Day10 水中花

 水中花が好きだ、と彼に言った。チャイナタウンの端っこにあった、雑貨屋の前を通り過ぎたときだった。腰の曲がったちいさな老人の店だった。うらぶれた通り沿いの、綺麗とは言い難いくすんだショーウィンドウに、色鮮やかな花が咲いていた。水の中でのみ花開き、そのまま永遠になる、儚くしたたかな美しさ。

「ほしい?」彼が聞いた。

「いいえ」少し迷って、デイジーは首を振った。「いらないわ」

「どうして」

「綺麗すぎるもの、枯れもしないで」

「枯れてほしいの?」

「そうじゃないわ」言葉にするのは難しかった。それでも、彼は静かに待っていた。デイジーは、自分の裡の矛盾を少しずつ紐解いた。

「すぐに枯れるものなら、あきらめもつくわ。綺麗だと、綺麗だったと、愛でることもできる。でも、これはだめ。永遠に近すぎる。期待してしまうわ、ずっと朽ちずに美しくいてって。裏切られるのは、わかっているのにね」

 彼が少し目を見張った。デイジーは、恥ずかしくなって目を伏せた。きっと、彼の聞きたい言葉ではないだろう。こんな賢しさを、可愛げのなさを、彼に見せたくはなかった。彼の前では、野に咲く雛菊でありたかった。

「そうか」彼はちいさく頷いた。「じゃあ、君には永遠を贈ろう」

 目を上げる。彼は、秋月の光のように穏やかに微笑んでいた。冗談を言っている様子もなければ、口説くような情熱もなく、ただ自然に、彼はそう誓った。デイジーは、ほうっと息をついた。静謐な夜に、その音はやけに大きく響いた。侵されざる何かに、手が届きそうに思えた。


 その日のことを思い出していた。きっと彼が、同じ顔で笑っていたからだ。

「永遠」そう言って、一抱えもありそうな包みを彼は取り出した。「君に、持っていてほしい」

 薄明かりが彼を照らしていた。瓦斯の灯の届かない闇にも、いかがわしさはなかった。無用にしかつめらしくもなく、姦しくもないバーで、デイジーはマティーニのグラスを傾けていた。少し熱を持った指先は、彼の白いほっそりしたそれに包まれていた。いつか、百合みたい、と評したことをデイジーは思い出した。その白さとなめらかさ、手つきの繊細さ。夏に咲き忘れた、孤独な花弁。そっと、デイジーは指を絡めた。ジンで上気した瞳で、彼を見つめる。一万年変わらない夜の光のように、彼が見ている。

 包みに手をかけた。幾重かのヴェールをあばくと、水中花があらわれた。白く、ほっそりした百合が浮かんでいた。控えめに花開いた花弁には、象牙色の爪があった。

 ドリィは、静かに笑っていた。

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