十二 「水底の真実」

「異国の……血…………」


 小さく反芻したジェンが、じっとサフィラを見つめる。その眼差しに憧憬の色が滲むのを、ミーニアは見逃さなかった。

 まだ二人がロイドと出会う前、サフィラが一躍時の人となると、その噂は下水街でも隅々まで行き渡った。属性術を利用した発明品を次々に生み出す異色の魔術士長の存在に、物作りに長けていたジェンはあっという間に夢中になった。学舎に入る前の将来の夢が「士長様と一緒に働く」だったほどだ。大人になり現実を見るようになって落ち着いていったその熱が、今の告白で再び燻ってしまったようだ。こんな状況でなければ、弟子入り志願でもしていたかもしれない。


 気を取り直すように、ミーニアも青髪の魔術士を見つめた。


「無謀すぎると思ったのよ。この国がいくら広いと言っても、いつまでも逃げ回れるほどじゃないし、いつか捕まるのは目に見えてる。それが分からない王妃様じゃないとは思ったけど、あなたと一緒に国外に逃げて欲しかったのね」

「なるほど……一度他国へ渡ってしまえば、『時空海は渡れない』って公言してしまってる以上、表立って捜索するのが難しくなるのか。なら、早く手頃な船を探して、今夜にでも出立したほうが——」

「ことはそう簡単じゃない」


 重々しいロイドの声に、遮られたジェンが首を傾げる。


「もし誰でも自由に他国と行き来ができるなら、国家が総力を上げて隠したところでたかが知れてる。国がバラバラになったことで苦労してるのは、なにもここだけじゃないだろう。それが二百年もバレずにいたのは、相応の理由があるはずなんだ」

「……もしかして……何か制約がある、とか?」


 ミーニアの答に、ロイドが頷く。


「そう……時空海を渡るためには、恐らく何らかの条件がある。そしてそれを満たさなければ、『時空ときの海』を渡ることは出来ない。時空海がなぜその名で呼ばれるようになったか、聞いたことはあるか?」


 二人が大きく首を横に振ると、ロイドが続ける前にサフィラが口を挟む。


「ただの噂だ。実証されたわけでもない。今、必要か?」

「可能性の話だよ。ただ、俺はほぼ真実だと思ってる。一度、人魚達に言われたことがあるんだ。『時空ときを正しく渡れないのは、人だけだ』と」

「人だけ、って……人魚達は渡れるってことですか?……ん?『正しく』って?」


 ジェンの疑問に、ロイドは淡々と言葉を紡いだ。


 その昔、目の前に広がった得体の知れない黒い水面に、人々が最初に抱いたのは畏怖だった。果ての見えない不気味な海を誰もが恐れ、遠巻きに眺める事しかできなかった。

 だが数日の後、最初の一人がその輝く水へと、恐る恐る手を伸ばした。触れても何も起こらないことが分かると、次に両足を水中へと下ろした。全身が浸かりきっても、水が身体に害を為すことはなかった。

 そしてそれを皮切りに、数艘の船が造られ、雨の国の民は未知の海へと漕ぎ出して行った。神話でも語られているように、その船団が無事に帰ることはなく、人々は再びこの海を恐れるようになった。


 だが、この神話には、実は「続き」がある。


「最初の船が沖へ出てから二月近く経って、その船が突然の帰還を果たした。無人の状態でな」

「え?戻った船は無かったんじゃ——」

「正確には、あったんだ。ただし……ぼろぼろに朽ちて、まるで何十年も彷徨ってたみたいな姿になってな」


 室内に、沈黙が降りた。








「なんて言うか…………」

「何も信じられなくなりそう」


 溜息混じり苦笑いのジェンと、脚を投げ出し肩を竦めるミーニア。二人と交互に顔を見合わせたロイドも、暖炉前へ移動しながら自嘲気味に微笑んだ。四人の前に立つと、片手を腰に置き全員を見渡した。


「ここまでの話を整理しようか」


 その声に、全員の表情が真剣なものに変わる。思案するように顎に手を添えながら、ジェンがロイドの提案に応える。


「とりあえず、ですけど……時空海は、普通に渡ろうとすると時間の中で迷子になる?って認識でいいのかな。そうならずに海を越えて、他の国へ辿り着くためには何か制約があって、それを探すためにお二人はロイドさんの所に来た、ってことでしょうか?」


 ロイドが頷き、険しい表情のままのサフィラがジェンの言葉を肯定した。


「その通りだ。私達自身が表立って行動出来ない以上、城内の事情に通じていてある程度身動きの取れる協力者が必要だった。何かのヒントになるはずの例の本のことに関しても、把握している人物の方が話が早い。だから、頼らせてもらった」

「そういえば、その本、『没収された』って言ってましたけど、今どこにあるんです?」

「母が——クラヴィア・メンシズが管理している。本当は城を抜け出す前に預かる手筈だったんだが……予定が早まって、回収することが出来なかった」

「予定?」

「ジェン、ちょっと待って。一番大事なこと、聞いてない」


 首を傾げた兄に制止をかけながら、妹が小さな王子を見据えた。


「士長サマが殿下を任された理由はわかった。でも、そもそもどうして王族が国外逃亡なんてしなきゃいけないの?その本と関係あるのって、貴方の方なんでしょう?」


 全員の視線が、再びレグロに集まる。王子は目線を落とし、膝の上の両手を握りしめている。その背に手を添えながら、サフィラがロイドを睨んだ。


「あなたは、気付いているはずだ」


 今度は、ロイドに視線が注がれる。


(……話せってことか)


 軽く息を吸うと、静かな声で、自らにも確かめるようにロイドは話し始める。


「俺が例の本を初めて読んだとき、史実と違った点があったと話したな。男子しか生まれないはずの王家の系譜に、一人だけ女児の名前があった、と。そしてその名前の人物は、生まれる前に亡くなったように表されていた。それが何年だったか覚えてるか?」

「えっと……冠雨歴……九十年、でしたっけ?」


 ジェンの返答の声に、ハッとしたようにミーニアが目を見開いた。まさか……という小さな声に、ジェンは疑問符を浮かべている。妹の方が、先に事態を把握したようだった。飲み込めていない様子の兄に、ロイドはもう一つ、ダメ押しの質問を投げかけた。


「来年……もう三日後だが、年が明けたら何年になる?」

「え?二百年、ですよねちょうど。レグロ殿下の十歳の記念式典も重なるから、いつもよりみんな楽しみにしてて——それが何か関係あるんですか?」

「もう、なんで気付かないのよ?!二百年に十歳になるってことは、生まれたのは何年?!」

「え?!えっと、百九十年——あっ!?」


 ようやく気付いたらしいジェンも、驚愕の表情で王子を見つめる。これで、やっと次の動きに踏み出せる。最後のピースを嵌めるように、ロイドが告げる。


「通常、ディウィティア王家には男子しか生まれない。それも、必ず一人だけだ。前例のない第二王子の誕生は、陛下がご側室を迎えた結果起きたイレギュラーだと、世間では思われてる。だが、本当の理由は違う」


 ロイドが核心を告げる前に、そっと、レグロがソファを降りた。四人の前に濡羽色の王子が立つと、窓から差した暗い光が、ぼんやりとその小さな姿を浮かび上がらせた。

 王子が、胸の前に片手を当て、目を閉じ恭しく頭を下げる。顔を上げ再び開かれたその両目の漆黒。最初は高貴な黒曜石のようだと感じたのに、なんだか今は、時空海の色に見えてしまうなと、ふとジェンは思った。




「私の、本当の名は、レジーナ・ディウィティア。この国の……二人目の第一王女です」






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