九 「責任」
その後の教士二人の対応は、実に素早かった。
眼鏡の女性魔術士は、どうやら見習いグループこと七十七期生の担当術士だったようだ。ファヴラーの「うちの期の子がすみませんでしたねえ」という間延びした謝罪にかぶせ気味で、「謝るのはあなた達のほうでしょう」と、氷のような眼差しで自らの教え子達を睨んだ。少年たちは気まずそうに口を閉じ、それでも頑なに自分たちは悪くないと主張するリーダー格の少年も、「黙りなさい」の一言で完全に沈められた。この女性魔術士も、ファヴラーとは違うタイプの「怒らせてはいけない人」に入りそうだと、メンシズの兄弟は顔を見合わせた。
軽く状況説明を求められたアルビスの「口論になってたので」というそれだけの言葉で、二人の大人は行動を開始した。赤い果実の帯が走る林檎の木に向かい、難しい顔で何やら相談すること、三十秒。話がまとまったのか、ファヴラーが自称精肉屋の少年の前に膝をつき、目線を合わせる。「ご両親が心配されますよ」と、諭すような声が聞こえた。一方、女性魔術士はアルビス達に向かって深く頭を下げた。
「申し遅れました。彼ら七十七期生を担当しております、ユースティアと申します。お見知り置きを。この度の無礼、どうかご容赦ください」
アルビスです、サフィラです、と二人がぺこぺことお辞儀すると、その隣に立っているもう一人の少年の姿に、彼女は一瞬目を丸くした。ファヴラーもついさっき、同じように「おや」という顔を向けていたが、当のザインはどこ吹く風、ただじっと、林檎の赤い横列を眺めていた。
ザインの存在にはそれ以上触れず、ユースティアは教え子たちにも半ば無理矢理頭を下げさせると、報告に行くから付いて来なさいと、彼らを促した。他の四人は大人しく従ったが、一人だけ、腹の虫がおさまらなかったようだ。ずっと彼らの中心にいた、派手な金髪の少年だ。くるりと、教官と同輩達に背を向ける。大股歩き、足取りも荒く向かったのは、この場の誰より泰然自若な、未来の上司の前だった。
よほど悔しいのか、無理矢理笑顔を作ろうとしている目もとは歪で、寄せられた眉根と引き攣り弧を描く口角に、アルビスの脳内で警鐘が鳴った。
「わざわざ実力をご披露いただき、ありがとうございます。本当に……生まれ持った能力というのは、実に便利なものですね?」
「……何が言いたいのです」
「大した努力もなしに、その血筋だけで評価されるのはさぞ気分がよろしいでしょうかと。ああ、ですがいくら天才と言っても、大きな『お荷物』を抱えては、前線では苦労されるかもしれませんが」
「……荷物?」
青灰色の瞳の温度が下がる。その微妙な変化に少年も気付いたが、態度は変えない。更に威圧的な形相で、頭一つ分小さな敵対者を見下ろした。
「おや、まさかご存知ないのですか。噂になっていますよ?
言い切る前に、鉄拳が飛んだ。
アルビスではない。制裁を加えたのは、女性の腕だった。細腕とはいえ、横顔に張り手ではなく正真正銘の拳を受けた少年は、大きく体勢を崩した。
数歩よろめいた後、信じられないものを見るような目で己が教官を見つめる。その場にいた全員から驚愕の視線を向けられながら、ユースティアは二度、殴った方の手首を大きく振った。
「その減らず口から次に出るのが謝罪の言葉でないのなら、すぐにでも然るべき処置を取らせてもらいますからそのつもりで」
「し、信じられない!これは体罰です!」
「言って良いことと悪いことの区別もつかないような愚か者が、何を喚こうが知ったことですか。それにその程度の怪我、自分で治せないのなら魔術士失格ではなくて?」
「うっ……」
申し訳ありませんでした、と、蚊の鳴くような声を最後に、七十七期生達とその教士は引き上げていった。
呆気に取られ呆然と立ち尽くしているアルビス達の所に、「お待たせー」という声がかかった。いつの間にいなくなっていたのか、ユースティア達が去って行ったのと反対の方向から、ファヴラーが歩いて来る。両手いっぱいに、持ち手の付いたカゴを抱えている。林檎の収穫用のカゴだ。
「はい」と笑顔で、カゴが差し出される。俯き気味に受け取ったサフィラに、ザインが続く。「一番遠くから始めて、こっちに戻って来て」という指示に、二人は無言で従った。今にも泣きそうな顔で背を向け、足早に歩いて行くサフィラの後ろを、ザインが追いかける。鈍色の頭が一度振り返り、アルビスにそっと
自分も追おうと手を伸ばしたアルビスの前から、スッとカゴが姿を消した。両腕が空を切る。訝しげに見上げると、氷点下の笑顔とバチリと目が合った。カゴは、持ち主の肩の高さまで避難させられている。
「……あの、カゴください」
「んー?聞こえないなー。言うべきことはそれじゃないと思うなー」
「……」
「……」
「…………」
「…………はい、これ。ここから採り始めてくださいね」
カゴが一つ差し出される。ただし、アルビスにではない。
「リョーカイデス」
精肉屋の少年がカゴを受け取り、そそくさと退散する。
