Day7 引き潮

 引き潮のように、彼に向かって存在と時間が戻ってきた。紅の溶けた闇の静けさ。彼方へ、虚空の彼方まで満ち満ちた死が、散逸した十一月の各部分が、至る所から、彼方から此方へ静かに打ち寄せた。死というなだらかな匿名が、集められ、凝縮されて、次第に名を獲得していった。心臓が一つ鼓動した。それをきっかけに、彼の全身に生命の波が満ちていった。

 ああ、帰ってきた。僕のもとへ、再び。

 こぶしを握って、そこに血潮を確認した。筋肉は縮み、腱は伸びて、腕は横たわる彼自身を持ち上げた。瞼を開いた。そこに世界が待っていた。見知らぬ、銀色の世界。

「生きて、いるの?」問いが投げかけられた。見知らぬ少女が、彼を観察していた。

「今はね」彼は応えた。そんなことを気にかけられたのはずいぶん久しぶりだった。そも、誰かと言葉を交わすのはいつぶりだったか。

「ここは?」

「私の部屋」少女は首を傾げた。「あなた、どうやって入ったの?」

 彼は肩をすくめた。「さあ」

「さあ?」

「ああ、知らないね。でも、問題はそこじゃない」彼は、ツイードのジャケットからほこりをそっと払った。「君の名は?」

 少女はしばしためらって、それでも結局は名乗ることにした。ささやくような声で、祈りのように、その名前を口にした。

「レレィア」確かめるように。「私は、レレィア」

「ハロルドだ」彼も自らの名を告げた。

 それは、彼の母が付けた名ではなかったし、あまり自分のものである気がしなかった。が、他に名乗る名もなかった。ただ、そのことを初めて、ハロルドは少し寂しいと思った。

「ハロルド」レレィアはおうむがえしにした。「あなたは、その……誰なの?」

 それに対しても、彼は肩をすくめた。「たぶん、それも問題じゃない。僕たちは、お互いがお互いを知らない。それが大事なことだ」

 少女は眉間にしわを寄せた。「つまり?」

「つまり、僕がここで君と出会ったのは、運命的な奇跡か、必然的なたくらみのせいだってこと」一呼吸おいて、ハロルドは相手の銀の瞳をのぞき込んだ。「心当たりは?」

「あるわ」レレィアはため息をついた。

「僕もだ」ハロルドも白目を剥いて見せた。

 二人は、これが初めてとは到底思えないような気持ちになりながら、おそらく、同じ名前を思い浮かべていた。

 すなわち、ジャーヴィス、と。

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