十三 「ずるいですよそんなの」


 焦げ付かないよう、火にかけた鍋をゆっくり掻き回しながら、ミーニアは考えていた。

 眠ってしまったレジーナを起こしに、ジェンが三階へ向かった。あの小さな王女はとても素直で優しいから、きっと二階で二人と一緒に食事を摂ってくれるに違いない。王族と直接言葉を交わしたことなどなかったが、気取ったところも驕りもない彼女のことを、ミーニアは意外で、とても好ましく感じていた。彼女達が雨具屋に逃げ込んで来た当初、「すぐに帰ってもらったほうがいい」と、強い口調で言ってしまった事を後悔するくらいに。

 本来ならば、この家の炊事はジェンとミーニアで日替わりで行う。だがさすがに今日ばかりは、一人で作るには少しばかり荷が重いと、二人で作業を分担して調理した。レジーナが出されたものに文句を言うとか、そういう心配をしたのではない。少しでも、気に入ってもらって、ほっとして欲しいと思った。王族の普段の食事など想像もつかないから、身体が暖まって、味にクセのない物にしようと、相談して決めた。野菜と、少しばかりの兎の肉を一緒に煮ただけの、シンプルな鍋物だ。獣の肉はどうしても値が張るから、ジェンとミーニアは積極的に買いには行かない。それを気にしてか、「育ち盛りだから」と、ロイドがどこからか仕入れてくることが多かったのだが。

 

(アストルムの——マグナス様の実家って確か、精肉屋って聞いた気がする。もしかして、今まではお友達価格で流してもらってた、とか?だとしたら……うちの今後のメニューから、お肉減っちゃうかも)

 

 ミーニアとしては不本意なのだが、ロイドは二人をどうにも子供扱いしすぎるきらいがある。マグナスが今までの入手源であったのなら、今後は金銭的に無理をしてでも、正規ルートで買って来ようとするかもしれない。今回のことで二人の交友関係にヒビが入らなければ良いなと、肉と、ロイドと、両方を憂いながら鍋を回した。

 

 コンコン。

 

 突然響いた音に、顔を上げた。

 ドアノッカーの音だ。蹄鉄型のシンプルなノッカーで、一階、事務所側のドアに付いている。二階にいると雨音でほとんど聞こえないことも多いし、時間も時間だ。空耳かと思い、手を止めてじっとしていると、また同じ音が、今度は二回続けて響いた。

 店舗側のドアにはジェンが自作した簡易的なドアベルが付いているから、裏通りからの来訪者で間違いない。

 ロイド達ではない。鍵を持って出た。雨具屋への客でもないとすれば、考えられるのは……

 

(追手?)

 

 逡巡していると、再びノックの音が響く。急ぎであればドアを叩く音が次第に強くなってもおかしくないが、四度とも変わらぬそれに、逆に不気味さを覚える。

 放置している間に、王女を連れたジェンが降りてきてもいけない。意を決して、鍋を火から外した。そのままテーブルの鍋敷きの上に移し、両手の鍋つかみを外して調理台の上に放り投げながら、階段へ向かう。このまま自分も三階へ向かい、居留守を決め込むという選択肢もある。一度二人に注意を促し、隠れているよう伝えに三階へ行くことも考えた。だが、手すりから少しだけ身を乗り出し階下の様子を窺った時、五度目のノック音と、威圧的な声が響いた。

 

「開けねえならここの店主、殺しに行くぞ」

「!?」

 

 誰の声かはわからない。聞いたことはないと思った。だが、声の主は、ロイドが今この家に居ない事、そして恐らくは行き先も知っていて、ミーニアがドアを開けなければ、彼の身に危険が迫る。そう匂わせるような言葉だった。

 三階へ向きかけた足を、裏口へ降りる階段へと転じた。

 

(大丈夫、シラを切るだけ。三階のことはあたし達しか知らないし、ジェンなら降りてくる前に必ず安全確認するはず。王女様が見つからなければ、引き上げるしかない。そもそも、ただの物取り?かもしれないし)

 

