七 「それがあの子の」



「お、お前!誰が勝手に出ていいっつった!?早く戻れ!」

「んな事どうでもいいだろ!やべえぞ燃えてる、火事だ火事!」

「黙れ!これがただの火に見えんのか、この馬鹿ども!」


 唾を飛ばしながら、男達が喚く。どさくさに紛れて解放された隙に、火の粉が当たらない位置まで後退したドミナの腕を、今度は青い髪の女が無言で掴んだ。困惑するドミナの腕を引いたまま、女は出て来た格子扉から牢へ戻ろうとしている。


「ちょ、ちょっとアンタ!何してんのよ!」

「もうすぐ迎えが来るはずよ。書き置きを残したから、彼ならすぐに見つけてくれる。それまで、ここで待っていればいい。あなた一人に、押し付けはしないわ」

「な、何言って——?」


 女の言わんとすることを理解し、頬に熱が集まるのを感じる。


「ちょっと、勝手な解釈しないで!アタシは好きでこの仕事してんの!アンタが思ってるような、そんな、自己犠牲みたいなのじゃ——」


 言い終わる前に、反対側の腕が強く引かれる。背後にいた男に捕まれたのだとわかるより先に、ドミナを引き剥がした男が青い髪の女に詰め寄った。


「おいてめえ!てめえの仕業じゃねえだろうなあ?!妙な頭しやがって、なんなんだよこれ?!どうなってやがる!」


 荒っぽく壁に押し付けられた女は、それでも動じる事はなく、馬鹿にしたように鼻で笑う。鈍く音がするほど強く男の腕を払うと、動転する男の拘束から容易く逃れた。その時ふと、ドミナの目が不思議な物を捉えた。

 熱風に煽られた青い髪の隙間から、それまで見えなかった女の横顔が覗く。その左耳に、小さな石が四つ縦に並んだ、華奢な耳飾りが下がっていた。目立った装飾もなく、あの目を引く指輪と比べるとかなり質素だった。

 その連なった石の、一番上のひとつ。初めは、煌々と燃える火の色を反射しているのだと思った。だが、他の三つの石は黒々と髪の影と重なっているのに対し、耳に一番近いその一粒だけが、ちろちろと赤く輝いていた。その炎にも似た鮮やかな色が、女が髪を耳に掛けるような仕草をした後、ふっと萎むように消えた。他の三つ同様、ただ真っ黒なだけの石になった。少なくとも、ドミナにはそう見えた。そしてその直後、通路を遮断していた炎の壁も忽然と消えた。吹き出すように荒れていた火柱が、燭台に吸い込まれるようにして、突然鎮まったのだ。


 呆気に取られ立ち尽くしていると、再び手を取られる。今度は腕ではなく、親が子にするように繋いだ手を引きながら、青い髪の女はドミナを牢へと連れていく。男達が火の出処を探り、燭台の周りを恐る恐る調べているのが視界の端に映った。

 少しの荒れも無い、陶器のように滑らかな感触を片手の指に感じる。赤く輝く耳飾りと、炎の渦。「お前の仕業なのか」と詰問する男の声が、頭の中で繰り返し響いていた。








 牢へ戻ると、女はガシャンと手荒に扉を閉めた。外の喧騒に耳を澄ましていただろう女達が、怯えるような目を今度はドミナ達に向けてきている。青髪の女はさして気にしていないようだが、なんとなく癪に障ったドミナは視線だけで圧をかけた。

 この鉄格子の扉には、外側にしか鍵穴が無い。鍵を持っていない状態で、内側から施錠することも解錠することも出来ない。だがどういう訳か、ドミナが振り返って見ると、女は錠の裏面に触れたまま、じっと動かずにいる。


(この子が変なのは、もう充分わかったけど……)


 出立ちも、発言も、行動も。ただの「商品」ではない。ただの「女」でもない。寝物語でしか聞いたことはないが、もしかしたらこの子、とドミナが女の指先へと視線を滑らせたその時。

 ガアンと大仰な音を立てて、鉄格子に男の一人が掴み掛かった。困惑から来る苛立ちか、額に青筋が浮いている。扉に触れていた女が、咄嗟に一歩身を引いた。こちらも、眼光鋭く男を睨む。両手で檻を掴んだ男が、いまだ燭台付近をうろついている仲間へ向けて怒声を飛ばす。「いつまでやってやがるクソども!」と、唾とともに吐き出された大声に、女の軽蔑するような声が続いた。


「まるで猿ね。品性の欠片も無い」

「ああ!?てめえ自分の立場わかってんのか?ナメた口ききやがって、死んだ方がマシだと思わせてやる——あ?何だ?開かねえ?」


 男が、扉の前に屈んだ。訝しげに細められた目が、探るように伸ばされた指が、錠の上を行き来している。ついさっきまで女が触れていた場所の、丁度反対側。

 

「何だこれ……鍵穴が、消えてる?」

 

