ふたりで指を拾う

尾八原ジュージ

ふたりで指を拾う

 わたしが住んでいる築四十年の木造アパートの近くには、わりと大きな川が流れている。その辺りによく人間の指みたいなものが落ちているので、わたしは頻繁にそれらを拾いにいく。

 今日も今日とてビニール袋片手に川へと向かう。くたびれたサンダルがぺたぺたと音を立てる。十一月の風が吹きすさび、もうサンダルは厳しいなとわたしは身をすくめる。それでも風がやめば太陽の光は暖かい。水面が照らされてきらきらと光を弾く。

「おお」

 あまりの光景に思わず声が出てしまう。

 河原に指が落ちている。それもゴロゴロと、あちこちに落ちているのだ。こんな光景は見たことがない。わたしは宝の山を前にしたような気持ちでしばし立ちすくむ。

 仕事を辞め、収入がなくなったわたしにとって、河原の指は唯一と言っていいタンパク源である。普段は小一時間探してやっと二、三本というところなのに、今日は一体どうしたことだろう。あっちにもこっちにも指が落ちている。あまりにすごい。何かの罠ではなかろうか、と思うくらいすごい。

 時々見かけるおじさんが犬を散歩させながら通りかかったので、「今日すごくないですか?」と話しかけてみた。おじさんは大して興味もなさそうにそちらを見、

「ああ、二年にいっぺんくらいはね。ほれ、冬の初めだし」

 と答えて歩き去っていく。そういうこともあるのね、ということにして、わたしはうきうきと河原に降りていく。

 相変わらず多種多様の指が落ちている。骨が太くて頑丈そうなものも、ほっそりと長く爪にマニキュアが塗られているものも。わたしは目についた端からビニール袋に入れていく。これはすごい。日持ちしないからあまり持ち帰るのも何だけど、その代わり今日は食べ放題だ。すごい。

 夢中で指を拾っていると、「あのぅ」と声をかけられる。顔を上げると、見たことのない女性がわたしを見下ろしている。

「これ何ですか?」

 わたしが摘んでいる指をさして、彼女がやや遠慮がちに尋ねる。

「わたしもよくわからないんですけど、指みたいです」

「そうなんですか……」

 半分納得しかねるといった顔で彼女は立ち尽くしている。何となく初めて会った感じがしないなと思って、わたしは彼女の顔をもう一度きちんと見上げる。賢くて優しそうなひとだな、と思う。

「どこかでお会いしませんでした?」

 わたしが尋ねると、彼女は驚いたように眉を上げる。

「私ですか? 初対面だと思いますが」

「そうですか。わたし、宮地です」

 自然に名乗ってしまって、わたしは少しの間驚いてしまう。そもそも他人とこんな風に会話すること自体がひさしぶりなのに、なぜかこのひととは、大昔からここで出会うことが決まっていたような気がする。

「私、草間です。それ、どうするんですか?」

 草間さんも名乗って、わたしの隣にしゃがみ込む。わたしはなんとなく照れながら、「その辺の草と一緒に煮て食べるんです」と答える。

「おいしいですか?」

「うん、まぁ、わりといけると思います。ふだんこんなに落ちてることないから、今日はすごいですよ」

「へぇー」

 一切ドン引きの様子がない草間さんがそう言ったとき、声をそろえるように彼女のお腹がキューっと可愛らしい音をたてる。

「ははは、おはずかしい」

 お腹を押さえて草間さんが笑う。わたしもひさしぶりに笑ってみる。

「よかったら一緒に食べます? 指」

「いいんですか?」

「こんなに拾っても日持ちしないし、どうせだったらふたりで食べられるだけ食べましょう」

「あっ、じゃあ私、カセットコンロとお鍋持ってきてもいいですか?」

 なにそれバーベキューみたい。楽しい。

 草間さんは一旦姿を消し、しばらくすると大きな風呂敷包みを抱えて戻ってくる。深めのフライパンみたいなお鍋と、カセットコンロとガスボンベ。割り箸二膳と紙皿。ペットボトルに詰めた水。彼女がお湯を沸かし、わたしはその間に食べやすい雑草をとって川で洗う。雑草と指を十本ほど投入した鍋から青臭い匂いが立ち上り始め、初めてわたしは(食べさせて大丈夫か?)ということに思い当たる。

「あのぅ、無理しないでくださいね」

「大丈夫、大丈夫です。おっ、煮えてる」

 草間さんが割り箸を一膳割って、紙皿に取り分けてくれる。それからわたしに新しい割り箸を差し出す。

 まぁいいか、なるようになるか。わたしは彼女の心配をやめ、「いただきます」と言って割り箸を割る。

 草間さんは不思議そうに茹でた指を見つめ、ふうふうと息を吹きかけ、それから思い切った様子で口に運ぶ。

「んっ……これは肉だ!」

 口元をもぐもぐさせながら、草間さんは「ちゃんと肉ですね、これ」と繰り返す。

「でしょう」

 彼女の様子に安心して、わたしも指を口に入れる。うん、肉だ。おいしい。普段より格段においしい。

 指も雑草もいつもと同じはずなのに、いつもと全然違うような気がする理由なんて、大体決まっている。空がこんなに青くて、水面がこんなにきらきらして、一緒に食べるひとがいるから、こんなにおいしいのだ。

 わたしたちはしばらく無言で箸を動かす。食べるものがなくなったら、その辺で指を拾って追加する。だんだん体が熱くなって、わたしは手で額の汗をぬぐう。

 もう食べられない、というくらいお腹に食べ物を入れてしまって、わたしたちはようやく一息つく。

「ごちそうさま」

「ごちそうさま」

 片付けをしながら、わたしたちはぽつぽつと話をする。

 草間さんは最近、この近くのマンションに旦那さんと引っ越してきたらしい。今旦那さんは出張中で、ひとりだと食事の支度をする気がどうしても起きない。それでこのあたりを何となくふらふらしていたら、お腹が空いてしまったらしい。

「おかげで宮地さんに会えたし、すごいものを食べてしまいました」

「ふふふ」

 わたしは今夜と明日の分の指を拾いながら、すっかり愉快になってしまって鼻歌をうたう。

「宮地さん、いい声ですね」

「そうですか? 初めて言われました」

「もっと何か聴きたいです」

 そこでわたしは、鼻歌よりももうちょっと大きな声で、思い出した唄を端からうたう。草間さんは地べたに体育座りをして、膝の上で組んだ腕に顔を載せ、わたしの唄を聴いている。

 それは不思議と懐かしい光景だった。ここではないどこか別の世界で、その世界に住むわたしと草間さんは、こんなふうに過ごしたことがあるのかもしれない。

 人気のない川は穏やかで静かで、ただ水音だけが続いていて、そこにわたしの唄が乗ってどこまでもどこまでも流れていくような気がする。ふと見ると草間さんは座ったままうとうとしていて、さすがにこの寒さでは風邪をひくだろうと思い、わたしは彼女の肩を揺すって起こす。草間さんが「むーん」と唸って、うっすらとまぶたを開ける。

「帰って寝ましょう」

「そうですね」

 互いの家は逆方向なので、わたしたちは手を振りあって別れる。

 約束も何もしていないけれど、きっと草間さんとはまたここで出会うだろう。今日がとてもいい日になったことがうれしくて、わたしの足取りはいつもより軽くなる。ぺった、ぺったと少し弾んだ足音で、わたしは家に帰る。

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