五 「もしも」


「お、気が付いたか」


 引き攣ったように震える目蓋を持ち上げると、ぼやけた視界に見慣れた天井が広がっている。白と緑のオーナメント柄、メンシズ棟の療養室だ。明かりが控えられた室内は薄暗い。声のした方、右手側へゆっくり頭を傾ける。


「気分はどうだ?ナトゥラ」


 声の主は、壁に背を凭せ腕を組んだ状態で立っていた。顔を見ずとも誰かなんてすぐに分かる。常ならばその背に負われている愛用の得物は、今は姿が見えない。視線を上げると、にやりと笑った垂れ目がちな目元とかち合う。自分を見下ろしているその表情かおに、生きていることをじわりと実感した。


「マグナス様……私は……」

「左半身の広範囲に中度の火傷、意識障害からの昏睡。肝が冷えたぜまったく。先生とクラヴィア小母おばさんがついてくれたから、もう痕は残って無いそうだ。けど、無理はすんなよ。しばらく寝とけ」

「そう、ですか……ファヴラー殿と……クラヴィア様が————ッ!?」


 その名を口にした瞬間、意識を失う直前の光景が脳内を駆け抜けた。嵐の夜、放たれた矢、雷撃を弾いた氷の壁。肌掛けを跳ね除け飛び起きる。寝台か、己の身体か、どちらからともなく軋んだ音が響いた。


「士長は……サフィラ様は——!?」


 突然の動きも予想の内だったのか、そっと部下の肩を支えベッドに押し戻しながら、マグナスは呆れたような笑顔で言った。


「まあ、落ち着け。あいつも殿下も、まだ見つかってない。見つかってないってことは、まあ無事だろう。お前も明日から捜索に加わってもらうから、とにかく今は休んで、万全な状態にしとけ」

「は、はい……ドゥーク殿は?彼も怪我を——」

小父貴おじきも、ついさっき起きた。俺の顔見るなりブチ切れて出て行きやがった。見舞ってやったってのにな、まったく」

「……私はどれくらいここに?」

「半日とちょっと、ってとこだな。なあナトゥラ、一体何があった?昨夜の当直はお前だろ?何で小父貴まであの場に転がってた?あいつ一人ならともかく、部下も相当数連れてたんだろ?」

「……私にも、何が何だかわかりません。巡回中、部下の一人が慌てた様子で駆け込んで来て……緊急事態だ、と。その後すぐに執政様もいらして、レグロ殿下が連れ去られたと。何としても探し出し保護するようにと命じられたのですが、私達が見つけた時、一緒にいたのは士長でした。そこへドゥーク殿が現れて、『二人とも殺せと命を受けた』と……」


 マグナスの眉間に微かに険が乗る。


「『賊は殺せ』ならまあ妥当だが、二人とも、ってのは有り得ない話だな。あのじじいは確かにそう言ったんだな?」

「はい……総長、何が起きているんです?ドゥーク殿のこともそうですが、私には殿下が無理矢理連れ去られたようには見えませんでした」

「と言うと?」

「士長は殿下を守りながら逃げているようでしたし、人質として殿下を盾にするようなこともありませんでした。殿下も、自分から率先して彼に従っているようにしか……二人とも、何か目的があって王宮から逃げようとしているように、私には見えました。ドゥーク殿が受けたというめいの真偽も不明ですが、士長が敵対する者に属性術を使ったことも信じられません。二人とも……命懸けで戦っていました」


 静かにナトゥラの話に耳を傾けていたマグナスが、ふと表情を緩めた。足元に落としていた視線を、問うように自分を見つめる部下へと合わせる。


「……やっぱり、お前は優秀だよナトゥラ。話が早くて助かる。少し起きれるか?」

「?……はい」


 ナトゥラが上半身を起こし、ベッドヘッドと腰の間に枕を挟んで背中を預ける。体勢を整えたのを確認したマグナスが、懐から何かを取り出した。三つ折りにされた紙のようで、雨に当たったのか一部がふやけている。マグナスが紙を開き、差し出す。手渡された書面に目を通したナトゥラが、訝しげな声をあげた。


「これは……手配書ですね。しかし……どうしてこのような……」


 思案顔で何度も書面に目を走らせる部下に、マグナスの口角が不敵に上がる。


「な?どう考えてもおかしいだろ、その文書。『殿下を探せ』と、一言も書いてない。太子じゃないと言っても、王子の誘拐事件だぞ?事が事だってのに、『罪人の子連れ魔術士を探せ』なんて訳の分からない手配書が出回ってる。おまけに、捜索の際も決してレグロ殿下の名前は出すなと、全隊に通達が出てる。はっきり言って異常だ」


