第2話 行方不明の調査 -1章 犬好き探偵の失踪
俺はその日、探偵事務所を出て現場に向かっていた。場所は室蘭中島町。時刻は夕方に差し掛かった頃だった。依頼された内容は「いなくなった猫を探して欲しい」というもので、その依頼人曰く「うちの飼っている黒猫が朝起きると姿を消していて帰ってこないので探して欲しい」ということらしい。
そんなものは自分で探せばよいじゃないかとも思ったが報酬が高い分仕方がないと思い了承することにした。
俺は猫探しが得意だった。何故なら俺は子供の頃から猫が好きだったため様々な動物を調べたり飼育したりすることが多かったからだ。例えば犬を飼っていれば散歩中の飼い主が落とし物をした時いち早く拾ったり、猫を飼えば家のトイレの場所を教えてあげ、夜中に喉が渇いた時の為にペットボトルの水を置いたりとムツゴロウ級だった。
「ご主人様!見つかりそうですかぁ?」
横にいるのはこの探偵事務員の自称少女、最上静香32歳、おれの4歳年上である。彼女もまた特殊な存在だ。見た目は完全に人間なのだが耳やしっぽが付いている。日常的にコスプレをしている。これが彼女のアイデンティティなのだそうだ。
「ん~どうだろうな」
俺は最上に聞こえないように小さな声で言った。今回の猫の特徴を聞く限りだとまだ見つかなさそうな感じだった。
「もう!さっさと見つけてください!今日は『ご主人さま』と『ご馳走』を楽しみに待っていたんですから」
いったい何を言っているのか...たまに俺は最上静香のことがわからなくなる...
そうこうしているうちに目的の家に着いた。2階建ての一軒家でかなり大きめの豪邸というやつだ。俺が住んでいる所とは比べ物にならないくらい高級住宅が立ち並ぶ中の一つだ。インターホンに指を当てようとしたが思いとどまりノックを3回程してから玄関に入った。
「お待ちしておりました」と出迎えたのは白髪頭の男性で、彼が依頼人であることは一目見て分かった。
リビングに行くとそこには大きなペルシャ絨毯が敷かれており部屋の隅々にまで金がかかっていた。この部屋だけでいくらするか想像すらできないなと思った。
「こちらへどうぞ」と言われ席についた。
ここの白髪の男性、ウィドド・スハルトは湯呑をすすりながら口を開いた。
「それでですね。いなくなった飼い猫なのですが。今朝、私が出勤する時にはベッドの上にいましてね。その時に寝相の悪さのせいで毛布から出てしまったのではないかと思います」
ツンと焼酎の匂いをさせながら、ウィドド氏は一枚の写真を差し出した。
「その猫の名前は?」
俺はたずねた。
「はい。名前はミケと言います。私の飼っている中で三匹目の猫になります」
写真の猫を見る限り首輪をしており、野良ではないことが分かった。そして毛並みも良く綺麗な黒色をしている。これはなかなかの美人だ。しかし、何か引っかかる点があった。
ウィドド氏が猫と呼んでいるそれは、明らかに犬だった。
真っ白なサモエド犬。愛らしい顔のサモエド犬だった。
「どこに行ったか心当たりはありますか?」
「うーんそうですねぇ……」
顎に手を置きしばらく考えたあと、
「あの子は外に出て行ってしまったのでしょう。外の世界が好きな子でしたので」
と落ち着いた様子でウィドド氏。俺は内心、(お前のところにはメイドさんが二人もいるの、羨ましいぜちくしょう!)と隣を相棒をチラと見た。
したり顔をした静香を横目に俺は話を進めた。「最後に会ったのはいつですか?」
「3日前の日曜日の昼頃でしょうか。私の友人と出かけると言って出て行きまして、帰ってきたらいなくなっていたのです」
ウィドド氏の友人というのは恐らく理髪店の主人、マスターのことだろう。
「そうですか、では次の質問を。あなたとマスターの関係を教えてください」
俺はウィドド氏の後ろにいる美しいメイドたちを注視しながら尋ねた。
「関係?友人ですよ。お互い趣味が同じで仲良くさせてもらっています」
なんだ、ただの友達かよ。ちょっと期待してしまった自分が恥ずかしくなった。
それもそうだ。このウィドド氏の件もマスターから依頼されていたんだ。
「それでは猫の特徴について聞かせていただけますか」
「えぇもちろん。その前にコーヒーでもいかがですか?」
俺は遠慮しますと言った。ウィドド氏はそれを了解したかのように話を続けた。
「特徴というと……まずは大きさですね。体高40cm、体重6kg程度だったと思います」
猫にしてはかなり大きい。それもそうだ、サモエド犬なのだから。
続いて、色。
これも黒ではなく真っ白な猫であることを聞いた。毛の色に種類はあるのだろうか。雑種なのか、純血種なのかもわからない。これに関しては俺も知らないことが多いので困った。
それから耳の形やしっぽの形状なども聞いてみたが、どれ一つとってもサモエド犬に当てはまるものはなかった。しいて言えばスコティッシュフォールドに似ている気がしたが、断定はできない。
「すみませんが、うちには白猫しかおりません」
