四 「ディウィティアとセクトール」

 その夜、父母の言いつけ通りに夕食も入浴も済ませたアルビスは、灯を落とした自室でベッドに横になっていた。時々体勢を変えながら、アニマが宿る本に何度も目を通す。光輪に縁取られた両眼が瞬きの度に消えては現れ、二対の蛍のように薄闇の中に浮かんでいた。

 うつ伏せになり、両手の間に置いた本のページを捲る。たびたび両親に隠れてこうして深夜まで本を読んでいることはあるが、この本は明かりがなくとも読めるのが有り難い。通常の家系図であれば二百年分など紙一枚で済んでしまうはずだが、本の形にしたのはやはり擬装の一端か。王家の方は一ページに一人ずつだし、両家ともご丁寧に似顔絵まで描いてあるせいで無駄に読みにくいのは難点だった。王家の公式な家系図は以前見せてもらったことがあるが、執政家のものを見るのは初めてだった。気になった点は、三つ。


(執政家の人間だけ、妙に短命なんだよな……だいたい平均三十代で亡くなってる。長い人で五十代前半、早いと二十代前半、か。生命術は建国前からあったはずだから、病気の可能性は低い。魔力で干渉できないような遺伝的体質?聞いたことはないけど……)


 王家の項目に比べて、執政家のページは倍以上の量だった。女神の涙以降、王家には代々男子が一人しか産まれないという、通称「反繁栄の呪い」と呼ばれる現象が起きていた。その呪いと、執政家が短命であることは何か関係がありそうな気がした。


 そして、二つ目。


(王家には男子しか産まれない。それも、必ず一人だけ。この国の人間なら誰でも知ってる。なら、これは——?)


 公式の家系図を知っていたアルビスが、史実と違うと真っ先に気付いた箇所。冠雨歴九十年に、それは起きていた。一ページに一人ずつ、その法則から外れたページがあるのだ。ページ中央には何代目かの老齢の厳しい王の顔が、そして、どういうわけか余白の右下に、別の人物と思われる名前が記されているのである。他と違い、似顔絵は無い。


(『オブリウィア』……命名規則からして女の人の名前だけど)


 名前の横に視線を走らせたアルビスは、表情を強張らせる。彼女の、オブリウィアの名前の横には、生年がなくただ没年のみが記されていた。


(死産の可能性もある……か?王の子が?メンシズがいてそんなこと起こるのか?世継ぎが一人しか出来ないから、懐妊中は士長はほぼ王妃に付きっきりになるって聞いたけど……それに、なんで女の人の名前——)


 パタパタと上下させていた両脚が、ピタリと止まる。思い当たってしまった一つの可能性に、背筋を冷たいものが抜けて行く。


(産まれる前に……消された——?)


 生命術を用いた堕胎は、理論上可能だ。しかし、二つの活性魔術には様々な制約が課されている。属性術を対人的に使用することは全面的に禁じられているし、生命術では、植物以外の痛覚を持つ生物への治癒目的以外での干渉は禁止されている。例えば、故意に外見を改変したり、意図的に苦痛を与えたりといった行為や、生産の効率を上げるために家畜の成長を早めたりする行為は、厳罰の対象となる。使い方を誤れば危険性が高いが故に、明確化された法が求められたのだ。魔力を持つ者は城下にも一定数産まれるが、王宮の育成所でしか魔術の教育を受けられないのは、そういった治安維持の側面もある。


 生命術は扱える人間が限られているが、薬学者が扱う薬ならば、金銭さえあれば基本的には誰でも入手可能だ。何者かが王妃の食事や飲み物に薬を仕込むことも……。

 慌てて大きく左右に頭を振る。不義の子であるならばまだしも、繋がりを見る限り間違いなく当時の王と王妃の子である。唯一イレギュラーだと言える点は性別だけだが、女児であったという理由だけで存在自体を抹消されるなど有り得るのだろうか。もしそうだとしたら、そうせざるを得ない理由があったはずだ。一つ前のページはその王女を身篭っていたであろう王妃の項だが、彼女は王女の没年の翌年にこの世を去っている。享年は二十三。公式の記録によれば、表向きの発表では不慮の事故ということになっていたはずだ。だがもしそれが、事故ではなく、何者かの手に掛かったのだとしたら?或いは、娘の死を嘆き自ら命を絶った可能性も——


「う……んー……」


 突然室内に響いた声に、アルビスの思考は現実に引き戻された。またか、と思いつつ、肉眼で部屋の反対側を見る。最初こそ「何かわかりましたか?」だの「何か気付いたら教えてください」だの、向かい側のベッドからひっきりなしに質問してきていたサフィラだったが、適当に返していたら大人しくなったのがたしか一時間程前。眠ったのだろうと放置していたが、何かもごもごという唸り声と、ごそごそと寝返りをうつ音が聞こえる。


