十四 「増す錘」


「そういえばお前、その頭どうした?変装?」

 

 雨衣あまえのフードで顔は見えないはずのサフィラに、連れ立って歩くマグナスが尋ねた。先刻のロイドとの戦闘中、放り投げたサフィラのフードが外れたが、現れたのは見慣れた青髪ではない、派手な黄金色の頭だった。

 

 地下下水街から上水路街へと続く長い階段を上り切り、王宮のそびえる雨の国北西地区へ向けて、二人は歩を進めていた。はらはらと舞うように降っていた雪は、夜が深さを増すほどにその量を増している。外気の温度も一段と下がり、二人のフードも、重厚な石畳の道塗も、薄く雪化粧を纏っていた。

 

「なぜ今聞く?気付いた時点で問えばいいものを」

 

 出会い頭、素顔の確認もせず、会話もそこそこに一撃を寄越したのだ。自分が攻撃を加えた相手が見慣れた容姿でなかったのに、別人だとは思わなかったのか。そう、言外に込めた。

 マグナスは、困ったように笑った。

 

「お前に友達どうこう言ってたけど、あいつだって大概だろ?今日このタイミングで一緒にいる奴なんて、お前以外いないと思ってな。あいつなら、見た目変えるぐらい簡単だろうし」

「その勘が外れていた場合、どうするつもりだったんだ。軽率だぞ」

「俺の勘は外れない。あと、俺はお前を間違えない」


 にやりと、金色の瞳が細められる。


「…………」

「おい、舌打ちすんな」

「うるさい。それより、王宮の現状を知りたい。把握している範囲で構わない、教えろ」

「断る」

「——マグナス!」

 

 柔軟だったそれまでの空気が、即座に返された拒絶の一言で一変する。詰め寄るサフィラに、それでもマグナスは態度を変えなかった。

 

「そっちから話せよ。それが道理だ。立場わかんだろ」

「お前まで巻き込みたくない。聞けば戻れなくなる、後悔するぞ」


 ハッ、と、乾いた笑い声が響く。

 

「これだけの異常事態だぞ?今更、後戻りしようなんて思っちゃいねえよ。それに、後悔するかどうか決めるのはお前じゃない、俺だ。全部知った上で、どう動くかは判断するさ。話せ」

「……大馬鹿野郎」

 

 お互い様だろ、と、唇が弧を描いた。

 

 寒夜。通りに、人影は無い。

 それでも、一度天眼を開くと、サフィラは周囲に気を配った。今ではほとんど使うこともなくなった遠視とおみの眼に、ぼんやりと発光する緑色の光が点々と映る。自分達の会話が聞き取れるような距離に、アニマの色は見えなかった。

 

「わかっているとは思うが、今から話す内容は他言無用だ」

「ああ。その前に一つ、確認していいか?」

「?」

 

 金色の瞳に、険が宿る。

 

「この件、ザインも関わってるのか」

 

 ある程度、予想はしていた。それでも、口の中と胸の奥に、何かがつかえたような感覚がする。順を追ってならすんなり話せると思っていたのに、いきなり核心に触れてくるあたりがこの男らしいと、溜息をついた。

 

「私も、全容を把握しているわけではない。昨晩起きた事を順を追って話すしかできない」

「構わねえよ。その後の上の連中の対応と照らし合わせて、状況を整理したい」

「わかった」

「で、ザインは?」

「……彼の意図はわからないが、関わっている。順番に話すから黙って聞け」

「そうか……わかった」

 

 戦友の声色が曇ったことに気付き、自身も心がぐらつく。深呼吸一つ、サフィラは昨夜の出来事を語り始めた。

 

「まず、前提を話しておかなければならないか……私の出自についてはお前も知っての通りだが、私がレグロ殿下を連れ出したのには理由がある。殿下も、国権を揺るがしかねない秘密を抱えていたんだ」

「と言うと?」

「殿下は、第二王子ではない……第一王女なんだ。王家に生まれるはずのない、女児として生を受けている。王女としての御名みなを、レジーナ様と言う。およそ百年前にも家系図に女児の名があったから、実質二人目の王女ということになる」

「それは……よく隠してたな、今まで」

「この事実を知るのは、母君である王妃ミラ様、ごく一部の付き人、それから……母様だけだったらしい」

「クラヴィア小母おばさんも?妃殿下ととりわけ親しい仲だとは聞いてたが……確認だが、陛下はご存知なかったってことでいいのか?」

「ああ。母様が事情を知っていたのは、メンシズのお役目の為だ。父が投獄された後、母が家督を継いだ。その後に、殿下がお生まれになった」

「ああ、なるほどな」

 

 生命術を扱う者達には、その行使に際してあらゆる制約が課せられる。法で厳格化されたもの意外にも、暗黙の了解として様々な決まり事が存在する。その中の一つに、「戦闘時や緊急時以外、相手の許可なく流査りゅうさを行うべからず」というものがる。所謂マナーのようなものだが、天眼の持ち主は皆心得、遵守している。特に王族に対しては、許可なく光輪の眼を向けた者がいた場合、その場で拘束され尋問を受けることになる。レジーナが王女であることに術士達が気付かなかったのは、このためである。

 ただ一人、例外が存在する。王族の治癒や体調管理を担い、産まれて間もない王の子に流査を行う、メンシズの家長である。先天的な疾患や出産の際の異常がないか、生まれ落ちると同時に隅々まで視ることになる。その後も、成長の過程でも何度も天眼を向けることになる以上、子の性別は自ずと知るところとなる。

