Day9 神隠し
神隠しのように、よくいなくなる女だった。それが、イアンを不安にさせずにはおれなかった。あの女は神に取り去られるあいだ、俺の世界から影もかたちもなく逃れて、いったい何に身を委ねているのだ。何度かこっそり後をつけてみても、その謎はあばかれなかった。決まって女は煙になった。たいてい夜は女に味方した。
彼の妻はメヌエットといった。秋の夜長のような、闇をはらんだ髪をしていた。彼女のまなざしは、二つの月が輝く火星の夜だった。その瞳と同じ色の猫を溺愛しており、彼女自身も猫のように気ままだった。イアンは妻に愛を与えたが、それは彼の支配欲の第二の名前だった。本当は一切合切を鳥籠に放り込んで、鍵をかけてしまいたかった。それを愛だと信じたことが、彼の最初の悲劇だった。
「どこに行くんだ」イアンは尋ねた。月のない、ただ暗いだけの夜だった。
「私の行きたいところよ」メヌエットは答えた。夜を纏った彼女は蠱惑的だった。このまま彼女を夜に解き放てば、そのまま闇に溶けてしまいそうに思えた。「ついてきたって、無駄ですからね」
イアンは自分の妻の腕を掴んだ。嘲りが彼を振り返った。別の女が彼女を満たしていた。虚を突かれて、イアンは夜を離した。月が世界を過ぎった気がした。どこかで猫が鳴いた。メヌエットが消えていった路地裏に、もうその姿はなかった。その夜、彼女は帰ってこなかった。
十三杯目のマッカランを空けた頃、彼女は戻ってきた。夜は朝をたぐり寄せ始めていた。女からは知らない煙草の香りがした。それで、イアンはすべてを理解した。
次の夜、彼は自らディナーをふるまうと言い張った。女を席に着かせて、自らの胸にチーフをあしらった。テーブルの上のクロスからは清潔な香りがした。つみたての花が、上品に活けてあった。最初の皿を運ぶと、彼は女の背後に立った。銀のクローシュがかぶせられ、料理が何かはわからなかった。
「オードブルです、マダム」イアンはぽつりと言った。彼は、いつまでも皿から覆いを除こうとはしなかった。
女はふいに、今日はまだ自分の愛猫の姿を見ていないことに気づいた。「ミニュイは?」
イアンは答えない。クローシュからは熱を感じず、おそらく中の料理は冷めきっていた。そっと、女の白い指が覆いにかけられる。それを持ち上げた。夜がこちらを見ていた。
悲鳴は、遠くか細かった。イアンは女の首を絞めていた。彼の中で、ふつふつとたぎる血と、冷たく薄氷の張った血が流れていた。彼の愛は、本当の名をむき出しにして、ただ、目の前の女を永遠に欲していた。
足元を何かが通り過ぎた気がした。皿の上の瞳に、月が灯った。彼の様子を興味なさげに見つめる視線から、目を離せなかった。気づくと、彼は椅子に座っていた。首は背後から何者かに絞められ、悲鳴も出てこなかった。
「行きたいところに行くわ」
声は足元から聞こえた。十一月の夜は、どこまでも彼に厳しかった。
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