五 「はじめまして」

 翌日、午前の講義を終えたアルビスとサフィラは、居館の書室を訪れていた。メンシズを含む魔術士達は、本城となる居館とは離れた別棟に居を構えている。メンシズの居住棟にも書庫はあるが、扱っているのは魔術に関しての書物がほとんどで、狭い室内に整然と棚が置かれているだけの薄暗い空間だ。対して居館の書室は、歴史書や様々な図鑑、解説書や物語など幅広い書物が収められている。広さもあり、窓もあればテーブルと椅子もあり、快適に本を読むことが出来るため、ここでのんびりと余暇を過ごす者も少なくない。ただ、自室から離れていることと、入退室の際に司書の前で記帳しなければならないのが面倒で、アルビスが利用する頻度はそう高くなかった。


 記帳台の前に二人が立つと、書類に目を通していた司書が顔を上げる。眼鏡をかけた初老の女性で、受付に座っている事が多い。司書は二人を見ると、柔かな笑顔を向けた。こんにちは、と、サフィラが声をかける。


「ようこそ、メンシズの坊ちゃん方。今日は空いてますから、どうぞごゆっくり」


 手慣れた様子で万年筆を差し出した司書に、アルビスが尋ねる。


「『ザイン』っていう子供、今日来てないか?」


 唐突な質問に、司書が首を傾げた。慌ててサフィラが補足する。


「あの、僕が何度かここで同い年くらいの子を見かけたと話したら、兄様も会ってみたいと。王家の方でもメンシズでもないなら、セクトールの子ではないかと。それで、名前は母様に聞いて——いきなりすみません」

「あらあら、そうでしたの。ザイン様、いつもお一人でいらっしゃるから、お友達が出来たらいいのにと思っていたのですよ。物静かな方ですけれど、お二人ならきっと仲良くなれると思いますわ。一番奥の、窓際のお席にいらっしゃいますよ」


 サフィラが手早く二人分の名前を記帳する。司書にお礼を言い、入口からは書棚に隠れて見えない一番奥のテーブルを目指した。サフィラがアルビスを小声で咎める。


「……あんな風にいきなり聞いたら怪しまれてしまいますよ?本のこと、内緒にしておきたいのでしょう?」

「お前のほうがよっぽど怪しかった。母さんに伝わったらどうするんだ」

「それは……」

「まあ、その時は俺が適当に誤魔化すから、無理して嘘つくな」

「う……わかりました」


 すみません、と少し不満気に口を結んだサフィラが、突然脚を止めた。その視線の先、目指していた席の方から、書物を抱えた小柄な少年が現れた。鈍色の頭髪に白い瞳、血色の薄い顔は少し青白い。少年もアルビス達に気付いたようだったが、軽く頭を下げるとそのまま立ち止まっている二人の横を通り過ぎて行った。てっきりアルビスが引き留めるものと思っていたサフィラは、少年の後ろ姿と兄の顔とを交互に見つめる。アルビスは何も言わない。その瞳には碧の光輪が現れている。少しずつ離れて行く少年の、腰の辺りで緩く束ねられた長い髪が、左右に揺れている。

 痺れを切らしたサフィラが声を上げた。


「あの、すみません!」

「……なにか?」


 少年が立ち止まり、振り返る。その目は声をかけたサフィラではなく、アルビスを見ていた。アルビスが静かに口を開く。


「ザイン様、でしょうか?執政家の御子息の」

「……何かご用ですか?」

「少し、お時間をいただけませんか」


 アルビスとザイン、二人の視線が交錯する。たっぷり間を置いた後、視線を外したのはザインの方だった。


「構いませんが、少し移動しても?」


 言いながら、既に歩き始めている。兄弟は顔を見合わせ、鈍色の後ろ姿を追う。歩きながら、サフィラがアルビスを軽く小突いた。


「許可なく眼を使うのはマナー違反ですよ?母様にいつも言われてるのに……」

「わざとじゃない。俺のは勝手に視始めるんだ。すぐ閉じただろ」

「そんなことがあるんですか?!僕はなったことないです……気をつけないと」


(……まあ、半分嘘なんだが)


 時々、天眼がアルビスの意思とは関係なく開くことはあった。それは事実だが、ザインを視たのは意図的な行動だった。少し気になったことがあったからだが、嫌な予感ほど当たるというのは本当らしい。今サフィラが知れば動揺するだろうと、流査りゅうさで視たものはしばらくは伏せておくことにした。








「ここって——」

「温室、だな」


 居館を出たザインが向かったのは、メンシズ棟に程近い温室だった。もともと外に出るつもりはなかったのだろう、雨衣を持っていなかったザインがそのまま屋外へ出て行こうとしたのには、二人とも焦った。慌ててアルビスがザインに雨衣を渡し、自身はサフィラが頭上に広げてくれた雨衣の下に入る。書室を出てから、ザインは一言も発しない。雨衣を受け取る際も無言だった。雨足はそう強くはなかったが、ザインとの間には見えない壁があるように感じられてしまう。

 今朝アルビスがセクトールの子息の話をしたところ、サフィラが何度か書室でそれらしき少年を見かけていたことがわかった。彼が言うには「どことなく兄に似ている」と。どの辺を指してそう思ったのか、当の兄には今の所見当もつかなかった。







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