三 「父母」

「あら、何してるの?」


 突如背後から響いた声に、アルビスとサフィラの肩が跳ねた。二人とも反射的に天眼を閉じる。アルビスは驚いた拍子に机の天板裏にぶつけた膝をさすった。


「母様!お帰りなさい」

「ただいま戻りました。初日はどうだったのかしら、メンシズの兄弟さんたち」


 サフィラの頭を軽く撫でながら、穏和な雰囲気を纏う女性が部屋の入口に立つ。彼女の名はクラヴィア・メンシズ、王宮魔術士であり、二人の母である。特にやましいことがあるわけではなかったが、アルビスは気付かれないように光る本をそっと引き出しに押し込んだ。


「退屈だった」

「とても有意義でした」


 アルビスとサフィラの声が重なる。二人とも、何を言っているんだという顔でお互いを見る。一拍置いて、クラヴィアが笑う。


「うん、そう言うと思ったわ。今日は大事な会合だったのだけど、ファヴラーったら貴方達のことで頭がいっぱいだったみたい。このあとお父様と二人で出かけて来るから、夕飯は二人でとってね。お給仕さんにはもう伝えてあるから、呼ばれたらちゃんと行くのよ。いい?アルビス」

「……わかってる」


 自分だけ釘を刺されたのは不満だったが、両親が留守の際に食事をすっぽかすことが多いのは自覚していたから、素直に従う。もしかしたら、自分たちが不思議な本を見つけたこともバレてしまっているだろうかと、少し警戒していたせいもある。


「それともう一つ、ちゃんと消灯時間は守ること。私達がもし遅くなっても、きちんといつもの時間にベッドに入るのよ。いいわね?アルビス」

「……眠くなったら寝る」

「……ふーん、いいのかしら。貴方達七十八期生は今後もファヴラー先生が担当するそうだけど、母さんうっかり口が滑ってアルビスの秘密いっぱい喋ってしまうかも」

「秘密とかない」

「その引き出しの中にも?」

「……」


 やっぱり、バレていた。口で母には勝てた試しがない。それでも首を縦に振る気にはなれずに、溜息とともに机に頬杖をついてそっぽを向いた。ぶつけた膝がまだ痛い。


「ふふ。貴方達も男の子だもの、何の本かまでは聞かないわ。ただ、読むタイミングと隠し場所はもう少し吟味したほうがいいと思うけれど」


 口許に手を添えて微笑む母の言わんとしていることを察して、アルビスはやれやれと二人の方へ向き直る。「そういうのじゃない」とはっきり言うべきか悩んだが、詮索されないのなら逆に都合がいい。アニマが流れている本だなんて知られてしまったら、間違いなく没収されてしまう。母の隣で首を傾げているサフィラは、わかっていないようなのでとりあえず放置することにする。


「善処する」

「よろしい。あ、お父様には見つからないようにね?」

「私がどうかしたのか」


 今度は、クラヴィアの肩が跳ねた。アルビスが眉根を寄せ、サフィラが嬉しそうに声の主に駆け寄った。


「父様!おかえりなさい!」

「ただいま、サフィラ。すまないクラヴィア、遅くなった」


 長身に、白銀色の長髪。どこか憂いを帯びた表情が特徴的な美男で、名はオルニト・メンシズ。二人の父であり、王宮魔術士達を束ねる長である。


 アルビスは、父によく似ていた。


「いいえ、お話はもういいんですか?」

「話すだけ時間の無駄だと思った。あの男、アストルムの座についてから横暴が過ぎる」

「セクトールの方々もご一緒だったのでは?」

「小言を言われただけだよ。今回の件、ミラ王妃を診たのは私だ。反対派からしたら戦犯だからな」

「私は良案だと思いましたけど。ご自身が望まれていることで、ただ前例がないというだけだもの。まあ、せっかくご招待頂いたのだし、積もるお話はファヴラー殿の所で」

「……そうだな。待たせても悪い、向かおう。アルビス、サフィラ、今日はよく休んで、明日からも勉強頑張りなさい」


 「はい!」と元気良く返事をしたサフィラは、出掛けて行く父母の背中を見送った。アルビスが父の方を見ることはなかった。いつ頃からだったか明確には覚えていないが、父と兄との間で何かが崩れ、漂う尖った空気に母も弟も密かに気を揉んでいた。

 軽く深呼吸し廊下から自室へ戻ると、アルビスが例の本を開いているところだった。自分には「緑色に光っている」という外観の部分しかわからなかったが、稀代の精度を持つと言われる兄の天眼ならば、もっと詳しい事がわかるかもしれない。夕食までに育成所の課題を終わらせてしまおうと思っていたが、それどころではなくなってしまった気がする。アルビスの後ろから少しだけ身を乗り出して、机の上を覗いた。最初のページを開いた所のようだが、難解というか、正直な感想を言えば、全くの意味不明な文章だった。これを読み解こうと思い立った時点で、やはり兄はすごい。


