六 「アタシとあの子の出逢いの話」


 広さ六帖程の仄暗い部屋に、女の影が六つ。正確には、自分を入れて六人。残りの五人皆、恐らく自分より若いだろう。一番幼く見える奥の隅にうずくまる者など、まだ十にも満たないのではないか。怯えたように震えて膝を抱く姿に、微かに鼻を啜る音が混じる。他の四人も全員が俯き、希望など無いといった虚な顔をしている。

 なにもそんなに落ち込まなくても、行き先によっては今よりマシな暮らし出来るんじゃない、と、ドミナは唇の端に笑みを浮かべた。


 格子状の重たい鉄の扉が開く。また一人、誰かが連れて来られたようだ。「大人しくしてろよ」とだけ言い、男がひとり去って行く。ぎっと醜い音を立てて閉まった鉄格子の方へ顔を向けると、黒いフード付きのコートを着た「七人目」が立っていた。明かりを背負っているせいで顔はよく見えないが、その出立ちにふと奇妙さを覚えてドミナは目を細める。


 フードに、雨除けが無い。

 本来あるはずのひさしも、そこから垂れていなければならない薄手の布も。


 上の都での、新たな流行りか何かなのだろうか。注意深く目を凝らしていたドミナは、次の瞬間息を飲んだ。


 躊躇いなく、女はフードを外した。ぶんと大きく頭を振るのに合わせて、背中に流されていた長い髪がふわりとコートの外へ溢れる。室内に灯がない分、鉄格子から入り込む外の光に背後から照らされたそれは、目が覚めるような冴えた青を纏っていた。


「ちょっと……その頭、何の冗談?」


 思わず、口に出していた。他の五人も各々が好奇の目を新入りに向けているが、当の女は気にする素振りも無い。一通り室内を見回し、壁に背を預け立っているドミナへ目を留めると、そのまますたすたと歩き彼女の横に並んだ。面食らって思わず顔を覗き込むと、暗くてはっきりとは分からないものの、瞳の色もかなり薄い。立居振る舞いにも何処か場違いな空気を感じて、この空間での異質さが際立っている。なるほど、以前は好事家の持ち物だったのだなと勝手に当たりをつけて、険しい表情かおをしている、自分より頭一つ小さな女に声をかけた。


「こんなとこへ来ることになっちまって、ご愁傷様。随分ぶっ飛んだ趣味してたみたいね、あんたの前の持ち主」


 揶揄い半分、本気の憐れみ半分でかけた言葉に、女が首を傾げドミナの方を向く。薄色だと思った気の強そうな瞳には、よく見ると淡くライラックの花のような色が載っている。違法な薬か何かでここまで弄れるものなのか、ともすれば何かの実験動物にでもされていたのか。気持ちがどんどん憐れみの方へ寄って行く。

 女は、答えなかった。何か言おうとして開きかけた口をすぐに閉じ、もう一度室内を見渡す。他の女たちは、もう誰も新入りの方を見てはいなかった。沈み切ったその様相をしばらく眺めた後、女はドミナの隣で同じように壁にもたれた。腕を組みながら溜息を吐く。何かに苛立っているのか、組んだ腕の上を左手の人差し指がトントンと叩いている。その指に、小さな黄金色の石の付いた指輪が嵌っているのに、今度はドミナの方が首を傾げた。


 中央に据えられた黄金色の石は、上部が尖り下部には丸みがついた落涙型。僅かな光でも確実に捉えて反射するような、凝った研磨加工が施されている。それだけでも相当値の張る代物だろうに、土台の部分も思わず目を奪われるような作りだった。職人達が用いる言葉で、金属でできた輪の部分を「腕」と呼んだりするらしいが、女がしている指輪は、文字通り人の両腕のような形をしている。二本の小さな腕が円を描き、中心で石を抱いているかのような、奇抜な意匠。これを贈られて、換金目的でなく素直に喜べる女は、そうはいないだろう。

 だが、いかに趣味の悪い指輪と言えど、問題は見た目ではなくその価値である。自分も含め、他の女達は皆、身一つでここに連れて来られた。身につけているのは必要最低限の衣服のみ、それが普通だ。高価な宝飾品の類を帯びたままの者など、後にも先にもお目にかかったことがない。


(…………盗っちまう、か?)


