三 「地下要塞の主」


 ロイドの雨具屋が位置する雨の国東部の地下街は、四つの地区の中でも、とりわけ「色」で栄えている。主人であるドミナの手腕の下、財力を得た法の外の者達は、遂には地上に幾つかの宿を持つほどに勢力を拡大したと聞く。稼ぎ頭ではあったが元々は一娼婦に過ぎなかった彼女が、今の地位に上り詰めるのには紆余曲折あったのだと、傘下の者達は皆、ドミナを讃える。


 ロイドと再会の煙を交わした後、ドミナは二人を来客用の部屋へと通した。青白い吊り下げ灯に照らされた室内は、細長いローテーブルと、それを囲む革張りのソファが中央に陣取っている。さっきの部屋同様この区画は水路に面していないようで、窓さえあれば地上の家屋とそう変わらないような間取りになっている。下水街の住人達が「屋敷」と呼ぶのも頷けるような、これもまた不可思議な空間だった。屋敷の当主は、客人達へ座って待つよう促すと、二人いた大男のうち一人を伴って部屋を出て行った。「着替えだ。すぐ戻る」と、残った方の男が立ったままの二人に顎でソファを指した。

 煙に、においに、微かではあるが発熱にと、サフィラにとっては三重苦だったろうと、ロイドはソファに掛けながら横目で様子を伺った。予想に反して、当人は雨除け布の奥から、興味深げに室内に視線を巡らせている。この国で唯一の属性術使いの目には、この巨大で奇怪な地下構造物はどのように映っているのだろう。


 無言のまま、待つこと数分。主人の出て行ったドアの前に腕を組んで立っていた男が、すっと一歩横に動いた。直後、ドアが開く。着衣を正し紅を引き、髪を結い上げたドミナが、コツコツとヒールの音を響かせながら応接間へと戻って来た。後ろに、一緒に出て行った男も続く。主人が客人達の向かいのソファに腰掛けると、男達はその後ろへ控えた。ふう、と一つ息を吐いたドミナが、客人へと華やかに微笑む。

 身体のラインを強調しながらも、寝室で着ていた物と比べて露出の少ない鮮やかな青のドレスは、一目で上等な生地とわかる。後頭部の高い位置で結われた柔らかな金色の髪と相まって、知的な印象を与える。さっきまでの気怠げな様相から一変し自分と相対するこの場の主に、ロイドは目を細めた。


「なに。今更見惚れた?」


 ローテーブルの上に置かれた三つの金属製のゴブレットに、薄紅色で彩られた指先が順番に赤紫色のボトルを傾けていく。片手にボトルを、もう片方の手はひらひらと揺れる袖を押さえながら、ロイドに上目を遣う。試すかのような琥珀色の瞳に、しかし見つめられた青年は一つ小首を傾げた。


「今更も何も、あんたは初めて会った時から変わらない。ずっと綺麗だ」


 カタン、と、ボトルが触れたゴブレットの縁が鳴った。ドミナの背後から舌打ちの音が響く。どちらの物かはわからなかった。ほんの瞬きの間呼吸を忘れたことを呪いながら、ドミナは溜息を吐いた。中身の満ちたゴブレットを一つ、ロイドの隣、ソファに乱れ無く座るもう一人の来客の前へと滑らせる。雨除け布の垂れたフードを被ったままの客人は、訝るそぶりを見せながらも杯を受け取った。ロイドの前へもゴブレットを滑らせながら、尋ねる。


「あんた、ロイドの連れ?苦労しない?この天然ボケの人たらしと一緒にいて」

「連れじゃない。すまないがこちらの事情は一刻を争う。無駄話をしている時間はない」


 一瞬面食らったように見えたドミナから、ハ、と笑い声が上がる。その乾いた響きに、途端に室内に殺気立った空気が満ちた。弟の失言に、ロイドはこめかみを押さえた。自分が許可を出すまで話すなと、言っておくべきだったかもしれない。

 自分の前のゴブレットをするりと掬い、ソファに深く背中を預けたドミナが、見下すように男二人と目配せした。杯の脚を指の間で挟み回すように揺らしながら、フードの客人に嘲笑を送る。


「何処の坊やか知らないけど、独りじゃなかったことを幸運に思いな。生意気言う前に、まずは顔ぐらい見せんのが礼儀だろ。まあ、人様に見せられないようなツラだってんなら、無理にとは言わないけど」


 ふん、と鼻を鳴らし見せつけるように脚を組んだドミナに、ロイドが一言詫びる。硬化した空気に、毛を逆立てた猫のようになっている弟の方へ顔を向けた。


「フードを」

「…………」

「……大丈夫だ。信じろ」


 ロイドの方は見ずに、サフィラが小さく息を吸う。一度も目の前の交渉相手から視線を外さず、顔を覆っていたフードを両手で頭の後ろへ落とした。

 三人の表情が、変わる。


「へえ……」


 フードから流れたのは、ドミナの物よりも派手な黄金色。頭を一度軽く振ると、それが微かに左右に揺れる。枯葉のような燻んだ茶色の瞳で、サフィラはドミナを見つめた。








 遡ること、数刻。


「わあ……すごい……!」

「こんな一瞬で出来るもんなのね」


 雨具屋三階、暖炉の部屋で、レジーナとミーニアが感心したようにロイドの手許を見つめていた。起立したロイドの片手は、ソファに座った状態のサフィラの頭上に翳されている。指先が触れている頭髪は、上から三分の二程度が、常の青から稲穂のような金色へと様変わりしている。そのままするすると、ソファに垂れた長い毛先まで、色が変わっていく。完全に染まりきったのを確認し、ロイドは腕を下ろした。最後にぽんと軽く頭を撫でたことに抗議の声が上がる前に、レジーナが二人の間に入った。


