十 「二番目の友達」
「……で」
仁王立ちのアルビスと、隣には愉快そうに微笑むファヴラーが並ぶ。
切長の瞳がじとりと眺めるのは、せっせと林檎をカゴに放り込んでいる少年、自称精肉屋。そういえば、まだ名前を聞いていない。当の本人は、剣呑な視線を送るアルビスを一度チラリと横目で見たきり。相変わらずご機嫌で、さっきから軽快な動作に鼻歌まで混じっている。
溜息ひとつ、あいつはどこの誰なんです、と、自身も手を動かしながら師を仰いだ。
「本人に直接聞いてみたら?活発な子だから話すと楽しいと思うよ」
「そうじゃなくて……喧嘩両成敗って言葉、知ってますか」
もともと、いがみ合っていたのは彼と見習いグループだ。当事者なのに一人だけお咎めなしなのかと、むくれたアルビスにファヴラーが苦笑で返した。
「きみの指導者は私、先輩達の場合はユースティア。それぞれちゃんと言い聞かせたから、今回はこれで終わり。彼に関しては、私が叱責する権利はないかな」
「納得いきません。抗議します」
「また……どこでそんな難しい言葉覚えるの?もちろん、今日あったことは彼のご両親にちゃんと報告しますよ。お母さん、なかなか怖い人だよ。下手したらユースティアより怖いかも」
言い聞かせた、というより、言って聞かないので物理的に捻じ伏せた、の方がしっくりくるあの女性魔術士の、更に上が居るというのか。大人の世界は恐ろしい。
納得できたわけではないが、今後の展開を考えると少しの同情心が湧いてくる。可哀想なやつを見るような目で、アルビスは少年を見つめた。その、半分意図的な視線に気付いた少年が、訝しげに眉を寄せる。怒気を向けられても楽しげだったのに、哀れみの視線は不快なようだ。よいしょ、とカゴを抱え直した少年が、アルビスとファヴラーの所へやって来た。カゴいっぱいに、赤い林檎が詰まっている。
「よ。さっきはありがとな。えーと、なんだっけ……あ、アルビスか」
「覚えなくていい」
「なんだよ。さっきのアレ、すごかったって言おうと思ったのに」
「俺はお前の名前も知らない。赤の他人に褒められても、全然嬉しくない」
「ふーん?名前教えたら良いのか?」
「別に、知りたいわけじゃない」
「……お前さ、友達いないだろ」
「いる。余計なお世話だ」
くっくっと、背を向けたファヴラーの肩が震えている。何が面白いのだろうか。一刻も早くこの「後始末」を終えて、弟を連れて自室に帰りたい。出来ることならザインも一緒に。とは言っても、彼には家の事情があるだろうから、本当に「出来れば」でいいのだが。
そんなアルビスの胸中を知ってか知らずか、少年は構わず話し続ける。
「お前、歳いくつ?近いよな、たぶん」
「…………十」
「お!俺のが一個上だな」
「だから何だ」
「何ってことはないけど。さっきはごめん。まあ、あれだよな、俺ん
「……なんで俺が長男だと?」
「なんとなく?」
「なんだそれ。俺は別に、大変じゃない」
手のかからない弟一人だけだし、と、心の中で付け加える。
「そうか?弟はまだ分かりやすいけど、妹達なんか何考えてるか全然わかんないぞ、うち。お前んとこのは……なんかすげえ気強そうだよな。でも、めちゃくちゃ可愛い」
「……は?」
なにか、微妙に会話が噛み合っていない気がする。なにか、微妙な勘違いをされている気がする。
そして良いのか悪いのか分からないタイミングで、サフィラとザインが戻って来た。カゴの中はまだ半分ほどだが、二人とも重くてこれ以上は持てなかったと、申し訳なさそうにザインが告げた。サフィラはまだ俯いている。目元が、少し赤い。
ファヴラーがカゴを受け取り、二人を労った。足元にカゴを置くと、「あとはお兄ちゃんズがやるから、少しだけ待っててくださいね」と、二人と目線を合わせて微笑んだ。
