第32話

 天秤の女神アストライアは強い。

 少なくとも、俺がこれまで戦ってきた敵の誰よりも。


「ハァ!」

「くっ――」


 鍛えたこともなさそうな細腕から振り降される剣を受け止めると、凄まじい威力で押し込まれてしまう。

 魔力で強化しているのはわかるが、それでも見た目とのギャップにどうしてもズレが生じてしまうのだ。


「シオン・グランバニア。貴方は己の力をどれほど理解していますか?」


 つばぜり合いの最中、空色の瞳が俺を射抜いてくる。


「誰よりも理解しているとも」

「ならば、この世界に存在してはいけないことも理解してますね」

「……」


 白銀の剣を受け止めながら、アストライアの言葉に対して俺はなにも答えない。

 なぜなら、他の誰でもない俺自身がこの力の恐ろしさを知っているからだ。


「貴方は死ぬべきです」

「人は誰しも生きる権利がある」

「その通り。ですが人を、世界を、神を滅ぼす存在は別と知りなさい!」


 一層力の込められた剣を受け流し、一瞬出来た隙で距離をとる。

 本来なら致命的な隙で倒せたかもしれないが、それではフィーナも死んでしまうので困ったものだ。


 まあそもそも、先ほどの隙が本物だったとは思わないが……。

 

「……なぜ反撃しないのですか?」

「私にとって、貴様は敵ではないからだ」

「敵ですよ」


 切っ先が俺に向けられる。

 それと同時に奔る閃光を避けると、背後の神殿が吹き飛んだ。


「次は当てます」

「やってみろ」

 

 再び飛んできた閃光を俺は片手で受け止める。


「ぐ、ぐぐぐ……」


 地面を削りながら徐々に押し込まれる。

 アストライアの力は本物で、神というに相応しい。


 だがそれでも、レーヴァの一撃を受け止めた俺を倒し切れるほどではない。


「信じられない……」


 次第に薄れていく光の中で、アストライアが驚愕した瞳で見ていた。

 どうやらこの光の一撃には相当な自信を持っていたようだ。


「どうした? この程度か?」


 そう強がってみるが、正直俺も無傷とは言えない状況。


 防いだ右腕を見れば焼け焦げており、肉の匂いが漂っている。

 痛みは精神力で押さえることができるが、若干骨すら見える状態というのは気分的に良くないものだ。


「天秤の女神よ、先ほども言ったが、俺の力がどういうものかはもちろん理解している」

「ならば私も同じことを言いましょう。神をも超えるその力は世界の秩序を乱し、そしていずれ混乱へと導くものです」

「だとしても、『今』私が断罪を受ける理由にはならない」

「そうだとしても、『未来』を守るために私は貴方を滅ぼします」


 完全に平行線の意見。

 俺から見れば、彼女はもう退くに退けない状況になっているだけではないのかと思ってしまう。


 とはいえ、それが神と言うものだとも知っていた。


 ――神というのは完璧であり絶対の存在。


 それがこのエステア大陸における常識だ。

 そして神が死ねというなら……。


「下らんな」

「……今なんと?」

「下らんと言ったのだ。なにが神だ! 所詮はこの世界の歯車の一つでしかない存在のくせに、まるで至高の存在のように振舞うなどなんと傲慢不遜!」


 この世界にとって『神』というのは物語のキーパーソンにして絶対の存在。

 それを否定する気は毛頭ないが、しかしだからといってなんでも思い通りになるなどあり得ない。


「人よりも神は上位の存在です」

「ならば貴様は、創造神エステアが死ねと言ったら死ぬのか?」

「ええ、もちろん」


 一切の迷いもなく頷く天秤の女神フィーナを見て、俺はやはり違うと思う。

 少なくとも、今の彼女はすべてを受け入れているように見えて、どこか抵抗の意思を感じられた。


「今の貴様はまるで人形だ」

「先ほどから随分と挑発してくれますね。ですがその程度のことで私が怒りに呑まれるなど――」

「黙れ! 今は貴様に話しかけてなどいない!」

「――っ⁉」


 俺が語り掛けているのは、女神のようなシステムではなく、人間であるフィーナだ。


「フィーナよ! 貴様は私に言ったはずだ! たとえ世界を滅ぼすことになっても『死にたくない』と!」


 それは以前、まだ交易都市ガラティアにいた時の話。


 ――もしも……自分が死ぬ運命だと知っていたら、お前はどうする?


 ――それはもちろん、死なないように運命に抗います。


 そう、フィーナはたしかに言ったのだ。

 たとえ世界を滅ぼすことになったとしても、死にたくないから運命に抗うと。生きたいと、そう言った。


「私は敵対するものには容赦をしない」

「……くっ」


 一歩、俺が踏み出した瞬間アストライアが後退る。

 まるでそれは猛獣を前にしたような仕草。


 それこそが、今の彼女と俺の『本来の差』だ。


「アストライアよ、貴様は私がフィーナを殺せないと思って今回、戦いを仕掛けてきたな?」

「だったら、どうだというのですか? 貴方は非情に見せていますが、その実一度受け入れた者に対してはとても甘い。この子を殺すことなど出来ないでしょう?」

「貴様は絶対者である神でありながら、私に勝てないと思いからそのような手段に頼る卑怯者だ」


 だからこそ今、覚悟を決めた俺に対して俺を恐れている。


「受け入れた者には甘い? どうやら一つだけ思い違いをしているようだから教えてやろう。私は――死が怖い」


 それは人の原初の想い。

 誰もが抱き、誰もが当然言うであろうセリフは、しかし『シオン・グランバニア』という存在にはあまりにも似つかわしくない言葉。


 それでも俺は言う。なぜなら俺は『幻想のアルカディア』のラスボスではなく、ただのシオンだから。


 そして死にたくないと言ったのはフィーナも、同じ。


「死にたくなければ、抗え! 『カラミティ・ブラスト』!」


 そうして俺は焼け焦げた掌をフィーナに向けると、極太の黒い光線を解き放つ。

 直撃すれば神ですら消滅を免れない闇の最上級魔術は、神の庭園の大地を穿ちながら突き進んでいった。


「ハァ、ハァ、ハァ!」

「ふん、躱したか」

「くっ……今のは、当たっていたらこの子ごと……」

「消し飛ばすつもりだったさ」


 それが俺の選択。

 

「さあフィーナよ。次は貴様の番だ。死にたくなければ貴様も選ぶのだ」


 ――神の道標か、それとも人としての生かを。


「どちらを選んでも、私はその選択を尊重しよう」


 そうして俺はただ無防備にアストライアの前に立つ。

 一歩も動かず、彼女の銀色に光る剣を前にして両手を広げてその未来を受け入れる。


 そして――。


「リオン様……ごめんなさい。私は死にたく、ない。なにより――」


 涙を流したフィーナの持つ剣が、俺の身体を貫いた。

 ずぶりと、とても柔らかい音とともに地面が深紅の雫によって濡れていく。


「これが……貴様の選択、か……」


 それをまるで他人事のように見ながら、俺はただその剣を当然のように受け入れるだけだった。

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