 横目で盗み見たドミナの瞳の先で、青い髪の女の口元が弧を描いた。それと同時に、通路から男達の声が響く。

 

「な、何だお前ら——」

「お、おいこいつら……なんでこんなとこに——」

 

 困惑したその声の先から、物々しい足音が響いてくる。ドミナにとっても、聞き覚えのある音。この音と共に訪れる客は、大抵羽振りが良かった。軍靴の音だ。眉を顰めて扉の前の男が立ち上がると、慌てたように他の二人も横に並んだ。足音が止まると、リーダー格の男が低く唸った。


「……何の用だ」


 男の問いに返答はない。代わりに、再び軍靴の音を鳴らしながら、鉄格子の前に二人の男が進み出た。帯刀し、上等な黒の雨衣には金縁の黒薔薇紋。押しやられるように、牢番の三人は通路の奥へと身を引いた。

 

「お前達に用はない」

 

 静かな声が響く。近衛二人の物ではない。そうだ、やって来た足音はもう一人分あったと、ドミナは思った。軍靴よりも少し軽い、初めて耳にする音。

 鉄格子を挟んだ向こう側、フードを頭の後ろへ落としながら、声の主が姿を見せる。燭台の灯に背後から照らされて、結われた白銀色の髪が輝く。近衛達を率いて現れた「三人目」の姿に、青い髪の女が浅く息を吐いた。

 

「お待ちしておりました。お早いお着きですね」

「……ご自分の愚行を理解しておいでか。今後一切、この様な事はお控え願いたい」

 

 窘めるような声音に、女は肩をすくめて返す。「迎えが来る」と彼女は言ったが、とんでもない大物ではないか。この国でこの男を知らない者はいない。漆黒の雨衣の下、首元に純白のローブが覗く。

 

「救援、感謝致します。オルニト様」

 

 女が口にした名に、牢内がざわつく。

 

「オルニト……オルニト・メンシズ?」

「士長様、士長様が、助けに来てくれた?」

「ああ……神よ、感謝します」

 

 縋るように天を仰ぐ者、扉へよろよろと近寄ってくる者、事態が飲み込めずに目を泳がせる者。突然の救世主の登場に、囚われの身だった女達が色めき立っている。それには目もくれず、青髪の女が再び扉の錠裏に指先をあてがった。数秒後、カシャンと軽快な音を上げた鉄の扉が、何事も無かったかのように開いた。通路の奥で居心地悪そうにしていた男達から驚愕の声が上がり、リーダー格の男の眉間に深い皺が寄る。

 

「やっぱりテメエの仕業か。チッ、とんでもねえ化け物仕入れて来やがって」

 

 化け物と呼ばれた女は、それでも表情を変える事はなく、開け放した扉から銀髪の男を牢内へと招き入れた。当代の魔術士長、オルニト・メンシズは、ドミナを含め女達の人数を確認すると、通路の男達にも牢内へ入るよう命じた。扉を出てすぐの左右に近衛の二人が控えると、渋々と言った顔で牢番達は指示に従った。

 その後、オルニトの指示で、三人の男達と六人の女達は一列に並んだ。最後尾はドミナ、先頭に並んだリーダー格の男が扉前でオルニトと正対するのを、青髪の女は部屋の隅でじっと見つめている。オルニトが男の額に手を伸ばすと、さすがの男も一瞬怯んだのか、その巨体が僅かに揺れる。

 

「おいおい、士長さんよ。俺らはただ仕事してただけだぜ?その女にも手は出しちゃいねえ。一体何するつもりだよ、畜生」

「怯える事は何もない。痛みもなければ、今後の『仕事』とやらにも支障はない。今日見た事を、広められては困るのでな。少し大人しくしていろ」

 

 男の額に触れたオルニトの瞳が、碧色の光輪を纏う。後に並ぶ者達が固唾を飲んで見守る中、男からは呻き声ひとつ上がることはなく、オルニトの腕が静かに下ろされた。「行っていい」と言う魔術士長の声に、男はどこかふわふわとした挙動で鉄格子の扉をくぐって出て行く。覚束無い足取りで去って行く後ろ姿を見送った近衛の一人が、オルニトへ向けてひとつ頷いて見せた。

 順番に、整列していた者達にオルニト・メンシズはその術を施していく。

 

(これが、『生命術』……さっきの発言といい、まさか、記憶を消したってこと?実際に見たのは初めてだけど……メンシズの御家芸、こんな事まで出来るなんて)

 

 呆けたような顔で次々と去って行く今晩の関係者達を薄目で眺めながら、ドミナは自分の番を待った。オルニトら王宮関係者が口外されることを危惧しているのは、恐らく青い髪の女に関わる事象の全て。通常なら有り得ない容姿、いとも簡単に属性術を行使して見せた事実、そして、「国のため」という意味深な発言。

 本当なら、こんな金になりそうな話、記憶から消されてしまいたくなどない。だがいかんせん、ここにいた面子の中で最も深入りしてしまったのは、間違いなくドミナだ。情状酌量の余地は、きっと無い。