「何かわかりそうですか?」


 そっと声をかけると、本から視線を外すことなく、それでも返事だけは返ってきた。


「……流査りゅうさで……読めるようになってる。どうやったらこんな……」


 聞けば、通常の黒いインクで書かれてある文字の上に、流査でのみ見える緑色の文字が浮かび上がっているのだと言う。だとしたら、その文字は生命だということになるのだろうか。果たして、そんな芸当が本当に可能なのだろうか。


「サフィラ、『家名持ち』って言葉知ってるか?」


 唐突な質問に首を傾げる。その答えに当たる名が、つい先刻父母の会話の中にも出てきていたはずだ。


「四大名家のことですか?ディウィティア、セクトール、メンシズ、アストルムの四家で……すみません、あまり詳しくは……」

「そこまでわかれば充分。この国で、個人を指す名前以外に『家』としての名前も持ってる家系のことだ。王家ディウィティア、執政家セクトール、士長家メンシズ、近衛長アストルム」

「父様が言っていた『アストルム』は、近衛の一番偉い人ということですか?」

「そういうことになる。ただ、四家の中で唯一アストルムだけは血筋を指す言葉じゃない。世襲制じゃなく、代々一番強い人間が選ばれるんだ。だからどちらかと言うと称号に近い。『御前試合』っていうの、一回だけ見たことあるだろ?あれで勝ったやつがアストルムになる」


 ああ、と、サフィラは思い出した。二年前、まだ小さかったからぼんやりとしか記憶にないが、霧雨の中で跳ね上がる泥と血と、ぶつかり合う二人の大男の声が脳裏に浮かび、背中に悪寒が走った。あまり思い起こしたくはない光景だった。慌てて話題を変える。


「では、母様が言っていた『セクトール』は?『しっせい』というのは何をする人達ですか?」

「簡単に言うと、王家の補佐。国王陛下が国のことで何かを決める時に助言をしたり、国を動かす手伝いをするんだ。立場的には、事実上の二番手、陛下の次に偉い人、ってことになる」

「な、なるほど……」


 正直、少し難しかった。淡々と話すアルビスの声が、どこか遠くから聞こえる。

 年齢の差は、三つ。たったの三年で、自分は現在いまの兄ほどの知識と知恵を得られるのだろうか。急に、目の前の兄が手の届かない遠い存在のように感じられてしまう。


「サフィラ?どうした?」


 声の変化に気付いたのか、アルビスが訝しげにサフィラの瞳を覗く。話についていけなかったと素直に伝えるのはなんとなく嫌で、背中を向けることでその視線からも逃れた。自分の机まで歩き、背もたれに手をかけて椅子を引く。


「僕も……兄様のようになれるでしょうか」


 引き出した椅子に掛け、きちんとした姿勢で座り兄へと正対する。問われた方のアルビスも軽く机を押し、椅子ごとサフィラの方を向く。今日見るのは二回目になる、信じられない物を見たような、狐につままれたような顔をしていた。


「……俺?」

「……そうです」

「俺みたいになってどうするんだ?お前の方がよっぽどちゃんとしてるだろ」

「……はい?」


 何を言っているんだこの人は。なんだか少し、腹が立ってきた。


「そんなことより、この本。まだ軽くしか目を通してないけど……これ、たぶん家系図だと思う」

「家系図?ですか?」


 真剣な悩み事をそんなこと呼ばわりされ一瞬顔を顰めたサフィラも、アルビスの口から出た意外な言葉につい興味を惹かれる。


「たぶん、な。アニマの色で、似顔絵みたいなのと、その下に名前と、横に生没年が書いてある。でも……もしそうなら、史実と少し違うんだ。それに、なんでこんな隠すようなこと——」

「さっき四家のことを聞いたのはこのためですね。どこの家系図なんです?」


 アルビスが、下唇を噛んだ。


「王家と、執政家……だと思う」


 珍しく釈然としない兄の態度に、サフィラは何かただごとでない雰囲気を感じた。それでも好奇心に抗えず、続きを促した。


「『だと思う』と言うのは?」

「表紙から右へ王家の、裏表紙から左へ執政家の家系図になってるようで……ただ、最初の名前が変なんだ。普通こういうのは二人の名前から始まるだろ?それがこの本、どっちも最初が一人だけなんだ。それに、二家のその『最初の一人』同士が、赤いアニマで縁取られてる……まるで怪我とか病気とか、身体の中で異常がある部位みたいに」

「……あれ?待ってください、王家と執政家だと思ったのはなぜです?家名が明記されているなら、そんな曖昧な言い方しませんよね?あ、似顔絵でわかったんですか?」

「いや、それが——」


 アルビスが、片手で口許を隠す。それは、即決出来ない事案や理解が及ばない事案に出くわした時の、彼の癖だった。


「『最初の一人』の名前が、ディウィティアとセクトールなんだ。ディウィティアの方は女の人の絵で、セクトールは男。どっちも似顔絵はすごく若い。たぶん、十代。しかも……生没年が同じなんだ」


 擬装が施され、通常ではあり得ない「生命」で書かれた本。書かれているのは、国の二大権力者達の系譜。一体、何を隠し、何を伝えるために作られたのか。


「わけがわからない。なあ……サフィラ、お前はどう思う?」

「僕は……僕には、わかりません」


 消え入りそうな声で、そう答えることしか出来なかった。







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