「おーい。大丈夫か」


 返事は来ないと分かっていたが、つい声をかける。来たらそれはそれでちょっと困るのだが。

 サフィラは、寝相があまりよろしくない。こうしてよくうなされているし、何より寝付いてすぐと朝方の寝言がちょっと凄いのだ。いつも起こすべきか悩んで、結局好奇心に勝てずに観察してしまう。あまり酷いようなら起こそうと思いつつ、聞き耳を立てた。


「あの……わ……………間違えた」


(何をだ)


 思わず声に出しそうになった。夢の内容が気にはなるが、起きてから聞いたところで覚えていないだろう。そっとベッドから降り、落ちそうになっていた上掛けを直してやる。顔を覗くと、目尻に涙が溜まっているのが見えてぎょっとする。泣くような夢だったのか。やはり起こすべきかと手を伸ばし、触れる前に考え直した。起こすことはできる。だが、それだけだ。もし悪夢を見ていたとして、自分は気の利いた言葉の一つも言えないし、母のように優しく頭を撫でてやることも、きっと出来ない。では父なら?あの人もきっと何もしないが、目が覚めて目の前に父の顔があれば、それだけでサフィラは落ち着くだろう。彼は父母を心から愛し、尊敬しているから。それは、今のアルビスには理解できない感情だった。


 少しもやもやして、のそのそと自分のベッドに戻る。今度は仰向けに寝そべって、顔の上で本を開いた。そうだ、今はこれを調べなくては。三つ目の疑問は、両家の最後のページにあった。


(現国王のイーオン陛下と、王妃ミラ様も載ってるんだよな……似顔絵付きで。没年の記載がある人達の絵はたぶん晩年の顔だけど、お二人と、ご存命の先王様は……どう見ても今の顔だよな、これ)


 生年から見ても、王は三十代前半、王妃も二十代後半。王の顔は式典などで何度か見たことがあるし、王妃は母と親しいから顔は良く知っている。同じように、現執政官であるテネブレも、現在の姿で描かれていた。アニマが流れているという異例すぎる点から見ても、もしかしたらと思い当たる可能性が一つだけあった。


(この本……誰かが書いたんじゃなくて、これ自体が生きてて、記録してる……?だから、今生きている人達は今の顔なのか……だとしたら、筆跡も絵の感じも二百年間変わってないのも頷ける)


 我ながら突拍子もない考えだが、常識では有り得ないはずの存在を目の前にしているせいか、可能性がないとは思えなかった。一通りぐるぐると考察してみたが、やはり最大の謎は、「誰が何のために記した物なのか」という点だ。こんな物を作れるのだ、きっと、只者ではない。


 そして、この本自体のことではないものの、興味を引かれた点が一つ。執政官テネブレは城内で何度か顔を合わせているが、その娘イサニアは、名を知ってはいたが実際に会ったことはなく、顔を知らなかったのだが——


(……子供、いたんだな)


 イサニアとその夫との間、執政家の最後のページには、一人の少年の項があった。生年からすると、アルビスの二つ下、サフィラの一つ上の歳。名は「ザイン」となっている。自分達と歳の近い子供が城内にいたというのに、存在すら知らなかったのだから驚いた。セクトールの者達は、雨の国の実質二番目の権力者ではあったが、その割に交友関係も広くなく、アルビスにとってもどこか謎めいた存在だった。


(ザイン、か。明日、探しに行ってみるか……話ぐらいしてくれるかもしれないし)


 翌日の予定が出来たところで、一つ大きな欠伸をする。今日は色々あったせいか、急激な眠気がやってきた。続きはまた明日にしようと、本を閉じ机に載せようと手を伸ばした、その時。同じように閉じかけていた天眼が、不意に光を捉えた。手から離れかけていた本が、何かを知らせているかのように鈍く点滅し始めたのだ。


「?!」


 慌てて飛び起き、ページを捲っていく。強くアニマが点滅していたのは、現国王イーオンのページだった。固唾を飲むアルビスの目の前で、イーオンの名からするすると緑色の線が伸びる。線が隣のミラ王妃のページまで辿り着くと、ページ中央に描かれていた王妃の項目が上半分に移動し、下半分にスペースを作る。それまで一人分だったページが、二分割された形になる。


「な……なんだよこれ」


 点滅が終わった。イーオンからは二本の線が隣のページへ伸びている。上の一本は王妃ミラへ、下のもう一本は、まだ何も描かれていない空白部分へ。


 生きている。やはり、この本は生きているのだ。


 新しく伸びた線に何の意味があるのかも、夕方の父母の会話からなんとなく察してしまったアルビスだったが、一度集中力が切れてしまったからか、昼間に魔力を大量消費したからか、強い睡魔に襲われる。そのままゴトンと机に本を放り、ずるずるとベッドに沈み込む。ひどく、身体が重い。


 眠りに落ちる直前、隣のベッドからまた何か、サフィラの寝言が聞こえた気がした。







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