十五 「狼煙」


 

 人は怒りの感情が表に出る時、本性もまた同時に顔を出すものだと、失踪前の母親が呟いていた。ジェンとミーニアは、この時初めてロイドのそれを目の当たりにした。

 

「……」

 

 体勢を立て直し猫の魔物の前にしゃがむドゥークを、ロイドはただじっと見つめている。瞬きも、もしかすると呼吸さえもしていないのではないかと疑うほど、まるで彫像のようにその場に立っていた。

 一方のドゥークは、床に転がる魔物の首筋を探ると、そのまま両手で捻り上げた。不快な音と共に頚椎が曲がり、力無く横たわった体が末端から灰になっていく。ジェンが顔を顰め、ミーニアは視線を逸らした。もう一体、吹き飛ばされたドアの下敷きになっている虫の魔物にも、ドゥークは同じように「後始末」を施した。その間も、ロイドは一言も発しないまま老兵を睨んでいた。

 後始末を終えたドゥークが、ロイドを挑発する。

 

「久しぶりだなあ、オルニトの息子。この有様見て、何も言いたいこと無えのか、ええ?大事な大事なガキ二人、もう少しでお陀仏だったんだぞ?」

「……」

「マグナスの小僧も役に立たねえなあ。足止めも出来ねえのかよ。それとも、お前が勝ったのか?ああ、違うな、弟がいねえ。血の繋がった家族は引き渡して、こっちで家族ごっこしに戻って来たのか?母親も兄弟も、裏切られて可哀想になあ。そういうとこまで、父親そっくりだ。ッハハ!」

「……言いたいことはそれだけか」

「何?」

 

 今度は、ドゥークがロイドを睨んだ。眼帯の上に、横に、皺とは違う筋が浮かぶ。

 

「あんたは、俺には勝てない。城に帰れ」

「……何だと?」

「殺したくない。帰れ」

「この——!てめえこそ、言いたいことはそれだけか、ああ!?」

 

 低く、端的に言い放ったロイドに、老兵は怒りを隠すことなく再び武器を向けた。すぐにでも飛び掛かりそうな相手に、それでもロイドは動かないでいる。

 

 俄かに、通りがざわつき始めた。外は静かな雪の夜、続いた騒音を気にしてか、近隣住人と思しき人影が数人、遠巻きに様子を伺っている。その内の一人が、恐る恐るといった表情で事務所の中を覗き込んだ。

 

「あのー、凄い音がしましたが……何かあったんじゃ——ひっ!?」

 

 嵐が通ったかのような事務所の有様と、睨み合う二人の姿を見て、住人は小さく悲鳴をあげ後ずさった。「ドゥーク卿!?」と、驚いたように目を白黒させている。ドゥークが舌打ちし、苦々しげに呟く。

 

「わざとドア吹っ飛ばしやがったな」

「……」

 

 衆目がある。これ以上長居はできないと悟ったドゥークは、雨衣の裾を翻した。去り際、フードを被りながら放った捨て台詞に、住人達が息を飲んだ。

 

「邪魔したな。次会う時を楽しみにしてるぜ、魔術士『アルビス』」

 

 ロイドは、答えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「ロイドさん、血が……」

 

 ジェンが自分の左頬に指を添えながら、ロイドに問いかける。

 

 通りから事務所の中を覗き込んでいた住人たちに軽く頭を下げると、ロイドはドア枠に氷の板で蓋をした。触れている箇所から分厚い氷が広がり、枠を塞いでいく様子を、誰もが固唾を飲んで見守っていた。ロイドが正体を隠す気がなくなったのだと、双子達は悟った。

 一度ジェンの方へ顔を向けたロイドが、思い出したように頬に触れる。粗方乾いてはいるものの、少し触れただけで再び血が流れだす。氷のドアを鏡代わりに、天眼を用いて傷を癒した。

 

「ありがとう、忘れてたよ」


 踊り場へ戻ると、ジェンとミーニア、二人の頭にポンと両手を置く。お互いの熱が伝わり、全身を支配していた死の恐怖が、じわりと溶けていく。ミーニアはまた目頭が熱くなるのを感じた。

