Day11 からりと

 からりと忘れてしまえれば良かった。三日前の朝食のように、いつかシャツに付けたしみのように。あれから百の冬が過ぎ、同じ数の春が訪れた。夏は何度経験しても好きになれなかった。それでも、秋には彼女を思い出す。十一月の森で風になった、あの子のことを。


 その少年は、まだあどけない姿に不釣り合いなほど遠い目をしていた。ツイードのジャケットからは、腐敗した生と森の死のにおいがした。彼が現れて、屋敷のホールは水を打ち、紅海のように分かれた。濃密な死の気配が頭をもたげていた。

「いけない」コヘレトが前に進み出ようとするのを、止める腕があった。小声の制止に振り返ると、彼の視界を翼が覆った。「離れていなさい」

「どうして?」コヘレトは聞いた。一度止まった身体は、雰囲気に飲まれて固まっていた。

「どうしてもだ」

 腕がじんじん痛む。リーおじさんは頑なだった。言葉よりも痛みが、それを先に伝えていた。

「君たちには、まだあれと出会ってほしくない」

 彼の翼は、鳥のようでも蝙蝠のようでもあった。その力強さを、双子はよく知っていた。二〇〇ポンドを宙へ舞い上げる力が、砦のようにそびえていた。その向こうで、人々のざわめきが波のように去っていった。

 空気が弛緩する。

「あれって、ハロルドのこと?」掴まれた腕にこもった力が弱まるのを待って、コヘレトはたまらず聞いた。

 リーおじさんは肩をすくめた。「少なくともそれは、あれの名じゃない。そして――」そこで語気を強めながら、彼は、好奇心で猫のようにまんまるになったコヘレトの瞳を見つめた。「その名を君は呼ぶべきでもない」

「どうしてですか?」サームズが、弟を庇うように身を寄せた。

 リーおじさんは、コヘレトから目を切って勇敢な少女の方を向いた。そして、自らが年端もいかぬ子どもと相対していることに今気づいたように居住まいを正した。

「あれが死から遠すぎるからだ」静かに、彼は言葉を紡ぐ。「我々は死を乗り越えたわけじゃない。ただ死なんだけなのだ。同じに思うかもしれんが、その二つは絶望的に違う。死なんからこそ、我々は死を知らなすぎる。無知は罪だ。それに甘んじてはだめだ」

 コヘレトは聞きながら思い出していた。『知識が増せば痛みも増す』という、彼には遠い言葉。知ることは、痛いのだろうか。それなのに、知らないことはいけないことなのだろうか。

「人間のそばで生きるためには、我々は死を知らねばならん。さもなくば――」

 リーおじさんはその先を飲み込んだ。その目は二人を見ていない気がした。いつかの十一月をさまよっていた。

「あれに近寄るな。約束できるな?」

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