第2話「秘密」
「……本当に、ごめんなさい!!」
そして、あれから30分。
誰もいない教室の隅に涙を流しながら座り込む橘さんの目の前にて、俺は地面に頭を擦りつけながら土下座している最中だった。
「まじで、すみませんでした!! まさか、あんなことしているとは知らずに入って……そ、そのっ——橘さんのあ、あんな姿を……目にしてしまって……」
口が回らない。それに、言葉も出来ていない。
まず、なんで俺が謝っているのかすらも分からない。
しかし、目の前で嗚咽を洩らす我らが高嶺の花の前ではそうすることしか出来なかった。
「……あの……本当に、大丈夫……ですかっ」
「……そんな、わけ……ないっ」
「で、ですよね……」
くそう。一体全体、こういう時は何をすればいいのか。
少し強い口調で言われ、さすがに俺も気が引ける。橘さんの自慰を見てしまった後ではもう遅いが、どうすればいいかよく分からない。
「ねぇ」
すると、体育座りで俯いていた橘さんは小さな声で呟いた。
「——え」
「よしひろく―—ぁ、ぇと……木田くん……っ」
「は、はいっ……?」
顔は見えないが籠った声音が耳に届く。
いつも体育館やテレビ放送で聞く生徒会長の声ではあったが、少し弱弱しさがあった。
そんな橘さんの声に驚いて、俺は固唾を飲んだ。
「——見た、よね?」
見たか、見てないか。そう問われれば答えはイエスだ。もちろん、この眼にはくっきりと映っている。瞼を閉じ、脳裏に浮かんでくるくらいには焼き付けられている。
しかし、あまりも苦しそうな表情をしている————ような気がして、俺は首を縦に触れなかった。
「……ない」
「ほ……んと?」
「ほ、ほんとだっ」
「……ぅ。ほんと? 目が合った……気がするんだけど……」
確かに橘さんの言う通り。俺たちはあの瞬間見つめ合った。
互いに目を見ていた。
しかし、ここで本当のことを言っていいのか。それは彼女を傷つけるのではないかと過ぎって中々答えが出ない。
「……あぁ、だけど……」
「本当の事言って」
ただ、橘さんの方はそうではなかった。
本当のことを言う。言ってほしい。彼女の方から言われたら言わざる負えない。ここはもう、言うしかない。そう考えて、少しだけ間を開ける。
―—そして、拳を握り締め、殴られる覚悟で静かに呟いた。
「み……見ました…………」
「んっ——!! だ、だよ……ね」
「ごめんっ……」
喉を押し殺し、ぐっと叫びたい気持ちを堪える彼女。そんな姿にすぐに謝る。
「いや……木田くんは悪くないっ」
「でも——」
「私が教室であんなことしているのが悪い……私こそ、ごめんっ」
頭をあげて、彼女はそう言った。
頬が真っ赤。そして、両手が小刻みに震えている。
やばい。女子にこんなこと……。
心の奥底にいる紳士な自分が自らを責め始める。
「俺も……本当に、ごめんっ」
「私が悪いからいいって……ほんとに」
「でも……女子のそういうのは」
「私は大丈夫っ」
「さっきはだいじょぶじゃ——」
「いいのっ‼‼」
言っていることと動きが真逆だった。
まあ、無理もない。裸よりも恥ずかしいものを見られて、こうしてその本人と話しているのだから仕方がない。
しかし、彼女は必死にそれを隠そうとしていた。
ぎゅっと唇を噛み、涙を堪え、そう呟く。
今にも崩れそうな橘さんを前に俺は固まってしまっていた。
「……っ」
「私……余計なことっ」
「いや、そんなことは——」
今更、俺の机でなんであんなことを? なんて聞く気もなかった。
どうすればこの状況を打開し、橘さんには元の生活に戻ってもらえるか。自分を責める彼女をどうすればいいか。
考えれば考えるほど分からない。
すると、俯く俺に彼女はこう言った。
「——あの、提案があるの」
「提案……?」
「私っ……もう、お嫁にいけないし、それにあんなところ見られて気が気じゃないっ。だから——私と結婚してほしい」
ただ、それだけ。
恥ずかしがり、赤面した橘さんはシラフで言ってきた。
嘘ではない。夢ではない。
俺に告白を―—プロポーズをしてきたのだ。
「え」
「もう、あんなの見られたし……責任取ってほしい。そ、それに……あんなことするの木田くんだからだしっ……」
「いや——でも」
「お願いっ。あの事誰にも言わないでほしいのっ」
「だ、誰にも言わない!! もちろん、言わない!! だから別にそこまで——」
「いいのっ。どうせ、いつか告白する気だったんだし……」
「え、こくはk……え?」
「好き……なの。木田くんのことが」
「お、俺を?」
「うんっ」
「橘さんが?」
「そうだよ……」
嘘を言っているようには見えなかった。
俺も鈍感ではない。気づかないなんてことはない。ドッキリを疑ったが橘さんはあんな風に身体を張るタイプでもないことは昔から見てきた俺ならよく分かる。
艶めかしい視線。
桃色の唇。
唐突の言葉に異性を感じる。
初めて、告白をされた。どうすればいい。自慰以前に、何をすれば、言えばいい。
固まり、口がぴくぴく動く。
「え、ぁ……で。もっ」
「ダメ、かな……」
今にも泣きそうな顔。
その表情で言われれば俺は了承するしかなかった。
「だ、大丈夫……よろしく……」
そう、そして。
「婚約……。よろしくお願いします……」
高嶺の生徒会長、橘六花のあれを見てしまった俺は結んでしまったのだ。
秘密にする代わりの結婚を、17歳の夏先に契約してしまったのだった。
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