 

「来るのが遅くなってすまなかった」

「もう、そんなに何回も謝らないでください!結果的に無事だったんだから、感謝しかしてないですよ。あとこの手!子供扱いしないでください!」

 

 自分の頭に置かれたロイドの手を剥がすと、ついでに妹の分も下ろさせる。泣いているように見えたミーニアは、頬を拭うとまっすぐにロイドを見つめた。

 

「士長様は?」

「……マグナスに任せた。事情を聞けば、あいつは敵にはならない。殿下が見つからないうちは、なんとかしてくれるはずだ」

「……そっちも心配だけど、あたし達これからどうするの?もうここにはいられないし——」

「そうだな。殿下も交えて、今後の話をしよう。立てるか?」

 

 ジェンとミーニアが、お互いを支えるようにして立ち上がる。血で変色し所々破れた衣服は酷い状態だが、治癒した傷はもう痛みを残していないようだ。

 上階へ向かうため階段に足をかけたとき、両眼を鋭い痛みが襲った。先刻マグナスと邂逅した時のように、再び視界が裏返る。

 

「えっ!?ミーニア!」

 

 ジェンの声に振り向くと、鮮やかな二つのアニマのうち、片方がその場に蹲っている。両眼を押さえ苦しげに息をする様子に、ロイドの全身から血の気が引いた。

 

「ミーニア、お前、天眼が——?」

「うっ——あとで説明する!そんなことより、なんなの、これ」

 

 ジェンには、何が何だかわからなかった。突然二人が苦しみだし、その眼には碧色の光輪が表れている。額を押さえるように頭を抱えた二人が、突如顔を上げ上階を仰いだかと思うと、凄い勢いで階段を駆け上がり始めた。慌ててあとを追うと、立ち止まった二人は三階の方を食い入るように見つめている。その視線の先を追うと、下ろされた跳ね上げ階段の上で、異変が起きていた。

 ジェンが階下へ下りる際、自分が下りたら階段を引き上げるよう、レジーナに伝えていた。だが階段は三階へ隠されることなく、今は不気味な黒い煙のような物が、そこから流れ落ちてきている。

 

「こ、これって、さっきの!?」


 眠る王女の周りに纏わりついていた、熱を持つ黒いモヤ。それが三階を覆い、階下まで溢れ出していた。

 

「ジェン……お前の眼には何が見える?」

 

 光輪の眼を鋭く細めながら、ロイドは跳ね上げ階段の上を睨んでいる。ミーニアも同じ方向を見てはいるが、怯えたように口元を押さえ、小さく震えている。魔物を前にして臆さなかった彼女が、今は酷く怯えている。

 

「黒い、モヤみたいなのが充満してます。火事とか、煙じゃないです。さっき、殿下を起こしに行ったときも同じものを見ました。うなされてる殿下の身体に纏わりついてて、触ると熱いけどちゃんと触れなくて……ロイドさんには、何が視えるんです?」

 

 恐る恐る問いかけたが、すぐには返答がない。ロイドが小さく口を開きかけた時、床板の軋む音と共に、モヤの中から何者かが姿を現した。

 

 

 

 階段を、一歩一歩踏みしめるように、小さな影が降りて来る。一段下がるたびに、長年積もった埃が舞い上がるように、足元から真っ赤な火の粉が上がる。足元だけではない。全身から火の粉を巻き上げながら、焼けた鉄のような色をした影が、ゆっくりと降りて来る。この火の粉が、ジェンには黒いモヤとして見えているらしい。通常、天眼で視ることの出来る色は大きく分けて二つ。命の示す緑と、それを脅かす赤の二色のみ。小さな影のアニマは、今までに見たどんな赤よりも、悍ましい色をしていた。

 

「で、殿下——?レジーナ様!!」

 