 一瞬頭に浮かんだ考えを見透かしたかのように、気付くと薄紫の瞳がじっとドミナを見つめていた。


「……なによ」

「いえ……あなたが一番話せそうね」

「は?」


 ついさっき、こっちから話しかけたのに無視したのはあんただろうと、ドミナは顔を背けた。


「あなたは、どうしてここへ?どれくらいの間地下で暮らしているの?」

「あんたそれ、本気で聞いてんの?他の奴らに同じこと聞いてみなよ、答えより先に張り手飛んでくるからさ」

「そう……なのね。ごめんなさい、質問を変えるわ。この指輪に似た宝飾品を、何処かで見たことはない?噂で聞いたとか、どんな些細な情報でも構わないわ」

「……まず、アタシらみたいなのが宝石を目にする機会は二つしかない。一つは、その日の客が服は脱いでも金目の物は外さないってパターン。もう一つは、ご主人様の部屋にこれ見よがしに飾ってあるのを指咥えて見てるってパターン。意味、わかんでしょ?はっきり言うけど、無縁なのよ。お綺麗な宝飾品なんて」

「そう……そうなのね……」


 それきり、女は俯いたまま静かになった。さっきまで小刻みに腕を叩いていた細い指が、今度は跡が付きそうなほどきつく腕に食い込んでいる。どうにも、謎の多い女だ。初めて売り物になったのだろう他の女達のように、怯えて震えるような素振りはない。かと言って、好きで男の元を渡り歩いているドミナのような商売女とも違う、何処か高貴な雰囲気を漂わせている。着ている物も質が良いし、何よりこの指輪だ。なぜここへ来る羽目になったのか、正直な所見当もつかない。


「あんた、歳は?」


 何となく、沈黙が煩く感じてまた声をかけた。視線が交わる事はなかった。


「二十歳よ。あなたは?」

「へえ、アタシもよ。あんた、もっと若いかと思った」

「なぜ?」

「なぜって……あんまりにも空気読めないから?世間知らずっていうかさ」

「……それは否定しないわ。でも私には……私達には、もうあまり時間がないの」

「深入りするつもりはないけど、それはあんたが探してるっていう物と何か関係あんの?」

「私も、詳しくは話せない。ただ、どうしても必要な物なの」

「ふうん。親の形見か何か?」


 女の表情が曇る。図星だったかと静かに待つが、返ってきたのは予想外の言葉だった。


「いいえ。私の……私達の国を、救うためよ」








 格子扉の奥から、数人分の足音が聞こえる。こちらへ向かって来ている。

 

 理解不能な言葉に放心していたドミナは、その音にはっと我に返った。入口の方へ顔を向けると、明かりを背負い、ガタイの良い男が三人、並んで立っていた。一人が鍵を開け、ずかずかと中へ入ってくる。ニヤニヤと品定めするような男の目に、女達は慌てて視線を逸らした。一通り物色し終えると、男は大股歩きでドミナ達二人の前へ陣取った。


「お前ら二人は、もう競り手がついちまったそうだ。俺について来い。他の連中は——」


 男の口角が上がると同時に、他の二人が鉄格子の扉から中へ入って来る。


「ちょっと味見させてくれや」


 その言葉を皮切りに、男二人が手近な女へと手を伸ばした。浅黒い肌の女が開いたままの扉へ向かい脱兎の如く駆けたが、寸前で髪を掴まれ引き戻された。何人分かの悲鳴が響き、隅で震えていた子供が鳴き声をあげる。騒然とする地下牢の中、ドミナがちらりと隣に立ったままの女の様子を伺うと、はっきりと目元に嫌悪を浮かべている。落ち着いてはいるがやはり同業者ではないようだと、心のどこかで安堵しながら、ドミナは大きく息を吸った。


