息子へ、少しおどけて見せる。

 

「だが残念なことに、城を飛び出したところで恐らく余はなんの役にも立たぬ。街を一人で歩いたことすらないのだから。それどころか、帰り道がわからず、この歳で迷子とやらになるやもしれん」

「父上、それは——」

 

 憚るように「そうかもしれませんが」と続いたクラルスの声に、親子揃って小さく笑う。幾分纏う空気の和らいだ王子へ、王は愛情を込めて言葉を紡ぐ。

 

「クラルス、我が息子。お前とマリナには苦労をかけたな。今まで余に尽くしてくれたこと、心から感謝している。最初に、余に父となる喜びをくれたのはお前達だ。心無い言葉や好奇の目に晒されることもあったろう。それでも、こうして立派に育ってくれた。お前達は私の誇りであり、そして大切な家族だ。そしてそれは、行方の知れないもう一人の我が子とて同じこと。家族を守れん男に、国を守れはしまいよ。父として、王として、此度の困難、必ずや乗り越えて見せよう」

「——!はい、父上!」

 

 流麗な動作で一礼した王子に、自室へ戻るよう促す。去っていく後ろ姿を見送りながら、玉座の背もたれに頭を預けた。城から姿を消した二人の捜索は、夜間も近衛と各地警備隊が連携をとり、交代で絶えず行ってくれる手筈になっている。出来ることなら、自身も夜通し動いてはいたかったが、夜明け前から一日中酷使した頭も身体も、限界を訴えている。一度、休んだ方がいいかもしれない。クラルスが見えなくなってから、自身も部屋へ戻ろう。そう決めて、天井を仰ぐ。

 今度こそ、誰にも聞かせる予定のない、本当の独り言を、小さく吐き出した。

 

「お前にとって、余は信じるに足る王ではなかったのだな……ミラ」

「ご本人に直接聞かれては?」

「!?」

 

 背後から、突如気配が現れた。

 独り言に返事が来たことに驚くより早く、喉元に冷たい感触が押し当てられる。護身術の指南や剣術の稽古で、何度も味わった感覚。首に、刃物を添えられている。頭も固定されてしまっている。首から下は自由だが、この状況では、抵抗するより早く喉を裂かれるだろう。眼球以外、動かすことができない。

 よく知る、聞き慣れた声だった。その声の持ち主が、これほど刃物の扱いに長けているとは知らなかったが。

 

「なんの真似だ……ザイン」

「さすがは陛下、落ち着いていらっしゃる」

 

 抑揚のない、温度を感じられない声色。次期執政官、ザイン・セクトールの物だ。出入り口を見張っている二人の近衛には、官吏以外誰も通すなと命じてある。この男も例外ではない。なぜここに居て、そしてなぜ王に刃を向けているのか。再度問うべく口を開きかけたとき、両開きの扉が開け放たれた。扉のすぐ側まで来ていたクラルスが、その場に固まる。扉の外、庇の下に、さっき出て行った近衛の青年がうつ伏せに倒れている。すぐ横に、もう一人の見張り役も転がっている。二人とも、血溜まりの上に横たわっていた。

 

「なっ——!?」

 

 息を飲み後ずさったクラルスの眼前に、さらに驚くべき光景が広がる。

 

 庇の下に、魔物がいる。それだけでない。左右に分かれ、綺麗に整列しているのだ。悍ましい姿を灯りの下に晒しながら、道を開けるように、整然と。どうやら、魔物の列は階段まで続いているようで、その先の回廊までは視界に入らないが、かなりの数であることは間違いない。

 異常事態と息子の危機を察した王の全身に力が入る。同時に、ザインは顔色ひとつ変えず王の喉に刃を食い込ませた。一瞬の焼けるような痛みの後、薄く一筋、王の首に血の色が浮いた。

 

「貴様——!」

「動かないで。これ以上血を流したくないでしょう」

 

 その場から動けずにいるクラルスの耳に、数人の足音が響いてきた。騒つく魔物の隊列の間を通って、人影が現れる。もう一度、王子が驚愕の声を上げた。

 

「そんな——母上!?」

「ああ、クラルス!無事だったのね!」

 

 腕を縛られ背中を押されながら、二人の王妃と、前魔術士長クラヴィア・メンシズが連行されてきた。彼女らを拘束している者達も、近衛の兵装を身につけている。その内の一人がクラルスに近付き、「失礼します」と一言告げると、王妃らと同じように両腕を拘束した。玉座に座る王の首筋に血が流れているのに気付いた王妃ミラが、小さく悲鳴を上げた。

 

「陛下!!」

「落ち着け、ミラ。大事ない」


 喉を圧迫されながらも、妃らを動揺させまいと王は声を張った。

 近衛に促され、中央に置かれた円卓を囲む座席へ、四人は間隔を空けて着席させられた。四人が席につくと、それぞれの後ろへ、一体ずつ魔物が陣取る。それを確認すると、ザインは王の首に当てていた刃物をおろした。大きく息を吸いながら、王は自由になった頭の向きを変え思い切りザインを睨んだ。

 今度は、王自身ではなく、王妃と王子を人質とするらしい。クラヴィアが連れてこられたのは、王家の事情を知っているためだろうと推測した。喉元の刃はなくなったが、妙な動きをすれば、彼らの背後に控えた魔物が、刃の役目を担うことになる。

 

 誰もが固唾を飲む中、開け放たれた扉から、最後の入場者が姿を現した。

 

「手間をかけさせおって……ようやく、お集まりいただけたようだな。抜かりはないな、ザイン」

「はい」

 

 その姿を認めたクラヴィアが、苦々しげに呟いた。

 

「……テネブレ卿——!」

 

 全員の視線が、執政テネブレ・セクトールに刺さる。彼の後に続き、外に整列していた魔物達が、ぞろぞろと建物の中へ入ってくる。そのまま壁際に、また同じように綺麗に整列した。本来の本能剥き出しの様は、一切見られない。それがかえって不気味だった。一体残らず室内に整列したのを見届けると、近衛の一人が扉を閉めた。

 

 その時、城内に鐘の音が響き渡った。突然の大きな音に、円卓を囲う四人の肩が跳ねる。

 

「警報だわ……海鳴りの」

「ええ」

 

 王妃二人が、訝しむように視線を交わす。誰もが聞き慣れた鐘の音だが、これが鳴る前には必ず、地響きのような轟音が、時空海の果てから響く。どの方角からの敵襲かによって聞こえる方向や音の大きさに違いはあるが、今のように海が鳴らずに警報が発せられることは、通常あり得ない。

 不可解な鐘の音に誰もが眉根を寄せる中、誰よりも過敏に反応を示したのは、テネブレだった。眼光鋭く、玉座の横に立つ孫を睨む。

 

「これはお前の仕業か、ザイン」

「私は、何も」

 

 問われた当人は相変わらず無表情のまま、問いかけた祖父を見ている。その瞳の中に、火の粉を散らす真っ赤な炎が瞬いたことに、誰一人気づく者はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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