第3話「初めての登校」


 橘六花は生徒会長である。

 朝も、授業中も、そして放課後も常に凛とした姿で生徒の手本にならなければならない。


 詭弁ではなくその姿はまさに華。

 無論だが、俺こと木田義弘も魅了された一人である。


 しかし、彼女は今、俺の手に落ちている。




「お……おはようございますっ」


 家からちょっと歩いた場所にある公園のベンチに座っていると橘さんが夏服の制服を着て、恥ずかしそうにやってきた。


「あ、おはよう! って、かしこまってどうしたの?」


「え、いやっ……なんか、はずかしくてね」


「……確かに、言われてみれば恥ずかしいな」


「気づいてなかった?」


「うん」


「鈍感だねっ?」

 

 俺が真面目に頷くと、橘さんはちょっとだけおかしそうに笑みを浮かべた。


 鈍感、か。確かに、それも昔から友達に言われたことがある。サッカー部でそれなりに活躍していた中学生の時に、ある女の子にアプローチされていたらしいが、正直今もピンと来ていない。


 まぁ、どっちでもいいが、個人的には気づけば高校でここまでボッチに成り下がってはいないか。


 我ながら、悟ってる自分に腹が立つほどだ。


「そうかな?」


「うん……だって、私も」


「え?」


「いや、なんでもないっ! じゃ、学校行こ?」


「ぇ……ぁ、あぁ」


 すると、橘さんはすぐに振り返って手を掴んでくる。少しびっくりしたが、さすが生徒会長だ。付き合うとなっては堂々としなくてはならないという気持ち様なのだろうか。


 そんな柔らかく小さな白い手を優しく握り返すと、橘さんの方が若干ビクッと跳ねた気がした。





「おいおい、まじか」

「え、うそでしょ~~」

「あの生徒会長がっ……」

「てか、隣のやつ誰だよ? 陰キャか?」

「付き合ってる人いるのか⁉」

「高嶺の橘さんがどうして―—!!」

「あんな奴よりも俺の方がいいだろうになぁ……」

「橘さんって男の趣味悪いのかな?」


 案の定、俺と橘さんを取り囲むは徐々に広がっていき、噂と言う名の現実はすでに学校の当たり前になっていた。


 いやはや、それにしても俺に失礼な奴多くないか? まぁ、俺は優しいからそこにいちいち怒ったりしないし、あながち間違ってはいないからいいが……。


「っ……い、いいひとなのに……っ‼‼」


 隣の橘さんの方は耐えられていなかった。

 怒ってくれるのは俺も嬉しいが、事実は事実。甘んじて受け入れるのは悪いことではないだろう。


「橘さん、そこまで怒らなくても……」


「か、彼氏のことをこんな風に言われたら……なんかすっごく腹立ってきて」


「気持ちは嬉しいけど、事実だよ?」


「事実でも言っちゃダメでしょー―――――あっ、いやね! 私はそんなこと思ってないんだよ‼‼ むしろかっこよくて、ずっと好きで、優しさとかもあってこれ以上はないっていうか、そのすっごく素敵で―—っ」


 完璧に空回りしている。

 生徒会長がここまでてんぱっているのを見るのはあの瞬間以来だが、こういう生徒会長も悪くはない。


「知ってるし、そこまで焦らなくていいよ、橘さん」


「え……あ、うぅ……ごめんなさい」


「謝る必要もないから、ね。ほら、行くよ」


「ぅん……」


 へこんですっかり落ち込んでしまった彼女の手を引いて、俺たちは2年6組の教室へ向かった。





「なぁ、よし。お前、あの生徒会長と付き合ったのは本当か?」


 朝読書までの時間。教室で離れた俺と橘さんは互いに席を付き、準備をしていると、前に座っていた晴彦が振り返ってそんなことを聞いてきた。


「え」


「あぁ、いや。ほらさ、さっきから周りの女子とか男子が橘さんが男と歩いてたって言うからさ! そしたら……みんなお前の方見てるし……まさかって」


「あぁ……いやぁ」


 一瞬、迷った。

 嘘をつくべきか、本当のことを言うべきか。


 しかし、結論は一つしかなかった。言うも何もいろんな生徒に見られた今、仲のいいこいつに言わない理由はない。


 生唾をごくッと飲んで、俺は頷いた。


「——まぁ、一応な」


「いや、まじで? ていうか冷静過ぎないか、あの橘さんと一緒に登校してきたって言うのによぉ」


「冷静も何も……まぁ、今更隠せないからな」


「……成長したな」


 俺がさも当然かのように言うと、眉間を力を入れて指でつまみだす晴彦。まるで祖父が孫の成長を見届けるようにぼそっと呟いた。


「なんでそうなる……」


「いや、さ。俺も彼女がいるし、めっちゃ可愛くて大好きだよ? でも……まさか友達があの高嶺の生徒会長と付き合い始めたなんて聞かれちゃ―—焼いちゃうなぁって」


「おい。それ彼女に聞かれたらどうするんだよ」


「いや、まじでそうじゃん」


 うんうんと自ら頷いていたが俺がそれに賛同するのは何か違う。というか、自分の彼女くらいもっと大切にしてやれよとツッコミを入れたいくらいだ。


 俺から見れば確かに橘さんは高根の花だが、晴彦の彼女もかなり美人に見える。違いはほとんどない。まあきっとこれが持つものと持たざる者の気の持ちようの違いなのだろう。


「はいはいっ。そうかよ。とりあえず、俺のことは良いから―—昨日の宿題やっておいたか?」


「え、宿題?」


「あっただろ? 数学ⅡBのプリント」


「あ、やべ! 昨日はあいつと遊んでて……頼む、見せて!」


 案の定。

 いつも通りの流れだ。


 普段ならここで「彼女の要る奴に見せるプリントはない」と言っていただろうが、生憎と今日から俺は立場が違う。

 

 チラッと教室の廊下側を見ると、そんな俺と晴彦のやり取りをとろんとした顔で見つめている橘さんと目が合った。するとすぐに、赤面し、近くにあった教科書で顔を覆い隠す。そんな姿にクスリと笑い、元に戻って俺は言った。


「はぁ……仕方ないな」


「うお、さんきゅ!!」


 そう、俺の高校生活はこの日をもって変わってしまったのだ。

 

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