「すごいです、アルビス!サフィラが……なんだか違う人みたい」


 初めて年相応のはしゃぎぶりを見せた王女の様子に、物言いたげだったサフィラも作り笑いで応じる。自然とミーニアとロイドの頬も緩んだ。


「これなら、顔を見られても平気ですね」

「手配書では髪と目の色ぐらいしか触れられてませんでしたから、その場しのぎにはなるでしょう。最も、近衛の連中や王宮に出入りしてる一部の人間にはさすがにバレるでしょうから、万全とは言えませんが……」


 言いながら、一度ぐっと強く目を閉じ、再びゆっくりと開ける。碧の光輪の消えたロイドの瞳は、元の青灰色に戻っていた。そのけぶるような色を静かに見つめながら、ミーニアが一つの疑問を口にした。


「ねえ、その術って難しいの?」

「いや?術式自体は多少複雑な部類に入るが……難易度よりも、この類の術は一応禁術扱いだから、本来使うことはほぼ無い。何か気になるのか」

「……ごめんなさい、もしかしたら余計なお世話かもしれないから先に謝っておくけど……士長サマの出自が国家機密だったなら、髪も目も最初から染めておけばよかったんじゃないかと思って。ほとんど城から出なかったのも、見られちゃいけなかったからなんでしょう?」

「ああ、うん……」


 口許に片手を添えたロイドに代わり、一度目を伏せたサフィラが答える。


「きみのその髪、上半分が元の色だろう。残りは染め物用の染料か何かで染めたのか」


 問いで返され、思わず自らの髪へ手を伸ばしたミーニア。指で挟んだ毛先は薄い金色、耳朶から上辺りからは赤毛に近い明るい茶色。サフィラが言う通り、元の色は後者だ。


「そうだけど……?ジェンと一緒に試してみたの。頭に直接付けるのはさすがにやばそうだったから、下半分だけやってみようかって……で、こんな感じ」

「懸命な判断だ。物と違って、生き物の身体には生まれる前から『記憶』が宿っている。きみのその髪も、ゆっくりとではあるが元の姿に戻ろうとする力が働いている。だから、今の色を維持しようと思えば定期的に染め直さなければならない」

「ああ、伸びてくるとこ、全部茶色だものね。でも、それなら毎日染めれば済む話じゃないの?」

「『頭に直接付けるのはやばそう』と、きみも言っただろう。染料でも生命術でも、その辺りは同じだ。本来の姿から変えようとすればするほど、その分身体に負担がかかる。頭髪のようにそれ自体は痛みを感じない部位でも、続けるほど負担は蓄積されていく」


 理解したらしいミーニアの眉間が寄る。本来の色の部分よりもパサついて千切れやすくなった、金色の毛先を無意識につまむ。


「なるほど……一日二日ならともかく、ずっとは無理ってことね」

「そういうことだ。その代わりに、先代の士長だった父が箝口令かんこうれいを敷いたんだそうだ。私の外見に関する情報が出回らないようにと、城に出入りする全ての人間に誓約書を書かせていたと」

「ふーん……」


 それだけで、果たしてどこまで効果があったのかはミーニアにはわからない。人の口に戸は立てられないとはよく言う。そうでなくても、城内に常駐する人間だけでもかなりの数になるはずだ。「この人もなかなか苦労してそうだな」と、元孤児の少女は青年の美麗な横顔を見つめた。


「さて……」


 思案顔で二人の会話を聞いていたロイドから、声が上がる。サフィラを見下ろすその瞳には、光輪が現れている。また天眼を開いたようだ。手配書には、「青い髪、薄紫の目の」とあった。髪は黄金色に染まった。となれば、次は——


「髪はともかく、目は少し痛いと思う。我慢してくれ」


 言いながら、再び腕を伸ばす。今度は頭にではなく、右手を左の頬へ添える。親指のふちを、眼球のすぐ横、目尻ギリギリの位置にそっと置く。気遣ったのだろう兄のその言葉に、弟は鋭い視線と嘲笑で返した。


「どれ程の痛みだと?十年……もう十年、前線で戦ってる人間に言う言葉ではないな」


 ロイドの表情が、一瞬強張ったようにミーニアには見えた。レジーナも、驚いて固まり、すぐにまた悲痛な顔に戻ってしまった。彼らの方が自分たち二人よりずっと大人のはずなのに、まるで反抗期の子供と接しているような気分になってくる。


(この……なんてめんどくさい兄弟……)


 もうこうなったら、さっさと終わらせて目的の場所へ向かってもらおう。とりあえず、二人が出て行ったらレジーナには家にある一番上等なお茶とホットミルクを振る舞おうと、ミーニアは一人心に決めた。






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