 自分に言い聞かせながら、階段を駆け降りる。物音に気付いたのか、ノッカーの音がそれ以上続くことはなかった。階段を下り切れば、すぐ右手側に裏通り口はある。深呼吸一つ、鍵を回し、ドアノブに手をかけた。

 

「どちら様ですか?」

 

 そっとドアを押し開けると、滑り込んで来た冷気に身体が震える。裏口には、庇がない。はらはらと降る雪をフードに薄らと積もらせ、三人の人影がそこに立っていた。

 

「よお、小娘。お前が双子の片割れか?もう片方はどうした?中にいるんだろ?」

 

 ドアの前、三人の中心に居た、ガタイのいい男が喋った。さっきの声も、この男の物で間違いない。圧はあるが、それなりの年齢のように聞こえる。背後に控える二人は、身動き一つしない。フードで顔は見えないが、その佇まいに、どこか違和感を感じる。

 

(何、この人たち……なんか……普通じゃ、ない?)

 

 どう表現したらいいかわからないが、雨衣を着たその姿が、どこか歪だと思った。雨衣の下に幾つも武器を隠し持っているかのように、立ち姿が異様なのだ。雨衣も、よく見ると中心の男が着ている物は近衛の紋入りだが、他の二人は形状から違う。外気のせいだけでなく、背筋が寒くなるのを感じた。

 

 努めて、気丈に振る舞う。

 

「こんな時間に、何のご用でしょう?用件がお有りなら営業時間内に、常識がお有りなら表口からどうぞ」

 

 ミーニアの挑発に、纏う空気の変わった男が、気怠げにフードを外した。白髪の混じった短髪に、所々皺の寄った額や頬。何より目を引いたのが、右目を覆う黒い革製の眼帯だった。

 

「!」

 

 この眼帯が、男の素性をミーニアに知らせた。

 通常、近衛が海鳴りでの戦闘や職務中に何らかの負傷をした場合、すぐに魔術士達が生命術による治癒を行う。熾烈を極める大規模な戦闘で負傷から数日間放置されるとか、よほど特殊な事象がない限り、永久に傷跡が残るような事態にはならない。ましてや兵の命と言っても過言ではない片眼を失うなど、普通ではあり得ない。

 

 では、なぜ彼は眼帯をしているのか。

 有名な逸話がある。先代のアストルムから当代のマグナスへ、波乱の代替わり劇となった前代未聞の「御前試合」。その試合で受けた傷を、己への戒めとして治癒を拒み、隻眼になりながらも次席の座に居座り続けている、一人の老兵がいる。その男こそが、今ミーニアと対峙している、近衛次席、ドゥーク卿なのである。

 

「生意気な女は嫌いじゃないがな。泣いて詫びるまでボロボロにしてやりたくなる。立ち話もなんだ、中でゆっくり話そうや、小娘」


 ミーニアを押し退けて、ドゥークが事務所へ上がり込んだ。入り口脇の吸水器の魔石が稼働したのを見ると、表情一つ変えず、いきなり吸水器を蹴り倒した。ガラスが割れて砕け、凄まじい音と共に大量の魔石が床を転がった。空気の流れに乗って、真っ白な雪が室内へ吹き込んで来た。

 

「ちょ、ちょっと何するの!?」

 

 驚いたミーニアが階段の方へ後ずさると、開けっ放しになっていたドアから、後の二人も事務所へ押し入って来た。しかし、やはりどこかおかしい。立ち姿だけでなく、動きも変だ。一人は床を滑るように足音すらなく歩いているし、もう一人は——

 

(足音の……脚の数が、多い?)

