Day2 屋上
屋上へと続く階段を一段飛ばしで上るたび、ルーシィの心は躍った。枯れかけた蔦と、腐葉土のにおい。石造りの塔の歴史の香り。森のけものの息づかいと、たそがれの空気と、麓の村の夕餉と、彼女を取り巻くあらゆる気配がルーシィは好きだった。そして、何より好きだったのは、彼女を待っているはずのリーのことだった。
「お待たせ!」
階段を登り切るやいなや、少女は叫んだ。相手も自分を息弾ませて待っているはずだと、疑いもしない声だった。
「遅いぞ、ルゥ」
「遅くないわよ、リーが早いだけなんだから」
ルーシィは頬をふくれさせた。しかし、その目は少しも怒ってはいなかった。そういう感情の駆け引きができるほど、彼女の大人への旅路は捗ってはいなかった。
「どうかな。ルゥはいつものろまじゃないか」
「それは……」
少女の表情が初めて曇った。
村ではおてんばと評される彼女を、そんなふうに呼ぶのは彼だけだった。事実、村のこどもたちの間では、ルーシィより速く風になれる者はなかった。リーはいつも家にこもっているから、それを知らないのだ。
「おいでよ」そんな彼女の気持ちなど斟酌せずに、リーは手を差し伸べた。「早く。急がないと見逃すぜ」
ルーシィは大人しく、その手を取った。泥んこの膝小僧と、しわくちゃの襤褸を着た姫君は、少しだけ頬を染めた。夕陽のいたずらで、リーはそれに気づかなかった。
眼下に、赤く染まった世界。ルーシィの家も、リーのお屋敷も、ここからだと遠くちいさくて、なんだかいとおしかった。それに目を輝かせながら、幸福に包まれて、ルーシィはそっと隣を盗み見た。リーは、決して村では姿を見せなかった。ここで彼と出会うまでは、ルーシィもその存在を知らなかったくらいだ。ある日、栗鼠のようにころころと森を駆け回っていたとき、このうらぶれたすてきな塔に出会って、今日のように階段を一段飛ばしでかけていくと、そこには見たこともない男の子が立っていた。
彼の風貌を知る者は、ルーシィよりもずっと白くて細い手足や、色素の薄い日焼けを知らぬ肌を見て、リーを病弱なのだと断じた。しかし、ルーシィはそうではないと知っていた。彼の疾さを、その魔法のような神出鬼没を知っていた。
彼がこちらを見た。
「ルゥからは、秋のにおいがする」そう言って、リーは整った顔を近づけた。「十一月の森を通り抜けてきた、少し寂しいにおい」
「なにそれ」
ルーシィにも彼の髪の香りが届いていた。石鹸と、秋風と、少しさびた鉄のにおいがした。村の男の子たちとは違う、リーの、リーだけのにおいだ。
ああ、わたしの心臓、落ち着いて!
ルーシィは、危険なほどに拍動する自分の胸に手を当て、どうしようもなく、リーの栗色の髪を見ていた。そこに顔を埋めたら、彼はどんな顔をするだろう。うちの犬のダグラスみたいだと笑うだろうか。夕陽の魔法のあいだだけは、彼も許してくれるだろうか。
「帰ろうぜ」
胸元で声がした。魔法は終わりだった。
とん、とルーシィは肩を押される。からだがぐらつき、彼女は塔の縁で後ろ向きにつまづいた。夜の暗闇が足下に広がっていた。とっさに、リーに向かって手を伸ばす。彼は静かに立っている。
そのとき、ルーシィは気づいてしまった。
リーは、手を伸ばさない。彼の目は猫のように明日を見ている。
ただ、どうして彼があんなに疾かったのか、どうしていつも、少し目を離したすきにいなくなってしまったのか、ようやくわかった。十一月の夜の底に沈みながら、見上げるルーシィの目には大きな翼が見えた。
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