第21話「照れ」
遂に始まった
教室と教室を挟む廊下は満を持してやって来た年に一回の一大イベントに胸躍らす生徒たちでうめつくされていた。
部室棟の端っこでも、分かるこの熱気。
右を向けば人、左を向けば人。
新入生や外から来た中学生たちが毎年のようにはぐれて校内放送で呼び出されるのはもはやこの祭典の風物詩になっていた。
『迷子のお知らせです。黄色のパーカーに白い野球帽、手にはヨーヨーを持った高峰早苗ちゃんが教室等2階、放送室でお待ちです。繰り返します――』
噂をすればすぐにだった。
「あっ……まったく。どうして毎年っ」
「ははっ……なんか二年目なのにこういうの慣れちゃったね」
「ほんと、困るわね」
さすが生徒会長。参加するすべての人々の心配を怠らない。自分ではできないことに賞賛したくなる。まあ、ちなみに昨年の迷子の数は三日間合わせて34人だったのでため息つく気持ちも分からないこともない。
「まあ……いつも通りかしらね」
「だね」
とはいえ、その熱気というものは言葉にする以上に凄かった。
3年生は受験生にもかかわらず最後の文化祭を楽しみたいと気合で溢れ、2年生は慣れた二度目の文化祭に落ち着きを孕み、1年生は初めての自由な文化祭に驚きとドキドキを隠せず、目をキラキラに光らせていた。
まさに、校内は一面のお花畑……と言ったところだろう。
うん、俺。今めっちゃ上手いこと言ったな。
「……どうしたの、ドヤ顔して?」
「ふぇ!? な、ななな、なんでもないよ!!」
「そ、そぅ」
くだらないよわいごとを聞かれそうになって誤魔化すと、彼女は怪訝な表情で見つめてきた。
まったく、危ない危ない。俺ももっと周りを気にせねば。
とはいえ、やはり校内の様子はいつもと比べてみれば異常で、2回目の文化祭でも落ち着いてはいられなかった。
「まあでも、さ」
そんな全校生徒たちを見るや否や、隣を歩く橘さんは嬉しそうに言う。
「なんか、こういうの見ると——すっごく嬉しいわね」
口の端から溢れ出るように漏れた軽い笑み。ただ、俺にとってそれは何か心底嬉しそうに見えてしまった。
彼女にとっては運営側として頑張った一つの文化祭。始まりはアレだったけど、しっかり楽しまなくてはならないだろう。
周りで我を忘れて楽しもうとする生徒たちに紛れ、俺はにこやかに歩く橘さんの手を掴む。
「……ん」
「橘さんも楽しまなきゃ」
「え……、私には見回りがっ」
流石の俺も見回りに一日中付き合うのは悶々として嫌だ。
それなら、だ。
いっそのこと見回りということにして、いろんな屋台を回っていこうって話だ。
「せっかくなんだから、見回りってことにして楽しもうってことよ」
「えっ……でも」
「いいからっ」
そうして、掴んだ彼女の手を俺は抱えるようにして引っ張った。
強引に引っ張ったのにもかかわらず、手を掴まれた当の本人はと言うと頬を少し朱色に染め上げながら、抵抗する素振りすら見せずに丸まってついてきていた。
「——それで、六花はどこ行きたい?」
部室棟の4階から階段を下りていく途中、俺は後ろをちょこちょこと歩いてくる黒髪生徒会長に言う。
すると、彼女は手をビクンとさせて「あっ」と声を洩らす。
原因はもちろん、分かってはいたがせっかくだからと俺はいたずらにこう訊いた。
「——ん、どうしたの?」
「っど、どどっ、どうして急に名前っ⁉」
真っ赤な照れ顔。
まさに、望んでいたいつも真顔で殺伐としていた彼女の嬉しそうな顔だった。
無論、理由はこの前の。二人だけの時は名前で呼ぶことに決めたからに決まっている。
しかし、この一日二日はあまり二人でいる時間が少なかったがために、数日ぶりの下の名前呼びだったためか、彼女は半分嬉しそうで、半分動揺であたふたとしていた。
「え? この前、二人でいるときは名前って決めたでしょ?」
「そ、そんなのあったっけっ……」
「えぇ……忘れたの? 俺、悲しいんだけど?」
「あっ——いや、そんなことっ」
顔を真っ赤にして慌てふためく彼女は久々だったかもしれない。
あの教室であんなことをしている時に鉢会った時もそうだったが、生徒会長のムッとした表情の奥にある本当の橘六花はこんなにも可愛く、ギャップ萌えするものがある。
ただ、さすがにいじめすぎも可愛そうなのでは俺は言葉を濁すことにした。
「ははっ。冗談だよっ」
「えっ……あぁ」
「とりあえず、今日は名前で呼ばせてもらうけどいいよね?」
「うっうん……」
俯きがちに頷く彼女。
「ならよしっ。じゃあ、早速だけど、まずは1階で1年生の展示でも覗こうか」
そう言って、何も言わずにペコっとなる生徒会長でも橘六花の空に閉じ凝っているわけでもない、ただの女の子をこちら側へ引っ張り出した。
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