 第一王子であるクラルスの出産時にはオルニトが、レジーナの時にはクラヴィアが立ち会っていた。この間、父オルニトと袂を分かった長男アルビスは、家名を捨て城を出ている。

 

「天眼の精度によっては、懐妊中に子の性別や容姿までわかる場合もあるようだが、母にはそこまでは視えなかったそうだ。産まれた赤子が女児だとわかり、妃殿下の回復を待って話を聞くと、陛下の御子で間違いないとのご返答だった。ただ、陛下へ事実を伝えることは頑なに拒まれたそうだ。『この事は、今この場にいる者の内にのみ留めて欲しい』と」

「不義の子ではないのにか?例の家系図の『過去に女児の存在が消されてる』って事にしたって、陛下も当然ご存知のはずだろ?何より、自分の夫だぞ?今まで相談もせずに、隠し通したのが信じられん」

「それに関しては、言えない理由があったんだ。しかし、王女殿下の成長に伴い、隠しきれないと判断したミラ様は、年明けの生誕の儀でおおやけにしようと覚悟された」

「その、言えない理由ってのは?」

「……」

 

 サフィラが、一旦言葉を切る。レジーナの、屈託なく笑う顔が脳裏に浮かんだ。王女がもっと幼い頃、せがまれ何度も属性術を披露した。彼女の一番のお気に入りは、子供が喜びそうな派手な術ではなく、その場にあるもので即興で作る造花だった。手を加えて発光するようにした物や、現実には存在しない色にした物など、声をあげて喜んだ。

 どんなに美しくてもこれに「命」はありません、命あるものの美しさには敵いませんが、と言って、作り物の、棘の無い青い薔薇を差し出した時、彼女は酷く悲しそうな顔をした。自分の下らない劣等感で純朴な王女を傷つけてしまったことを、サフィラはそれからずっと後悔していた。

 もう一度、深く息を吸い気持ちを整えた。

 

「王家にはある伝承があると、ミラ様が母様に打ち明けた……その伝承では『王女はやがて王となり、最後の女王はこの国に終焉をもたらす』と、謳われているんだそうだ」

「終焉……国を滅ぼすって解釈でいいのか?」

「わからない。ただ少なくとも、その伝承のせいで、最初の王女は暗殺されたとみて間違いないだろう。ミラ様は、陛下が伝承を信じ、恐れるあまり娘を手にかけるのではないかと危惧していたらしい」

「バレれば誰に命を狙われてもおかしくない状況だったってわけか。公表しようとしてたのは、暗殺を防ぐためか」

「ああ。民は最初の王女の経緯を知らないから、衆目を味方につけようとお考えになったのだろう。だが、恐らくそれを知った何者かから、情報が洩れた——そして昨夜、ミラ様の元へある密書が届いた」

「……」

「ミラ様が殿下を隣室へ送り自室へ戻ると、扉の隙間に封書が挟まれていた。自室を離れたのはほんの数分のことだったから、怪しんですぐに開けるべきか悩んだそうだ。だが裏面に目を通すと、妃殿下は慌てて封を破いた」

「その、裏面にはなんて?」

「『親愛なる王妃殿下、並びに王女殿下へ』」

「……最悪だな」

「そうだな。ミラ様の動揺を思うと……」

「『国を滅ぼす存在だから、殺されたくなければ国外へ追放しろ』とでも書いてあったのか、その密書には。ついでだから異国の血が混じってるお前も一緒に追い出せって?」

「落ち着け、違う。封書はミラ様から受け取って、私も目を通した。レジーナ様が王女であることを城内の一定の人物に知らせたという内容と、殿下を私の元へ連れて行き、国外へ逃げるための知恵と力を借りるよう書かれていた」

「は?やってることが矛盾してないか?殿下の身を危険に晒しておいて、逃げるための算段をつけてよこしたってことだぞ」

「私も、訳が分からなかった。ただ、書面の最後が『既に危険が迫っている』で結ばれていて、読み終えた直後に私の部屋に刺客のような者達が現れたんだ。対処したが、実際に命を狙われていると痛感した」

「——それで慌てて逃げたのか」

「時間がないと思った。私一人では手に余ると。それと……私の元にも、封書が届いていたんだ。恐らく、ミラ様と同じ時間に」

「中身は?同じ内容か」

「いや……ただ一文、『アルビスの元へ』と」

「……なんだ、それ」

「私も意味が分からなかったが、その後すぐにお二人が訪ねて来られて、事態を把握した。それと、もう想像はついているだろうが……この二通の封書の筆跡に、心当たりがあった。信じたくなくて、昔交わした手紙の束を引っ張り出して、確認もした。お前も、読めばわかると思うが——」

「いい、話せ」

 

 マグナスが、雨除け布の中に手を滑り込ませ額を抑える。

 聞きたくないのだろう。重い唇を開き、サフィラは告げた。

 

「……私達に封書を寄越したのは、ザインで間違いない。なぜこんなことをしたのかは、本人に直接問うつもりだ」

「……はあ、ほんと——最悪だ」

 

 天を仰ぎ足を止めてしまったマグナスを、同じように歩みを止め、サフィラはただじっと待った。この男の背負うものを思い、やはり話すべきではなかったかもしれないと、握った手のひらに爪が食い込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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