 

 そんなはずはないと思いながらも、手が震え出すのを止められない。もう一歩、招かれざる客達から距離をとる。今は火が消えている暖炉の前で、ドゥークが床に転がる魔石を拾い、手慰みに回しながら眺めている。

 そんなはずはない。人であるはずのドゥークが、「人ならざる者」を従えているなんて、そんなことがあるわけがない。

 だが、次の老兵の一言でミーニアの血が凍った。

 

「お前ら、自己紹介がまだだろうが」

 

 応えるように、二人がフードを外す。現れたのは、そんなはずはないと信じたかった、最悪の展開だった。

 向かって右側、裏口ドアに近い方の一人は、髪の毛がない。代わりに、二本の長い触角が、フードを外すと同時に勢いよく飛び出した。縦に開いた口唇は、大きく顎下まで裂けている。左側のもう一人は、大きく張り出した三角形の耳と、鼻の頭から左右へ伸びた髭、顔は短い毛に覆われている。二人とも、血走った眼と腐敗したような皮膚は共通で、ああ、これが魔物なのかと、初めて間近で見た国家の怨敵の姿に戦慄した。

 

「ど、どういうこと?なんで、魔物が——」

「俺の、部下だ。国賊と対峙するんだ、必要な人員だろう」

「国賊?何の話?」


 必死に取り繕うミーニアの背後から、慌てたように彼女の名前を呼ぶ声と、駆けてくる足音が響いた。

 

「ミーニア!?」

 

 息を切らし、ジェンが一階に駆け降りてきた。王女の姿は、ない。階下の異常な様相に、目を見張っている。

 

「な、何これ、どういうこと!?ミーニア、怪我は!?」

 

 妹を気遣うように隣に並んだ少年の姿を確認し、ドゥークが口を開く。

 

「よしよし、二人揃ったなあ。あとは……どっちをどう料理するかだ」

 

 不敵に舌舐めずりする老兵を睨みながら、ジェンが一歩前に出た。

 

「ドゥーク卿、ですよね?これは一体何事ですか?なんで……うちに魔物がいるんです?」

「こいつらは俺の部下だ、気にするな。お前らと、この家の主が、手配犯と人質を匿ってるのはわかってる。手配書見たか?『殺さず匿わず、これに背いた者には厳罰を』だ」

「この家には、もう近衛の人達が来ました。家探やさがしもして行ったけど、何もなかった。僕達は何も知らないし、関係ありませんよ」

「……聞いたところによると」

 

 ドゥークが、眼帯の上をガリガリと引っ掻く。まるで、失くした右眼が痒くて仕方ないとでも言うかのように。

 

「この家、昔は三階まであったはずだ、って証言があってなあ。売買記録も調べさせてもらったが、それにも『地上三階建』とある。増改築の記録もない。おかしいと思わねえか」

「何のことです?ここは見ての通り、二階までしかないですよ?何かの間違いじゃないですか?」

「間違い、なあ。正直、問答なんざ無用なんだよ。ここを買い取ったのが元メンシズの長男で、その数日後には建物の見た目が変わってた、なんて、何があったか大体想像はつくんじゃねえか?手配犯はそいつの弟、とくればもう、ここで間違いないだろう。最も俺個人としては、そんなこともクソほどどうでもいいんだが」

「……!?」

 

 不意に言葉を切ったドゥークが、右手を上げた。背後に控えていた二体の魔物が、顔を上げる。それまでどこかうつろに虚空を見ていた瞳が、ジェンとミーニアを捉えた。二人の、息が詰まる。

 

「安心しな、殿下は無事に城まで連れてってやるよ。まあお前らには元々関係ねえ話だ。可哀想になあ、あんな男に関わっちまったせいで、短い人生だったなあ。恨むならあいつを恨めよ」

「あいつって——だから、何の話です!?」

「あたし達を、殺すつもり?こっちの言い分も聞かないで!?」

 

 一歩、二人が後退する度、じりじりと二体が前に出る。

 双子の悲痛な声のあと、ドゥークの高笑いが室内に響いた。右手は上げたまま、裏口まで大股で歩き、雪が吹き込むドアを左手で乱暴に閉める。逃げ場を、残さないつもりらしい。

 

「言っただろう、『どうでもいい』と。俺は、あいつの——あいつらの大事なもの、ぶち壊せればそれでいい。今は、お前らなんだろう?ほんと、可哀想にな。ハハッ!」

 

 ドゥークの右手が、振り下ろされた。

 