 ええ、と相槌を打ったナトゥラが、もう一つの疑問を口にした。


「士長のことに関しても、容姿にだけ触れて名を出さないのは妙ですね。外見の特徴がわからなければ探しようが無いのは分かりますが……意図的に黙しているように感じます」

「そうだな。今まであれだけ必死に隠してたんだ、城に連れ戻した後適当な別人を犯人にでっち上げて、サフィラにはこれまで通り働いてもらうつもりなんだろ。あいつがいなきゃ国が回らないからな。だから尚更、殺せって命令の出処が気になる」

「国王陛下が殿下の殺害を命じるとは、私には思えません。陛下は御子息方を心から愛しておられます。そしてあの日、私に殿下の保護を命じられたのはテネブレ様です。お二人以外に近衛に直命を出せる人物となると、考えられるのは——」


 マグナスが、ナトゥラを見据える。


「ザインだって、言いたいのか」

「……可能性は、あるかと。長く執政の座についておられるテネブレ様は、有事の判断も的確で陛下の信頼も厚い。ですが、ザイン卿は何かと黒い噂が絶えない……あなたや士長は友人だったと聞いていますが、今は私情を挟むべきではないと思います」


 数秒、無言で部下の瞳を見つめた後、マグナスは苦笑いとともに溜息を吐いた。


「ったく、容赦無え部下だぜほんと。ザインかもしれないってのは、俺も念頭に置いておく。そんな奴じゃないと思ってはいるが……ドゥークの野郎と裏でつるんでるって話も、聞いてる。正直、ここ数年のあいつは俺にもよくわからねえからな。あ、けどナトゥラ、私情って言うならお前もだぞ?」

「……何の事ですか?」

「お前、サフィラを庇って小父貴に体当たり食らわしたんだろ?そのせいであのじじい目覚めて早々カンカンで——」

「なっ……そ、それが何故『私情』になるんです!?私はただ、何もわからないのに殺せだなんて納得がいかなかっただけで——!」


 紅潮した頬で早口に捲し立てる小柄な部下に、「どうだかねえ」と、わざとらしく肩をすくめて見せる。本人は隠しているつもりらしいが、マグナスからしてみればバレバレだ。茶化すつもりはないが、くく、と、喉の奥から笑い声が漏れた。


「まあ……俺が言うのもなんだが、あいつは良い男だよ」

「ですから、そういった話ではないと——」

「ハハ、わかったわかった。俺にとっても、あいつは大事な相棒だ。お前のおかげであいつが死なずに済んだこと、礼を言う。ありがとな、ナトゥラ」


 真っ直ぐな笑みで、真剣な声音で、謝意を口にした上司に、ナトゥラはすぐには言葉が出なかった。「いえ……」とだけ小さく口ごもるように発するのが、精一杯だった。首を傾げたマグナスに、重たい口をなんとか開く。


「私は、何も……何も出来ませんでした。ドゥーク殿を止めることも、二人を足止めすることすら、出来なかった。三席の座についていながら。近衛失格です」

「あんなよくわからない事態になって、味方だと思ってた奴といきなり争うことになったら、普通誰だってそうだろう。むしろよく戦ったと、俺は思うがね。だから——」


 気持ち切り替えろよ、と、軽く肩に手を添え、ベッドに背を向ける。会話を切り上げて出て行こうとしている上司の背中に、ナトゥラは質問を投げた。


「どこへ行かれるんです」


 マグナスは、立ち止まりも振り返りもしなかった。片手を上げ、歩きながら声だけで答える。


「迎えに、な。多分、まだ兄貴といる」


 扉が閉まる音を最後に、療養室には静寂が広がった。一拍置いて、上司の言葉の意味が理解できた。ナトゥラが城へ出入りするようになった頃には、既に城内にその姿はなかった。サフィラの兄でありマグナスの友であるという、メンシズ家の嫡男、アルビス。名前とその偉業だけしか知らないが、彼の人物の元へと、上司は向かったのだろう。


「…………」


 一人になり、室内に響くのは微かな雨垂れの音のみ。妙に冷静な頭の中には、マグナスの声が繰り返し響いている。


「『普通誰だってそう』か……」


 傷は癒えたとはいえ、まだ上手く力の入らない利き手をぐっと握る。反射的に力の入ってしまったもう片方の手元で、上司の置いていった手配書がくしゃりと音を立てた。


「……あの場にいたのがあなたなら、きっと違った。そうでしょう?マグナス様」






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