 ひとつ前に並んでいた、部屋の隅で縮こまっていた女児の番になると、オルニトは僅かに顔を顰めた。それでも淡々と術を施すと、ふらつく女児の身体を支えながら、近衛の一人に声を掛ける。「彼女は孤児院へ」と、密められた声がドミナの耳に届いた。預けられた少女の手を引きながら、近衛の一人が牢を出て行く。冷徹な男かと思っていたが、案外そうでも無いらしい。勿体無い気はするし、どこか危なっかしい青髪の女の今後も気になりはしたが、この男なら上手くやってくれるだろうと踏ん切りをつけて、ドミナはオルニトの前に進み出た。

 

「はい、アタシで最後ね。お疲れ様」

 

 努めて明るく振る舞ったつもりだったが、ちらりと盗み見た青髪の女の表情に、一瞬で顔が曇るのを感じた。そのままずかずかとドミナ達の元へ歩を進めた女は、嘆願するように一心にオルニトを見つめる。

 

「オルニト様。彼女の機転で、私は助けられました。いいえ、私だけではなく、ここにいた女性達皆です。彼女がいなければ、きっと無傷では済まなかったはず」

「……それは、『貴方が』ですか?それとも『あの男達が』?」

「どちらでも同じ事です。彼女と、もっと話がしたいのです。今日の事、決して口外はしません。彼女も、絶対にそんな事はしない。もう二度と、許可なく外出も致しません。後生です、どうか」

 

 どういうつもりかわからないが、女はドミナの記憶が消されるのを阻止したいらしい。根拠のないその信頼は何処から来るんだと内心焦ったが、許されるのならば、自分にとっても損は無い。品定めするかのようなオルニトの視線に、ドミナは敢えて軽薄な調子で応じた。

 

「……だそうだけど?」

 

 まるで生きた宝石のような男の口から、盛大なため息が溢れた。

 

「今回限りです。あまり勝手をされては、私にも庇いきれなくなる。お分かりか」

「!ええ、存じております。感謝致します、オルニト様」

 

 何がそんなに嬉しいのか、はしゃぐ女の様子に苦笑いで応える。彼女には何か大きな目的があるようだったから、ドミナに利用価値でも見出したのかもしれないし、単純に同い年の女同士という仲間意識かもしれない。何にせよ、一夜限りかと思われた奇妙な出逢いが、今後も続いていくという予感は、ドミナにとっても不思議と心地良かった。

 

「あ。ひとつ、言い忘れてたけど」

 

 訂正しておくべき事案を思い出し、ドミナは女に声を掛けた。

 

「アタシ、殺しだけはしないから。今まで一度だってしてないし、これからも、絶対に」

 

 一瞬何のことか分からないという顔をした女だったが、すぐに男達の会話を思い出したようで、「そうだと思っていたわ」とだけ返事を寄越した。

 

「そろそろ、戻りましょう。上に車を待たせてあります」

「ええ、わかりました。彼女は?」

「さっきの牢番達を含めて、見張りの類は誰も残っていません。好きに出て行って頂いて結構かと」

「そう……ですか。では、また。『人魚亭のドミナ』」

 

 別れ際、揶揄うような言葉と共に片手が差し出される。その手に手を重ねながら、ドミナは尋ねた。

 

「あら。自分だけアタシの名前知ってて、ズルいんじゃない?それも機密事項なのかしら?」

 

 女は一瞬藤色の瞳を瞬かせた後、今日一番の笑顔で握られた手に力を込めた。

 

「クレイス。クレイスよ」

 

 クレイス、と胸の内で声に出し、名前まで変わってるのねと肩をすくめて見せた。聞き慣れない響きではあるか、それは命名規則上、男の物として分類される名だった。

 

 離れていった手を名残惜しく思いながら見送るドミナの視線の先で、扉の縁に足を取られたクレイスが大きく体勢を崩した。側にいたオルニトがすかさずその身体を支える。咄嗟に腰に回された腕に気付いたクレイスが、盛大に頬を染めて慌ててフードで顔を隠した。身体を離す際、小さく、ほんの微かに上がった悲鳴のような声も、ドミナと近衛の男には届いてしまっていた。ただ一人、オルニトだけが首を傾げ、「大事はないですか」とフードを覗き込む。

 

(……あー、あんたも意外と可愛いとこあるのね、クレイス。バレバレ)

 

 オルニトも近衛も放置して一目散に視界から消えたクレイスに、ドミナは同情心と共に胸の内でため息をついた。後を追い引き上げて行く二人の後ろ姿を見つめながら、今日は朝まで何処かで飲もうかしらと、数ある馴染みの店の看板を脳内に並べた。

 

 オルニト・メンシズが妻帯者であり、妻との間に幼い息子も居るという事実を、彼女が知らないわけはないがと、一抹の不安を抱きながら、地下牢を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

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