「
「……知ってます」
「ですよねえ。あ、不足じゃなければ構わないって話じゃないからね。我が国は生産力に著しく乏しい。余剰が出てしまうと、どこに振り分けるかで即会議です。
まあ、私なんですけど。と、再び向けられる冷笑。
「ていうかアルビスくんさ、確信犯でしょ。違う?」
「……まあ、そうです」
「それで、何か言うことは?」
「……先生、最初は何考えてるかわからなかったけど、すごく優しい人ですよね」
「…………はい?」
この話の流れで着地点そこ?と、優しいと言われた教士はがっくりと肩を落とした。
「過不足とか残業とか……あなたが怒ってるのはそこじゃないと思った、から……」
この少年にしては珍しく、奥歯に物が挟まったような話し方だ。心なしか、気落ちしているようにも見える。
(ああ、そこまで気付いてたのか。本当に頭が良いというか、察しが良いというか……まだほんの子供なのに)
ファヴラーは、目線を落としている教え子の頭をポンと撫でた。
「そうですね。喧嘩してたのは彼等だけど、今回のことで一番しんどかったのは誰でしょう」
「…………サフィラ」
「……うん。そうだね。完全にとばっちりだったし。でも、今後も少なからずこういうことって起きると思う。だから、大事な誰かを守りたいと思うなら、人の悪意に敏感にならなきゃいけない時もあるってことだね。まあ、それってすっごく嫌な作業だけど」
「人の悪意……」
「そう。大人になるとね、すべての行動に責任が伴うようになるし。『責任』ってけっこう怖い言葉なんだよー?でもまあ、その分『自由』も増えるけど」
聡明な少年は、顔を上げ指導者を見つめた。
「なんとなくだけど、わかりました。でも——」
「……うん?」
「そういうの……たぶん、かなり苦手分野です、俺」
笑ってはいけないと思いつつも、思わず笑みがこぼれた。まったく同じせりふを、ファヴラーが見習いだった頃に同期だった友人がぼやいていたのを、鮮明に思い出した。その友人と、同じく同期生だったもう一人の戦友との間に生まれたのが、いま目の前で小首を傾げている少年だ。
「……何かおかしなこと言いましたか?」
「いや?ちょっと懐かしくなっちゃって。きみってほんと、オルニトに似てるなって」
それまでしおらしかったアルビスが、一気に不機嫌になる。
「今の言葉には『悪意』を感じます。今日のことちゃんと謝ろうと思ったけど、やっぱり保留にします」
「ちょっと待った!そういうのこそ悪意って言うんじゃない?とりあえず、きみの行動で今日の残業が確定した私に対して、何か言うことは?」
「ドウモスミマセンデシタ」
完全な棒読み。このやろうなんて生意気なと心の中で思ったが、相手は子供だと自分に言い聞かせて、深呼吸で抑える。
自分達が話し込んでいた間に、もう一人の少年はかなりのハイペースで林檎の収穫を進めていた。カゴには既に、溢れそうなほどの赤色が詰まっている。もう一方から始めた二人の進み具合も加味すると、全体の三分の一は採れたのではないだろうか。
アルビスにもカゴを渡し、まだ残っていた林檎へと手を伸ばしたファヴラーが、ふと違和感を感じ、指先で果実を吟味する。これはもしやと、この術を施した少年を呼び止める。
「アルビスくん!この林檎、もしかして全部——」
振り返った少年は、一度首を傾げると、目の前のひとつを枝から捻りながら、不思議そうにファヴラーへ返答した。
さもそれが当然であるかのように。
「熟度指標、八になるようにしました。ちゃんと全部なってるはず……完熟だと振り分けする前に腐りそうだったから——」
「……前にも聞いたけど、きみいくつだっけ?」
こんな器用な真似ができる人間が、
そもそも、普通であれば花から果実への活性化は、少なくとも果樹一本につき一時間はかかる。一つの樹に限定して
(そもそも、こんな風に部分的に活性化ってできるんだっけ?彼が触れてたのって林檎一個だけだったように見えたけど……)
そういえば彼の父オルニトも、ずば抜けた高精度の天眼の持ち主で、「植物のアニマは地下で複雑に絡み繋がっていることがある。特に樹木の場合は、それがはっきりと広範囲に渡っている」と話していた。自分にはそんな部分までは視えないが、もしかしたらアルビスも、地下のアニマを通して、自分とユースティアの所まで林檎の帯を作ったのだろうか。だとしたら、途方もない話だ。
同期で、友人で、とりわけ親しい仲だったから、自分はオルニトに対して暗い感情を抱いたことはなかった。だがもしそれが、自分より後輩で、歳下で、育成所へ通うことさえ放棄していたとしたら。そしてそんな人間が、これほどまでに自分とかけ離れた力を持っていると痛感してしまったら。
ユースティアに殴り飛ばされた金髪の少年への、一抹の同情心を覚え、ファヴラーは小さくかぶりを振った。
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