 ジェンが声を上げた。方向からして、赤い影に向けて発せられたものであることは間違いない。だとすれば、この悍ましいアニマの主は、王女だということになる。ジェンの声に呼応するように、影が頭を抱え蹲った。階段を踏み外したが、転げ落ちることはなく、そのまま宙に浮かび上がった。身体を丸めたまま宙に浮く影は、一層激しく火の粉を上げる。眼を凝らすと、その赤の中に、ブレるように重なる微かな緑がある。火の粉に飲み込まれかけてはいるが、微かに脈をうち、命あるものの色が、薄く少女の形を成している。丸まっていた身体が、意識を失ったように仰向けになった。

 ロイドは意を決し、影へと腕を伸ばした。襲いかかる火の粉は燃えるように熱く、中心へ向かうほどその熱は増していく。やっとの思いで影に触れた時には、焼け爛れた両腕は感覚がなくなっていた。宙に浮いたままの灼熱の身体を、そっと抱き抱える。全身が焼けるように熱い。うまく動かない唇を叱咤し、腕の中の少女へ呼びかけた。

 

「殿下。レジーナ様」

 

 火の粉が、噴き上がる。

 静かに、はっきりと、もう一度名を呼んだ。

 

「……レジーナ」

 

 その瞬間、周囲のすべての動きが止まった。

 火の粉は静止し、燃えていると思った自身の身体には、何の変化もない。火傷もなければ、痛みもない。ジェンとミーニアも、その場に立ったままぴくりとも動かない。不気味な静寂の中で、腕に抱いた影にのみ、変化が起きていた。

 

「……!」

 

 ロイドに抱き抱えられた少女が、閉じていた目蓋をゆっくりと開く。黒曜石のように美しい瞳が、ロイドを見つめる。一つの違和感と既視感が、脳内に警鐘を鳴らす。面立ちは王女と瓜二つだが、濡羽色の髪は長く、ロイドの膝あたりまで垂れている。これは、レジーナではない。整った唇が、弧を描き開いた。

 

「城へ。私達の元へ」

 

 世界が、再び時を刻み出す。

 一際激しく火の粉を上げ、赤いアニマが弾けた。

 

 黒いモヤが爆散し、思わず顔を背けたジェン。ミーニアも顔を腕で覆い、その場にしゃがみ込んでいた。辺りに満ちていた異様な気配は、なくなっている。二人がロイドの方を見ると、青年は横抱きに王女を抱え、呆然と佇んでいた。

 

「そうか……そういうことだったのか……」

 

 小さく呟いた声は、どこか釈然とした響きを纏う。ジェンとミーニアには見当もつかないが、きっと彼の中で何か一つの答えが出たのだろう。二人が顔を見合わせていると、ロイドが歩み寄ってきた。

 

「二人ともすまない、すぐに行動を開始したい。殿下が目を覚ましたら、俺は彼女を連れて王宮へ向かう。二人には、その間に幾つか仕事を頼みたい。頼まれてくれるか?」

「仕事って……別行動ってことですよね?」

「あたし達は一緒に行っちゃダメなの?」

「あとで合流できるよう手筈を整える。城に潜り込むのは簡単でも、脱出するには外からの手引きが必要不可欠だ。お前達にしか頼めない。やってくれるか?」

「…………はあ」

 

 二人同時に、ため息をつく。こんな風に頼まれて、断れるわけがない。断れないとわかっていて、それでもこうして真剣に頼んでくるのだ、この人は。

 

「わかりました、任せてください」

「帰ってきたら、事務所のドア直してよ。また三人で暮らすんだからね、絶対」

「……ありがとう。感謝する」

 

 ミーニアの願いには、応えられないかもしれない。心苦しく感じながら、ロイドは一旦レジーナをリビングへ連れて行き、ソファへ寝かせた。紙と万年筆を手に、二人へ作戦を指示し始めた矢先、夜の帳を引き裂くように、警報が響き渡った。

 魔物の到来を告げる、海鳴りの警報だった。

 

「今度は海鳴り!?こんな時に!」

「うそ!?海鳴りの音、聞こえなかったけど……」

 

 慌てる二人とは対照に、ロイドは一人、遥か遠く王宮の方向を見据えた。

 

「……始まったんだな」

 

 小さく呟いた声は、闇の中へ溶けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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