二人が「お兄ちゃんズ」の方へ視線を向けると、待っていたかのように、少年が動いた。すっと一歩前に出て、「よお」と片手をあげる。
「はじめまして、だな。俺はマグナス。よろしくな。週に二回うちの親が仕事で城に来てて、今日は俺もたまたまついて来てたんだ。さっきは、巻き込んでごめん」
マグナス。そうか、こいつはマグナスというのか。
結局、自分には名乗らなかった少年の後頭部を睨みながら、アルビスは腕を組んだ。ザインです、サフィラです、と二人がぺこりと頭を下げると、マグナスが更に一歩、前へ出た。距離を詰められたサフィラが、反射的に金色の瞳を見上げる。
「ところでさ、好きなやついる?」
「……はい?」
また一歩、マグナスが距離を詰める。今度は、雰囲気に押されたサフィラが一歩身を引いた。
「いないなら、まずは友達でいいからさ。あ、お前らの兄貴とは、さっき友達になった」
「なってない」
「そうだっけ?じゃあ今から友達な」
即否定したアルビスに、マグナスもまた瞬時に切り返す。わけがわからないのは自分だけなのかと、サフィラの瞳が泳いだ。
「いったい、なんの話を——」
「ん?俺の周り、けっこうカノジョ出来たり好きな女子いたりして、なんかいいなって」
「それがなにか」
「まあ、会ったばっかりだけど……俺もいつかカノジョ出来るなら、お前がいいなって」
「…………は?」
「まあお互いまだ子供だし今すぐじゃなくても全然構わないんだけど」とかなんとか、心なしか照れ笑いのマグナス。絶句する弟の横から、ザインがちらちらとアルビスに何か言いたげな視線を送ってきている。わかっている。気付いてはいるが、アルビスにだって、こんな時なんて言うべきかなんて見当もつかない。とりあえずは、マグナスと会話が噛み合っていないと感じたのは間違いではないようだ。
恐らく、彼はサフィラをアルビスの妹、ザインを弟だと思っている。自分も弟妹が多いからと言っていたのは、そういうことだろう。
勘違いされている当人の顔色を窺うと、固まっていた藤色の瞳がキッと上がり、握られた拳は震えている。ああ、これは相当きてるな、とアルビスが目を細めるのと同時。
「他を当たってください」
フンと鼻を鳴らし、ローブの裾を翻したサフィラは、「行きましょう」とザインの手を引いた。想定内だったのか、やっぱりだめかと小さく呟いたマグナスが、アルビスの方へ振り返った。
「はは。やっぱり、お前の妹気強いな」
早足で歩き出していたサフィラが、足を止める。引っ張られ気味だったザインが、勢い余ってよろめいた。
「『僕』はその人の『弟』です。そんなこともわからない人とは友達になれません。もちろん、カノジョとやらにも。では失礼」
語気荒く告げたサフィラに、彼より小柄なザインがぐいぐい引っ張られて行く。一度だけ振り返った、いつも無表情な人形のような顔が、困ったようにではあったが確かに笑っていたように、アルビスには見えた。
目を丸くして二人の後ろ姿を見送りながら、マグナスが信じられないというように息を吐いた。
「……まじ?」
「何が」
「あれ、弟?」
「そうだ」
「まじか……さらば俺の初恋。じゃあ、もう一人の小さい方は?」
「『いる』って、言った」
「……絶対嘘だと思った。ほんとにいたんだな、友達」
ふうん、とこぼした声には、面白がっているような響きがまた戻ってきている。嫌なやつだと思っていたのに、アルビスは少しだけこの金眼の少年に興味が湧いてきていた。友達になるかどうかは別として、城の外の話を聞いてみたい。弟と友人が去って行った方をまだ見つめているマグナスにどう声をかけようか悩んでいると、徐にマグナスの方が口を開いた。
「あ。忘れてた、林檎!」
「……あ」
気付けば、ファヴラーの姿がない。思わず、二人顔を見合わせた。サフィラ達が取り残して来ただろう区画の方へ走ると、タイミングよく角を曲がって白いローブが現れた。両手に下げられたカゴの中は満杯だ。「終わったよー」と朗らかに声をかけられて、さすがに申し訳なくなった二人は、それぞれファヴラーに謝意を伝えた。
