Day13 うろこ雲

 うろこ雲が、見上げた秋空に見渡す限り広がっているのを見て、マーティン老人は朝から感じていた不吉な予感を確信に変えた。彼は迷信や俗信のたぐいを疑わない性質だった。いくら学者が巻積雲を熱帯低気圧と結びつけて説明しても、この雲の超自然的な在り方が天変地異を呼ぶと信じてやまなかった。だから、この老人にとって空のまだら模様は凶兆のしるしだった。

 その朝、北イリノイ全体が薄暗く陰鬱ななかで目覚めた。なかでも、目覚めと同時に、窓外を黒い魔女のしもべに横切られたマーティンは、特に沈んだ魂をしていた。洗面所に行けば鏡にひび割れを見つけ、気分を変えて出かけようとすれば、床でひとりでに開いたこうもり傘に出くわした。おまけに今日は金曜日で、日付は十一月の十三日だった。その後でうろこ雲の空を見れば、彼でなくとも迷信家になったかもしれない。

「主よ」マーティンはつぶやいた。「あなたの哀れな子羊をお導きください」

 彼の足は自然と町はずれの教会へと向いた。湿気で重くなった空気に、ひんやりと頬を撫でられる。予想より早く崩れそうな天気にひとつ舌打ちし、杖代わりのこうもり傘をせこせこと前へ送りだした。嵐がやってくる前に、礼拝堂の戸を叩きたかった。やがて、遠くに厳かな尖塔が見えてきた頃、いよいよ凶兆の空からぽつぽつ災いが降り始めた。老人は、寄る年波に足を取られながら、小走りに脇道へ入っていった。メインの通りを行くより、教会の裏庭に通じるこの獣道を抜けたほうが近いと知っているからだった。藪の中を進んでいく。見上げる尖塔が次第に大きくなっていく。

 マーティンがふと足を止めたのは、共同墓地の前だった。空と塔だけを目印にして、足を速めていた彼の視界の端に、何か黒いものが映り込んだ。汗といや増す雨粒で滲む目をしばたたく。影のような、光も熱も受け付けない拒絶のかたまりが、静かにこちらを窺っていた。鮮血で漬け込んだような朱い瞳。

 犬だった。漆黒の犬だった。なんてことだ、ヘカテの猟犬が彼を死へ誘おうとやってきたのだ!

 マーティンは尻餅をついた。雨はいつのまにかどしゃ降りだった。叩きつけるようなそれでぐしょぐしょになりながらも、彼はその犬から、柘榴のような目から逃れることが出来ない。尻餅をついたそのままの格好で、じりじりと後ずさる。その後退は、彼の背中が墓石に当たって行き止まりになった。

 マーティンは振り向いた。稲光が閃く。墓碑には「ハロルド」の文字。そして、次の雷光が照らし出したのは、まさにそのとき地面から突き出した、ちいさな腕だった。

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11月はとばりの国 たけぞう @takezaux

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