 猫の様相をした魔物が、瞬時に二人に飛び掛かった。バネのように強靭な脚で一瞬で距離を詰め、ミーニアを張り飛ばすとジェンに馬乗りになる。悲鳴をあげながらも何とか腕で顔を庇ったが、その腕に魔物の牙が深々と突き刺さった。顎の力が強い。時々、すごい速さで噛む位置を変えては、何度も牙を食い込ませてくる。噛まれている腕がみしみしと悲鳴をあげ、顔の上にぼたぼたと血が落ちてきた。

 

「ジェン!」

 

 飛ばされたミーニアは、踊り場の壁に打ちつけた頭を何度か振り、意識を保った。ジェンも必死に抵抗しているが、酷い出血だ。

 もう一体は、動いていない。ドゥークも、高みの見物を決め込んでいる。何か、何か武器を探さなくては。二階に、包丁がある。駆け上がろうと体を起こした気配に気付いたのか、魔物がジェンから牙を抜き、威嚇するようにミーニアへ唸った。大きく開かれた口から、白い息と腐敗臭が広がる。傷口から血が吹き出し、ジェンが苦悶の声をあげる。

 牙を剥き出し、獲物を変えた魔物が、再び脚に力を込めた。飛び掛かってくる、と顔を背けたミーニア。

 だが、魔物が跳躍することはなく、前のめりになってその場に躓いた。そのまま、その場でジタバタともがいている。何が起きたのかとその足元に視線をやると、噛まれて血まみれになった腕をもう片方の手で支えながら、魔物の片足に触れているジェンと目が合った。

 

「逃げて、ミーニア」

「!?ジェン、それ、その手、どう言うこと!?」

 

 ジェンが掴んでいる魔物の足に、赤黒い塊が纏わり付いている。それが足と床とを固定し、魔物の跳躍を阻んだようだ。知能はそれほど高くないのか、何度か足を引っ張っては不思議そうに眺めることを繰り返している。魔物には見当がついていないようだが、片割れであるミーニアにはすぐに分かった。

 ジェンは、属性術を行使したのだ。

 

「そんな……いつの間に」

「ちょっとだけ、教わったんだ。今日。いいから、行って。そんなに、もたない。早く!」

「っ!!」

 

 兄の懇願を受けて、弾かれたようにミーニアは二階へ走った。だが、このまま逃げるつもりは、毛頭ない。台所へ駆け込むと、ほぼ未使用で切れ味抜群の、一番大きい肉切り包丁と、防御にも使えるかもしれない、一番大きいフライパンを引っ掴む。

 

(かっこつけてんじゃないわよ馬鹿兄貴。絶対、一人置いてったりなんかしない!)

 

 武器を携え階段へ駆け戻ると、腹を蹴り飛ばされたジェンが、さっきの自分のように踊り場の壁に打ちつけられ、床で血を吐いていた。

 

「ジェン!!」

 

 慌てて駆け寄り、めちゃくちゃに包丁とフライパンを振り回して、兄から魔物を遠ざけた。戻ってきたのが予想外だったのか、武器の存在に警戒したのか、魔物は威嚇の声をあげながら身構えている。ジェンが自身の流血で作った氷は、溶けたのか、壊されたのか、もう足止めとしての機能を果たしてはいなかった。

 片手で魔物に包丁を向けながら、うつ伏せで倒れているジェンを抱き起こした。腕の傷が一番深そうだが、強く痛むのか呻きながら腹を押さえている。鼻からも、血が流れている。

 血の気が引いた。死んでしまう。このままでは、ジェンが、いなくなってしまう。

 苦しげに歪められ、青く変色した唇から、戸惑ったような声が漏れた。

 

「ミーニア……なんで、戻って……逃げて」


 こんなに傷だらけの痛ましい姿で、それでも妹を一心に案じたその言葉に、心臓が燃えるように熱くなった。


「いいから、黙って」

 

 目頭も、熱い。だが、泣くことは今は絶対にしない。

 「視界」を、曇らせるわけにはいかないから。

 

 閉じた目蓋の裏に、普段の溌剌はつらつとしたジェンの笑顔を思い浮かべる。一度ぎゅっと強く目蓋に力を込め、一気に開いた。

 

「おいおい、聞いてねえな。二人とも学舎生じゃないのか」

 