「あーあーあーあー、見てらんないねえ」


 突然声をあげたドミナに、全員の注目が集まる。青い髪の女も、しかめ面のまま視線を寄越した。


「ねーえ?せっかく楽しい事しようっていうのに、もったいないと思わない?あんた達って、目の前に出されたら生肉でもそのまま食べるタイプ?」

「ああ?」


 逃げようとした女の髪を握ったままの男が険しい顔を向けるが、ドミナは怯んだ様子もなく男の正面へ回った。爪先まで綺麗に整えられた中指の先で、男の胸板を鳩尾から鎖骨までなぞり上げる。


「素材そのままってのも悪くないけど、下準備して、ちゃんと味付けまで済ませた方が、食べ甲斐あると思わない?それに、生のままだと腹下す事だってあるでしょ?女だってそうよ」

「……何が言いてえ」

「こんなぼろ雑巾みたいな状態で手出すより、綺麗にして香でも焚いて化粧の一つでもしてやってからの方が、盛り上がるんじゃないって言ってんのよ。ねえ、あんたもそう思わない?」


 青い髪の女が、信じられない物を見るような目でドミナを見る。何か問題でも?とでも言うように、軽く顎を上げて不敵な笑みで応える。詰められていた男が、一つ鼻で笑った。


「ハッ、そいつは確かに一理あるなあ。だがな女、俺らも雇われの身だ、そんな悠長な事してる暇はねえんだよ」

「でしょうね。ならその間、アタシと遊ばない?悪い思いはさせないわよ」

「随分な自信だなあ…………あっ!?」


 不審げにドミナを上から下まで眺めていた男が、突然思い当たったように声をあげた。


「お前、『人魚亭にんぎょてい』のドミナか!?あの……やべえって噂の——!」


 その声に、男達の目の色が変わった。


「なっ!?まじかよ」

「こんな所でお目にかかれるなんてなあ。太客のじじい殺して逃げたって聞いたが、ありゃ本当だったのか?」


 一瞬で、三人とも他の女に興味を失ったのが分かった。髪を離された女が、床に尻餅をつく。全身に集中する視線を感じながら、ドミナは薄く紅を引いた唇で笑った。


「誰か一人だけの物になるってのが、性に合わなかっただけ。今だってそうよ?ねえ、試してみない?どうせなら、『四人で』」


 目の前の男の顎に片手を添え、瞳を自分の方へ向けさせる。豊かな金色の睫毛に縁取られ、蠱惑的に細められた女の瞳に、男は生唾を飲んだ。

 何も言わず、顎に添えられていたドミナの腕を掴むと、男はそのまま足速に扉へ向かう。見ていた二人の男も、ひゅう、と口笛を鳴らすとその後に続く。最後の一人が鉄格子に鍵をかけたのを確認すると、ドミナはやれやれと小さく肩の力を抜いた。


(ま、ちょっと先延ばしになっただけだろうけど……アタシが居て幸運だったと思うのね)


 格子扉の向こうで目を背けているだろう憐れな女達へ向けて、心の中で軽く嘲笑う。あの、訳の分からない青い頭の、同い年で気の強そうな女の存在だけ、妙に頭を離れなかった。

 さて、どうやって三人満足させようかと気合を入れ直そうとした時、不意に地下牢の中から声が響いた。


「待ちなさい」


 ドミナの手を引き、先頭を歩いていた男の前に、突如火柱が上がった。


「な、なんだ?!」


 慌てて半身を引いた男の前で、炎が渦を巻く。眩しさと熱さに目を細め、両手で顔を庇いながら、ドミナはそれに気付いた。赤々と渦巻いている炎は、通路の左右の壁に設置された小さな燭台から吹き上がっていた。二本の燭台から伸びた豪火の筋が、四人の行手を阻み燃え上がっている。


「連れて行かせはしないわ」


 毅然とした声に四人が振り返ると、施錠されていたはずの扉が開いている。その前に乱れなく立つ、自分より頭一つ小さな姿に、ドミナの心臓が不可解に跳ねた。


 炎の渦があげる熱風に、長い青髪がはらはらと靡いていた。






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