【1回戦-2】

 菊野は星川にノートを渡すと、ぎくしゃくとした動きでテーブルの方へと向かった。すでに隣のバルボーザは着席していた。精神統一のためか、目をつぶって何やら唱えていた。菊野も真似してみようと思ったが、何を唱えていいかわからなかった。

 てっきり、高岩が出ると思っていた。夏の大会にも選ばれていたし、自分にも勝っている。団体戦に出ること自体は、初めてではない。ただ前回は、「誰でもいいからそこにいればいい」という役割だった。しかし今回は違う。間に合わないメンバーの代わりとして、勝ちに行く一人として出場するのだ。

 菊野は、会田の顔を思い浮かべていた。同学年ながら最初からレギュラーとなり、活躍している。将棋部出身ではないにもかかわらず、会田はエリートと言えた。

 一年間、一番弱かった。全国大会には十一人で行ったが、「実質十人ではないか」と思うこともあった。後輩が入ってきて、星川や閘には勝てている。ただ、レギュラー陣には全く勝てなかった。こんな感じで四年間が過ぎていくのかもしれない、と思うこともあった。

 それが、アクシデントとはいえ不通に出場する機会が巡ってきたのである。

 中野田も北陽もいない。最下位相手とはいえ、絶対に県立大学が勝利できるという状況ではない。

 なぜ、安藤は自分を出したのだろう。全くわからない、というわけではなかった。今後、自分たちの学年は部の中心になっていく。鍵山と会田はレギュラーとして、猪野塚はムードメーカーとして、それぞれ役割がはっきりしている。そんななか、菊野だけが「便利屋」のようになっている。それも立派な役割だと思う。けれどももう一歩前に出て、「頼られる存在」になってほしいのではないかと、菊野はそう感じるのだ。

 県交流戦でもリーダーに指名された。後輩たちを引っ張っていく存在。全く向いている気はしなかったが、きっとそれを期待されているのだ。

 駒を並べる手が震えていた。バルボーザの太い腕は、ビクともしなさそうに見えた。その向こう、鍵山も蓮真も、とても落ち着いた表情に見えた。

 菊野は目をつぶって、「頑張る、頑張る」と唱えた。自分に何度も言い聞かせた。

 対局が始まる。相手がいきなり角交換をしてきて、その角を打った。筋違い角だ。中野田がたまに指していたが、菊野には対戦経験がほとんどなかった。手探りで対応しているうちに、どんどん抑え込まれていく。

 形勢は悪い。とても悪い。

 逃げ出したかった。自分には無理だ、どうせ負けるんだ、出した部長が悪いんだ。いろんな思いを押し込めて、耐え続けた。

 絶対に負ける。そんな局面になった。こんな大変なことを、ずっと続けている部員たちがいるのか、と思った。自分は見ていないが、二年前は部員が八人しかおらず、全員が代わる代わる出場するような状況だったという。安藤も、福原も、何度もこんな戦いを経験してきたのだ。

 せめて、投了は先延ばしにしなければ。菊野は必死になって、詰まない道を探した。それでも、次第にどうしようもなくなっていく。

 詰めろをほどく手もない。相手に迫る手もない。

「負けました」

 細い声で、菊野は投了した。

「お疲れー、よく頑張った」

 菊野の両肩に手を置いたのは、猪野塚だった。

「終わってたの?」

「みんな、ね」

 菊野はホワイトボードを見た。貼り出されている対戦表には、6つの〇が付いていた。突然のアクシデントの中、自分以外は勝利していたのである。

 そういえば前もそうだったな、と思った。県立大学の仲間たちは、頼もしい。ずっと、支えていきたい。

「遅れていた人たちは?」

「北陽先輩以外は移動中で、間に合いそう」

「北陽さんだけどうしたの?」

「バスが先に動き出したらしくて。先輩は駅にいて、急いでバス乗り場に向かってるって」

「そっか。じゃあ次は……」

 菊野の視線に先には高岩がいた。先ほどの菊野同様、緊張して動きがぎこちなくなっていた。


 

1回戦

県立大学6-1鳥口大学

1 安藤(三)〇

2 大谷(一)〇

3 猪野塚(三)〇

4 佐谷(二)〇

5 鍵山(二)〇

6 バルボーザ(一)〇

7 菊野(二)×

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