一章
十 「閑話休題」
ゆっくりと、意識が浮上する。
とても懐かしい夢を、見ていたような気がした。
パチパチと、薪のはぜる音が心地良い。頭上から聞こえる数人の話し声の中に、夢の中で常に共にあった者の響きを感じて、薄く目を開ける。少し力を入れただけで酷く重い目蓋に唇を噛み、諦めてすぐに閉じた。どれだけの時間、眠っていたのだろう。せめて会話だけでも聞き漏らさぬようにと、肩にかかる毛布をそっと握った。
ロイドが語る過去の出来事に、ジェンとミーニア、そして王子レグロは、静かに耳を傾けた。双子にとって、彼の口から出る人物の名は、どれも雲の上の存在だった。家族だと思って接してきた親代わりの青年は、知れば知るほどに自分達との間に溝が生まれていく。下水と暗闇と無法者達の街で、突如差し込んだ月明りのように現れた青年の姿が、鮮明に脳裏に浮かんだ。
暖炉の熱が行き渡り始めた隠れ家の一室で、全てが始まった十九年前のことを、ロイドは淡々と話した。
士長家の跡取りとして育ったアルビスと、弟のサフィラ。謎多き執政家の一人息子、ザイン。後にアストルムとなった、町人の子マグナス。四人は友人になり、各々程度は違えど今も少なからず親交があること。
そして、アニマの宿る本のこと。少年達がこの不思議な本の秘密を共有するようになるまで、それほど時間はかからなかったという。
ひとつ息をつきロイドが瞼を伏せると、様子を伺うようにジェンがそっと右手を挙げた。
「質問、いいですか」
「ああ」
「その本、家系図って言いましたよね?ロイドさんが見た、今の王妃様のページって、その後結局どうなったんですか?一応予想はついてるんですけど、本当にその通りになったのかなって」
ジェンが言っているのは、ロイドの目の前で家系図の内容が更新された時の事だろう。現国王イーオンから二本目の線が伸び、王妃ミラのページが二分割された。およそ十九年前、まだ双子達が産まれる前の出来事だ。
「恐らくお前が予想してる通りだよ、ジェン。あの日、父と母が召集された会合。議題になったのは、陛下が御側室を迎えることの可否だった」
「じゃあやっぱり、その本は本当に生きてて、記録してたって事ですね。すごいや」
そうだな、とロイドが相槌をうつと、今度はミーニアが無言で挙手をした。促すように、軽く首を傾け視線を渡す。
「質問というより確認なんだけど……つまり、その夜、国王様がもう一人妻を迎えることを決心されたから、そういうふうに本が更新されたってこと?」
「その通り。ミラ王妃、つまりレグロ殿下の母君は、御成婚後長くお世継ぎが出来なかった。当時の術士長だった俺の父が精細な
「……天眼ってそんなとこまで『視える』の?」
「いい質問だな。正直、その点に関しては俺もずっと引っかかってる。少なくとも、俺にはそういった所謂『体質』の部分までは視えない。アニマが『生物の現在の状態』を表すものである以上、流査にも限界があると思ってる。当時、なぜ父がそういった判断をしたのか、俺にはわからない。まあ、肉眼と違って視力を測る方法もないから、絶対とは言い切れないけどな」
「ふうん……」
自分から外された視線を追って、ミーニアはロイドの瞳を見つめた。
ミーニアは、ロイドの眼の色をとても綺麗だと思っている。落ち着いた色合いが、彼によく似合っている。その青灰色の瞳が僅かに険を帯びたのを、長い同居生活の中で初めて見た。父親の話題になると、ロイドは複雑な表情をする。
ロイドが何も喋らなくなったことで、室内は急に静かになった。ジェンが席を立ち、下火になった炉に薪をくべる。その様子を眺めながら、ミーニアは横目で王子の様子を伺った。
「王妃様、すごい悩んだんでしょうね。あたしだったら絶対無理。別の妻とか」
火搔き棒を片手に、兄が咎めるように妹の名を呼ぶ。王子レグロは、悲しげに窓の外を眺めた。
「父上と母上は……不仲だと、やはり思われているのでしょうか」
王と妃との間がうまくいっていないというのは、誰もが一度は耳にしたことがある噂だった。成婚前から囁かれていた噂話が、二十年以上経った今でも生きていて、それがこうして王子の耳にまで届いている。娯楽が少ないのも困りものだと、ロイドは気遣うようにレグロに応えた。