 暴力を楽しむように見物していたドゥークから、驚愕の声が漏れる。魔物達にもミーニアの瞳が放つ輝きの正体は理解できるのか、二体から同時に咆哮のような声があがった。

 

「ミーニア、きみ……『眼』が……?」

「黙っててって、言ってるでしょ」

 

 天眼を通して視たジェンの身体は、損傷の激しさが生々しく伝わる。腕の傷も酷いが、アニマの損壊具合で視れば、腹部が最も赤く、複雑な壊れ方をしていた。その上にそっと手を当て、頭の中で懸命に術式を組む。ゆっくり、少しずつ、持っている知識の全てを動員して、アニマを活性化させていく。僅かではあるが苦痛が和らいだのか、ジェンが一つ大きく呼吸した。

 

「待ってて、もう少し——」


 言い終わる前に、首に衝撃が走った。足が床から離れ、後頭部に強い痛みを感じる。片手から握っていた包丁が離れ、床に落ちた。首を捕まれ持ち上げられ、壁に押し付けられたのだと理解した。治癒の間に合わなかったジェンが、床の上で力無く横たわっている。ミーニアの喉を締め上げているのは、無骨な、人間の手だった。

 

「なんだ、兄妹揃って魔術士ごっこか?何も知らないとかほざいてたが、誰に教わったか詳しく聞かねえとなあ。まあその前に、ガキでも女なんだ。殴る蹴るより別のやり方で痛めつけてやろうか」

「ぐっ……はっ——」

 

 ミーニアの、呼吸が詰まる。苦しさで涙が溢れる。ふと下を見ると、自分へ向けて弱々しく伸ばされた、ジェンの手が視界に入った。痺れだした指先を、必死で兄の方へ伸ばす。意識が、遠のいていく。

 

(もう、だめ……)

 

 一際大きな涙の粒が頬を伝い落ちた時、裏口のドアが内側に吹き飛び、虫の頭をした魔物を押し潰した。

 

 

 

 

 

 

 

 突如響いた爆音。ジェンは薄れかけた意識の中、はっきりとその姿を見た。

 ドアのあった場所で雨衣を脱ぎ捨てた男が、短剣を構え猫の魔物へ斬り込んだ。鋭い爪の剥き出しになった両手で応戦した魔物が、僅か数秒で事務所の床に転がった。その間にミーニアを解放し、手甲を嵌めたドゥークが、一撃を急襲者に叩き込んだ。舞うように上方へかわした男は、そのままトンと老兵の背中を押した。雪を纏った銀色の髪が、空中で翻る。数段ではあるが踊り場から階段を転げ落ちたドゥークは、体勢を立て直すと床で伸びている猫の魔物を蹴り上げ、悪態を吐いた。

 

 男が、二人の前にしゃがんだ。

 

「すまない、怖い思いをさせた」

 

 敵を排除した血溜まりの踊り場で、満身創痍の双子に順番に手をかざす男の瞳は、碧色の光輪を纏っている。ものの数秒で、二人の傷は跡形もなく癒えた。ボロボロと涙を溢しながら、ミーニアが深く頷く。ジェンだって、胸に満ちてくる絶対的な安心感から、今にも泣きそうな心地だった。ただ少し、ほんの少しだけ、悔しさも否めなかった。

 憧れの魔術士だったサフィラと予期せず話す機会を得て、何かの役に立つかもしれないからと、簡単な属性術の術式を伝授してもらった。まさかこんなにすぐに使う機会が訪れるとは思わなかったが、それでも少しだけ、妹にかっこいい所を見せられたと思ったのだ。その妹が、どういうわけか生命術を披露したことには、逆に度肝を抜かれてしまったが。

 颯爽と現れたロイドは、一瞬で三人の敵を圧倒した。ドアを吹き飛ばしたのは恐らく属性術、剣技で二人を排し、ボロボロだったジェン達を生命術で救った。

 

 敵わないな、と、素直にそう思った。

 妹の手前、「かっこいい」とは意地でも言いたくない。だから、本人には絶対に伝わらないであろう、微妙なニュアンスの言葉で感謝を伝えた。

 

「ロイドさん……さすがにずるいですよ、そんなの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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