十一 「歴史は騙る」
「大丈夫か」
ロイドが問うと、サフィラがフンと鼻を鳴らす。かと思えば、床に膝をつき自身を心配そうに見つめるレグロには、「平気です」と微笑んで見せている。あからさまな態度に、ミーニアの眉間に皺が寄る。
「傷の事を言っているなら、さすがは『天才』、僅かな痛みも残ってはいない。熱の事なら、放っておいても半日もすれば引くだろう。その程度のこと、『視た』ならわかるはずでは」
「まあな。それだけ元気なら問題ない。本題に入りたい……話せるか?」
「無論だ」
弟の皮肉めいた物言いにも、ロイドの声色は変わらない。ただ、ミーニアの眉間の皺だけが深くなる。
ソファから脚を降ろし座る姿勢になったサフィラの膝に、レグロが毛布をそっとかけ直そうとする。慌てたサフィラがその小さな手を制し、自分の周りに毛布をかき集めた。
王子はそのままサフィラの隣に座り、ジェンとミーニアも居住まいを正した。全員が聞く姿勢になったところで、サフィラがロイドを見る。
「彼らには、どこまで?」
「本を見つけて、ザインとマグナスと知り合って、二人も本のことを知ってる、と……まあその辺だな」
「……それだけ?」
「あとは任せる」
「呆れた。あと三日は起きなくてもよかったか?」
「ねえ、早くして欲しいんだけど」
ミーニアの尖った声が飛ぶ。一度息をついたサフィラが、暖炉を見つめながら話を継いだ。
「結論から言おう。例の本のことに関しては、それ以上何もわからなかった。彼ら二人にも本の存在を明かしてから、三年後父に見つかって没収されるまで、何一つ。私達四人であらゆる角度から調べたが、手掛かりすら掴めなかった」
「えっ?それじゃあ、なんでその話から始まったんです?」
「あなた達二人のどっちかと、関係あるからじゃないの?それか、二人とも……」
「……私に関して言えば、本とは直接的な関わりはない。『その時』が来たら殿下を連れて逃げてほしいと、王妃ミラ様より内密に託されていたんだ」
「託された、って……」
訳が分からないというように瓜二つな顔を見合わせた双子の様子に、サフィラは一度言葉を切った。
二人の疑問は
ロイドが子供時代の話の中でも触れていたように、彼はメンシズの血を引きながら天眼をほとんど使うことが出来ない。代わりに、膨大な魔力をその身に宿して生まれてきた。しかしそれは、治癒士の代名詞とも言える「メンシズ」の人間にとっては、あまりに残酷な現実だった。
「天才と落ちこぼれ」。メンシズの兄弟の噂は国中で知らぬ者はいないほどになった。どちらも市井には降りないため城内にしか顔を知る者はおらず、民はお披露目の儀を今か今かと心待ちにしていた。それがある日を境に、兄は表舞台からその名と姿を消し、弟は一躍救国の光として名を轟かせることとなる。
それまで誰一人まともに扱えなかった属性術の基盤を、サフィラはたった一人で作り上げたのだ。魔力の消費が激しく術式も複雑であるが故に、属性術は戦闘では使い物にならないと言われてきた。だが、彼はその桁違いな魔力と、自らが緻密に組み上げた多様な術式によって、新たな魔術士の在り方を雨の国全土に示した。今では、歴代最年少でアストルムの座に就いたマグナスと並び、この国の防衛の要を担っている。
それだけではない。サフィラが考案した様々な術式は、雨に閉ざされた重々しい生活にも、幾つもの前向きな変化をもたらした。魔石に水の術式を組み込んだ吸水設備は広く普及しているし、燃焼の術式を組まれた魔石を街灯に設置すれば、他のどんな火種より長く、市街に安定した明かりを供給した。
だが、彼ほどの魔力と知識を持った人間は他に居らず、日常的に属性術を扱うことができるのは、現状サフィラただひとりだった。
そんな重要人物を、王妃はなぜ、罪人にしてまで王子の護衛に選んだのか。
「……ジェン、建国の神話は知ってるな?」
唐突に問われ、ジェンが窓際のロイドに首を傾げる。二色に分かれた明るい髪の毛が、ふわりと揺れる。
「戦争に嘆いて世界を割っちゃったって言う、女神様のお話ですか?」