申し訳なさそうにウィドド氏はそう言うと、傍らにある焼酎「長次郎」の大きなボトルを掴み、おもむろに湯呑に注いだ。並々と注がれた湯呑からうまそうに飲み干した。ゴクリ、ゴクリと喉を鳴らす。ウィドド氏は満足げにため息をつきながら、俺の方を見て「お替わりはいりますかな?」と勧めてきた。
「いえ、結構です」と断りを入れたが、
「いいじゃありませんか、こんなに美味しいお茶は初めてです」と笑顔で勧められてしまった。
お茶、中身は焼酎だが。断るのも失礼かと思い、「一杯だけなら……」と差し出されたコップを受け取った。ウィドド氏が注いでくれた焼酎を口に含む。
うん、まぁ確かに美味いかもしれない。アルコール特有の味はほとんどしない。むしろまろやかさを感じる。香りも良い。ウィドド氏曰く、これはかなり上等な焼酎らしい。
「ところで、このミケちゃんの写真を見せてもらったんですけど」
「あ、何かわかりましたか!?︎」
ウィドド氏は目を輝かせながら身を乗り出してきた。
「この猫、多分サモエド犬だと思います」
急に最上静香が口を開いた。
いきなり確信をつく発言。今までの話を全てひっくり返した、天変地異とも言えるその言動に俺は冷や汗をかいた。
顔色が変わるウィドド氏。
俺はなんとか場を取り繕おうとした。
「根拠はあるのか?静香さん。どうしてそう思うんだ」
ウィドド氏が静香に問いただす。
「はい、これは私の憶測になりますが…………。ウィドド・スハルトさん、あなたは犬をミケと呼んでいるようですね。それは、あなた自身がサモエド犬に似た種類の犬を飼っているからでしょう。違いマスカ?」
静香が答えた。
正解だ。俺は心の中で叫んだ。
「その通りです。この子はミケといいます。よくご存知で……」
「イエ、ソンナコトハアリマセンヨ」
なぜカタコトなんだ……。静香の目は笑っていなかった。
「そうでしたか。私はてっきりどこかで飼っているサモエドを見たのかと思っていましたが、あなたの話を聞く限り、違うみたいですね。でも、だとしたらどうして?」
ウィドド氏はまだ状況を飲み込めていない様子だった。
やおら立ちあがったウィドド氏が構えをとった。
この構え、以前に目にしたことがある。どこで見たのか、、、
そうだ、マスターのサモエド犬と喧嘩していたときに、確かウィドド氏が取っていたのと同じポーズだ。
「私は、シラットを使うんでね」とウィドド氏は答えた。
「ハイ、ワタシノヨウナモノニトッテココマデヤリガイガアルノハオモイシマセン」
俺も立ち上がり、静香の前に出た。
「ウィドド氏、残念ですがこの勝負、俺がいただきます」
俺は拳を構えた。ボクシングのスタイルで、左手を前に出し、右手を引いた。そして腰を落とした。いわゆる打撃で牽制していくスタイル。相手の出方を見る。
シラットと一言に言っても、その流派は多肢にわたる。まずはそこを探り、攻略のきっかけを作りたかったのだ。
ウィドド氏は俺に殴りかかってきた。しかし俺は最小限の動きで避けていく。
当たらないことに苛立ったのか、ウィドド氏の連打が始まった。
ウィドド氏が繰り出す蹴り技や手刀などは全て捌き切った。まるで師匠のパンチを避けていたときのようだ。あの時の感覚が蘇る。
このシラットは打撃系。防御と攻撃が表裏一体となったスタイルだった。
俺が攻撃をしないものだから、ウィドド氏はさらにヒートアップしたようで、 ついには拳法のような足払いを仕掛けてきた。
俺はそれすらも軽くかわし、今度は俺が反撃に出る。一瞬の隙を見逃さず、組技を仕掛ける。
ウィドド氏の腕を掴み、引き寄せると、勢いのままに一本背負いを決めた。やはり組技の対応は甘いようだった。
ウィドド氏は地面に叩きつけられた。刹那、呼吸困難に陥ったウィドド氏にすかさずマウントを取る。
「降参して下さい。ウィドド・スハルトさん」
俺の問いかけに、ウィドド氏が答える。
「……まだやれる」
その声にはもう力がこもっていない。
俺は、彼の両肩をしっかりと抑え込み、動けないように固定した。ウィドド氏はジタバタともがくが、びくともしなかった。
ウィドド氏が叫ぶ。
その顔は涙で濡れていた。
俺は静かに頸動脈を絞める。ウィドド氏から抵抗の意思がなくなったのを確認して、手を離す。
ウィドド氏が起き上がる。ウィドド氏はしばらく放心していたが、ふいに正気を取り戻した。
何か喋ろうとしたが、うまく言葉にならない様子だった。
床に突っ伏したウィドド氏を後に、俺たちはサモエド犬捜索のため屋敷を後にした。
静香がウィドド氏について語り始めた。
「さっき、ウィドドさんはシラットの達人だって言いましたよね。でもあれは嘘です。私、実はシラット使いに知り合いがいるんです。彼はその筋では有名な人なんですよ。シラットを極めた人に与えられる称号、シラット・キングを持っています。だからウィドドさんはあんなことを言ったんだと思います」
ウィドド・スハルトの言っていたことは真実ではない。悲しい独り暮らしの老人なのだ。
日が沈もうとしていた。
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