六 「友達になりませんか」
温室へ入ったザインは雨衣も脱がずそのまま進んで行き、その少し後ろをアルビスとサフィラがついて行く。道すがら三人に気付いた勤務中の魔術士達が、珍しい光景に不思議そうに手を止め少年達を見送っていた。
「空気が綺麗ですね、ここは」
徐に口を開いたザイン。二人の方を見るでもなく、歩を緩めることもなく、ただ独り言のような呟きだった。サフィラが隣のアルビスの顔を窺う。好きにしろという意味を込めて瞼を伏せると、弟はザインの隣へ小走りで並んだ。
「僕はよくここへ来るんですが、ザイン様も?」
「いいえ、初めて来ました。どこか話せる場所は?」
「え?あ、はい!果樹園に休憩所があるので、そこでよければ」
「お願いします」
二人のやりとりに、アルビスも疑問符を浮かべる。ザインが迷いなく進んで行くものだから、てっきりどこか目指す場所があるのだと思っていた。適当に歩いていたのだろうか。
そのままサフィラの先導で果樹園に着くと、林檎の木々が等間隔に植えられた一角に、質素なガゼボが見えてきた。温室の中に屋根付きの建物があるのは奇妙な気もしたが、ガゼボの下は屋根から下げられた照明のおかげでほんのりと明るい。微かに林檎の花の甘い香りも漂ってくる。弟の魔石作りに同行してここで本を読むのも悪くないかもしれないと、アルビスは思った。
「雨音が遠い。いい場所ですね」
ベンチに浅く腰掛けて、ザインが屋根を見上げる。独り言のような響きは相変わらずで、しかし向かい側に座った兄弟が口を開く前に、今度はしっかり二人に顔を向けた。
「ここへ来たのは、ここがあなた達の領域だからです。アルビス、サフィラ」
「——?!」
「……名乗ってなかったと思いますが」
予期せず名を呼ばれ、鳩が豆鉄砲を食ったような顔になった白と青の兄弟に、この日初めてザインが笑顔を見せた。アルビスもあまり笑わない子だと言われるけれど、目の前の鈍色の少年のそれは、およそ子供とは思えないどこか影のある儚げな笑みだった。その笑みも一瞬のことで、生気の薄い作りもののような貌の奥へと消えていった。
「お祖父様に見つからないよう、ちょっと離れたくて。お祖父様……テネブレ様は、あなた達のお父様とあまり仲が良くないので」
目を細めて話すザインに、すとん、とアルビスの中で一つ腑に落ちる感覚がした。
「ああ、だからか」
「そういうことです」
「……どういうことです?」
ひとり置いて行かれたサフィラは、声に顔に出さないよう、心の中で小さくぼやいた。
なんだ、やっぱりこの二人、似た者同士なんじゃないか。
「ザイン様のお祖父様とうちの父さんが仲悪いから、ザイン様は俺たちを知ってたし、俺たちはザイン様を知らなかったってこと」
「ええ。私は祖父から『メンシズの子供達とは関わるな』と言われて育ちましたし、逆にオルニト様は、あなた達に私のことを話さないことで関わらせないようにしていたんでしょうね。王宮で育つ子供は少ない。普通なら、今頃とっくに友人になっていたかもしれない。まぁ、推測ですけど」
「な、なるほど……?」
「仲がよくないというのは、テネブレ様と父だけが、ですか?それとも……セクトールとメンシズ?」
「……推測だと言ったのは、私も何も知らないからです。お祖父様もお母様も、大事なことはきっと何も教えてくれてない。私も、知りたくないような気もするんです。だから……せっかく訪ねてきてくれたのに、役に立てなくてすみません」
小さく頭を下げたザインに、アルビスとサフィラは顔を見合わせた。自分たちにとって謎だらけの執政家のことを少しでも知ることができれば、あの本の秘密にも近付けるかもしれないと期待していた。だが、まだ具体的なことは何も話せていないのに、まるで二人が来ることを知っていて最初から返答を用意していたかのように、一方的に会話を切られてしまった。おまけに、父と執政官との確執という新たな問題までついてきてしまった。聞いてしまった以上、もうザインとは関わらない方がいいのだろうかと、気まずい視線を交わす魔術士兄弟に、執政家の一人息子は意外な提案を投げかけたのだった。
「代わりと言ってはなんですが、私と友人になってはもらえませんか」
「友人……ですか?」
「友人、です。友達、とも言いますね」
「それは……構いませんが、バレたらまずいのでは?」
友人になりたい、と言う顔ではないだろうと、アルビスは腕を組む。口調は柔らかいし言葉も丁寧だが、発言者であるザインには今、一切の表情がない。華奢な容姿のせいもあり、瞬きをして口の動く人形と話しをしているような、心許ない気分になってくる。
「どうせ、バレます。関わるなと言われているけれど、私はあなた達のことが知りたい。私たち家族以外の、他の家のことが知りたい」
「家、ですか……僕たちの家も王宮の中にありますし、あまり変わらないかもしれませんが……」
その時だった。ほんの些細な言葉、サフィラが首を傾げながら発したそれに、ザインの纏う空気が硬直する。それまでどこか緩く焦点を結んでいた瞳が、強い意志を持って対面の藤色の瞳を射る。向けられた冷気にサフィラが怯むより先に、最初の笑顔と同様、その鮮明な感情の欠片はすぐに見えなくなった。
入れ替わるように、ふわりと浮かべた作り笑いでザインが応えた。
「変わらないかどうか、それもぜひ知りたいです。また明日、同じ時間にここに来ます。気が向いたらで構いません、また話せると嬉しいです。今度は『友人』として」
サフィラがアルビスに期待の眼差しを向けた。困惑してはいるが、「友人」という言葉に惹かれているのだろう。一方のアルビスは、書室で垣間視たザインのアニマと、彼の意味深な発言から一つの仮説に辿り着いていた。正直あまり当たっていて欲しくはない、不穏な推察だ。ザインの態度といい、何か裏があるのではないかという思いは否めなかった。それでも最終的には、昨日から頭の中を占拠している不思議な本の正体に、少しでも近付きたいという気持ちに軍配が上がった。
「わかりました。俺たちも明日、ここへ来ます。ないとは思いますが、もし父に止められても、まあなんとかします」
「ありがとうございます。初めての友人が、あなた達兄弟で嬉しい。ではまた明日」
ザインが立ち上がる。アルビスとサフィラも席を立ち、執政家の子息に一礼する。ガゼボを出た所で脚を止めたザインが、「ああ、そうだった」と、肩越しに振り返った。
「上着、ありがとうございます。勝手なお願いですが、少しお借りしておきますね。『返し忘れて』しまったので、明日必ず返しに来ないと。それと、私のことは呼び捨てで構いません。敬語も必要ありません。『友人』ですので。それでは、また」
言うだけ言って、来た時と同様脇目も振らずに去って行く小柄な背中は、木々の枝葉に隠れてあっという間に見えなくなった。
複雑な兄の心中を知らないサフィラが「仲良くなれるといいですね」と、呑気につぶやいた。
こうして、アルビスとサフィラの魔術士兄弟に、少し変わった初めての友人が出来たのだった。
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