「ああ。大国が七つに割れて、それぞれが小さな国になったと言われている。そしてその閉ざされた世界の中で、各国は生きていくことになった……本当に神なんてものが存在するかどうかは別として、その神話をどう思う。違和感、ないか?」
「どう、って……あんまり深く考えたことないですけど」
「例えばだが——」
窓の外へ顔を向けたロイドが、ちょいちょいとジェンを手招きした。近寄り、同じように窓を覗くと、店の裏側にあたる上水路通りが眼下に伸びている。
「ここから何が見える?」
「何って……道と建物と、所々に人。あとは水路に人魚が二人、ですね」
「いつもと変わらない景色、だな。それがもし——今この瞬間に、全部跡形もなく消えたとしたら?」
読めない表情でそう言いながら、ロイドはジェンに向かって両の手の平を開く。そして、蚊でも潰すようにその両手を胸の前で閉じて見せた。ぱん、と、軽い音が響く。
「火事でも地崩れでも、なんでもいい。もし目の前で、この家を除く周りの全てがなくなったら?そして誰ひとり、そこから姿を見せなくなったら?お前ならどんな風に考える?」
「それは……ここにいる僕たち以外、みんな死んじゃったんだろうなって、普通は思うんじゃ——あっ!?」
何かに思い当たったように、蜜柑色の瞳が大きく開く。
「そうか!目の前が得体の知れない黒い海になって、誰もそこを越えられなかったら、『自分達のいる王都以外は消えてなくなった』って、普通だったら思うはずなんだ!それが、『ちょっと割れただけでちゃんと別々に生きてます』なんて、お互い連絡でも取り合わない限り分からないはず……!」
ご明察、と、ロイドが微笑む。兄に続き事態が飲み込めたらしいミーニアが、不信感の滲む声を上げた。
「じゃあ……時空海って、本当は渡れるってこと?それも、神話が創られたのって世界分断からすぐのはずだから、かなり早い段階でそれは判ってた、ってことよね?なのに、国民には嘘の神話を語ったの?なぜ?時空海が渡れる海なら、ちゃんと交易した方がどう考えてもみんな楽になるのに……」
ミーニアが唇を噛む。ロイドと出会う前の、明日をも知れぬ凍えた暮らしを思い出していた。最初から国同士が連携を取り、困難な部分を補い合えていたら、雨の国はこんなにも貧しくはなかったはずだ。自分達は運よくロイドに拾ってもらったが、地下街は今も、住む場所も食べるものも、奪わなければ手に出来ない人達で溢れている。あまりの理不尽に、悔しさが込み上げる。
ジェンも同じくらい憤っていたが、拳を握る妹の姿に、深呼吸で心を静めた。こういう時、冷静でいるのは兄たる自分の役目だ。
「……なにか、嘘をつかなきゃいけない理由があったってことですよね。それも、こんなに大事なことを二百年も隠し続けなきゃいけないほどの、とんでもないなにかが」
「それがなんなのかは、俺にもわからない。ただ、国にとっていなくなれば困るはずのサフィラが、いまここにいる理由はそこにある」
はっとしたように、双子が兄から弟へと視線を移した。
誰もが目を奪われる、派手な青い髪。希少な宝玉のような薄紫の瞳も、この国ではあまりにも馴染みが無い。
「この国では」、彼以外に、いない。
王子レグロが、気遣うようにサフィラの肩にそっと手を添える。少し驚いたような
「俺とサフィラは、母親が違う。それはさっき話した通りだが——」
「いい、私が話す」
「……わかった」
一度深く息を吸ったサフィラは、腹を括ったように静かに顔を上げた。
「私は……私を産んだ人物の名を、知らない。どんな人だったのかも、父は何も教えてくれなかった。ただ一つだけ、父が私を守るために教えてくれたのが、ミラ様が殿下を私に託した理由だ。私は…………異国の血を引いている」
三人分の息を飲む音が、薪の爆ぜる音と混ざる。
ジェンは思った。有り得ない、と、数分前の自分なら否定していただろう。だが今なら、何もかもがすんなりと腑に落ちてしまう。
有り得ないのではない。この国にとって、サフィラは「有り得てはならない」存在なのだ、と。
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