「王家が正妻以外に
「それは……どうして、そう思うのですか」
「少し、差し出がましいことを言いますが……殿下が今こうしてここにいることが、その証だと俺は思います」
「それは、どういう……」
「……詳しいことは、城に戻られてからご自分でお確かめください」
ロイドがふわりと微笑むと、困惑したようにレグロが目を見開く。
「城に……戻る……?」
反芻するように口にしたレグロを挟んで、ジェンとミーニアが顔を見合わせる。城下の町でさえ、今朝の有様だ。少なくとも暫くはどこかに身を潜め、渦中の城へは近付かないのが賢明な判断ではないのか。炉の調整を終え元の席へ戻りながら、ジェンが疑問を投げる。
「戻るって……忘れ物しましたー、とかじゃないですよね。ロイドさんの実家なら、抜け道とか知ってるのかもしれないけど……なんのために?わざわざ捕まりに行くみたいなこと」
「俺が城を出たのはもう十年も前だ。抜け道もなにも、自分の部屋の場所も覚えてるか怪しい。それでも、遅かれ早かれ城に潜入することになるはずだ。俺の推測が正しければだが」
「もったいつけてないで、早く教えてよ。聞く準備できてるけど」
そうだな、と返しつつ、ロイドは一度姿勢を崩し、大きく肩を回した。
「少し、休憩しよう」
言いながら立ち上がり、窓際まで歩くと壁に軽く凭れる。「喋りすぎて疲れた」と冗談めかして言えば、双子と王子も、張っていた緊張の糸をゆるゆると解いた。
「あ。今更ですけど、僕たちこれからロイドさんのこと何て呼んだらいいんです?『アルビスさん』?もしかして『アルビス様』?」
「『様』はないでしょ、さすがに」
思いがけない提案に、ロイドは面食らった。年月で言えば「アルビス」だった期間の方が遥かに長い。それなのに、城を出て自由気ままに暮らした「ロイド」としての
「今まで通りでいい。ロイドで。俺は表向き、父から勘当されたことになってる。メンシズじゃなくなった以上、アルビスと名乗る資格もない」
「そうなんだ……もったいないですね。せっかくかっこいい名前なのに」
「それは…………ありがとう」
「……なんでそこで照れるんです?」
口許を片手で隠し目を逸らしたロイドの様子に、ジェンは肩をすくめた。本当に、この人の感情の起伏ポイントはよくわからない。謎だ。
どこを見るでもなく窓の外を眺めながら、ロイドは首の後ろで束ねていた髪をするすると解き、少し横の位置に結び直しながら言った。心なしか、居心地が悪そうに見える。
「名前の意味を知ってから、どうもしっくりこないというか、荷が重いというか……」
「へえ。意味って?」
「…………『白い宝石』」
間が開くこと、たっぷり十秒。ジェンが吹き出した。
「ふっ……はは!」
「別に、合ってなくはないと思うけど……まあ…………ふっ」
ミーニアも、肩を震わせている。愉快そうに笑う双子と、首を傾げ大きな瞳でロイドを見つめる王子。ロイドの雨具屋での生活態度を知る二人からすれば、その姿と宝石とはどう頑張っても結びつかないのだろう。昔の自分なら憤慨して食って掛かるところだろうが、今はこの気兼ねない距離感が心地よいと感じるのだから、人間変わるものだ。
ふと思い至って、ちらりと暖炉前のソファに目をやる。小さく、毛布が身じろぎした。
「ちなみに、『サフィラ』は『青い宝石』だ」
言い終わると同時、毛布の塊が動く。
「余計な……ことを言うな」
唸るように言い、サフィラが緩慢な動作で身を起こす。頭痛がするのか、片手で額を押さえている。
「っ!!サフィラ!目が覚めたのですね!」
弾かれたように、小さな王子が駆け寄り、その背を支える。
和やかだった室内に、再び緊張感が満ちる。ロイドは天眼を開き、弟の様子を窺った。発熱は、依然としてある。だが、疲労が示すアニマのブレは、ほとんど視られなくなっていた。「余計なこと」を言ったロイドを、睨む元気もあるようだ。ならば。
(ここからが本題……か……)
照らし合わせなくてはならない。ロイドがかき集めた情報と、そこから導いた推測と。サフィラが抱えている、この国の「嘘」と。レグロが背負う、過酷な真実とを。
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