「大丈夫ですよ。楽しそうだったし、水を差すのも悪いかなと思って。でも私も残業は極力短くしたいし、終わらせて来ちゃった。一応、新婚だしね」
「……新婚?!」
少年二人の声が重なった。
このふわふわした兄ちゃんに嫁がいるのかと、父親が恐妻家のマグナスは思ったし、教え子であるアルビスにとっても、彼が既婚者だというのは初耳だった。二人の反応が心外だったのか、収穫した林檎の計数をしながら、ファヴラーが口を尖らせた。
「そんなに意外かなあ。アルビスくんのご両親とは同期だし、年齢的には子供が居てもおかしくないけど。それに、お嫁さん、きみたちも会ったことあるよ」
「……え?」
「ついさっき」
「…………?!」
驚愕の表情で顔を見合わせた少年二人に、温和な魔術士は柔かに目を細めた。
どこへ行くのかと、尋ねたが答えはなかった。しばらく好きに歩かせていたら、温室の出口まで来てしまった。
メンシズの領域を出れば、城内には祖父に与する者達の目がそこかしこで光っている。ときどき目元に袖を押し当てながら先を歩く、異質なほど鮮やかな髪の持ち主をそっと呼び止めた。
彼らの両親と鉢合わせする危険もあった。
それも悪くないかと心のどこかで思いながら、家まで送り届けた。幸い、使用人らしき数人とすれ違っただけで、礼を言われただけだった。また明日、と、少し調子を取り戻したように微笑んだ少年と別れて、帰路につく。
祖父が、母が、彼を「
居館の東端、王宮で最も早く日が翳り始める、執政家の住区。雨衣を脱ぎながら深く息を吸い、自室を目指して脚を踏み入れる。誰も、いない。
無事に辿り着いたことに安堵し、扉を開けて戦慄する。
寝台と書机、空の鳥籠だけが置かれた、がらんとしただだっ広い部屋。その中央、鳥籠と並ぶように、燻んだ長髪の老人が椅子に掛けていた。
鷹のような目と目が合い、喉の奥からひゅっと息が漏れる。
「遅かったな」
「……ただいま、戻りました」
震える指で後ろ手に扉を閉め、動きたがらない脚を叱咤しながら、歩く。椅子から立ち上がった老爺と正対すると、肩に手が置かれた。
「近頃、よく出かけている。あれらとは、仲良くなったのかね」
「……お
言い終わる前に衝撃が走り、冷たい床に頬を打った。
祖父に張り倒されたのだと、気づく前に肩に痛みがやってきた。昨日の傷と、同じところをぶつけたようだ。見下ろす祖父の目は、自分ではない誰かを、遠くに見据えている。
「お前の役目はなんだ?何のために送り込んだと思っている!」
ああ、次は、蹴られる。そう感じ、体を丸めて備えたとき。
少しだけ開けておいた扉が勢いよく開かれ、自分の名を叫ぶ声が聞こえた。駆け寄ってくる華奢な足音に、じわりと何かが胸に満ちる。
自分を庇って祖父の前に跪いた母。その背に伸ばしかけた腕を、そっと引っ込めた。
「ザイン。下がれ」
狂気じみた祖父の視線を浴びながら、大丈夫よとこぼす母の手を引いた。
「……嫌です、お母様」
「お話するだけ。時間、潰しておいで」
祖父は、苛立っている。自分がいなくなれば、次は母が殴られる。わかっているのに、痛む脚を引き摺りながら、部屋から逃げた。
アルビス。サフィラ。彼らは、友人。友達。本当にそうなれたらなどど、一瞬でも思った自分が滑稽だ。
自分の家も、彼らの家とあまり変わらないと思う、と。彼は言った。日毎繰り返されるこの光景を見ても、同じことが言えるだろうか。
理不尽な怒りだと、わかっている。ふつふつと黒い感情が湧き出ては、体に満ちていく。
アルビス。サフィラ。
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