古い着物

増田朋美

古い着物

秋が深まる季節だというのに、まだまだ暑い日が続いている今日このごろ。新聞によれば国家そのものが海面上昇のせいで沈んでしまうのではないかと思われる、という記事も乗っているほど、最近は暑い日々が続いてるらしい。そういうこともあるくらいだから、暑いというのをなんとか食い止めなければ行けないと思うのであるが、正直なところ、もうどうにもならないのではないかと思われるのが、一般的な感想だと思われる。

その日、下村苑子箏曲教室に新しい入門者がやってきた。名前を、永井冴子というまだ、和の世界には足を踏み入れたばかりの、若い女性だった。琴の教師である下村苑子さんは、新しく入門した女性に、この世界に来てくれたのだから、それなりに、ルールに従ってもらうとしっかりといった。箏曲ではよくありがちな、尺八パートをフルートで吹くことで教室を手伝っている浜島咲は、苑子さんにもう少し柔らかく接してもらおうと思うのであるが、苑子さんの言い方は厳しかった。特に、息子さんである、薫さんを失ってからの苑子さんは、本当に厳しくなったような気がする。なんだか、厳しくすることで、薫さんに謝罪をしているのではないかと思われるような、そんな気もするのであった。

「それでは、今回は、洋服で来ることを許しましたが、次回の稽古ではしっかり着物を着て、こちらに来ていただきます。着物は、お琴の教室では、楽器に敬意を払うことが前提ですから、色無地か、江戸小紋を着用し、帯は、袋帯で二重太鼓か、名古屋帯で一重太鼓を結んでいただきます。それから、半襟は白で、足袋も白にしてください。伊達襟は入れてもいいのですが、無地のものを着用してください。それを、守っていただかないと、お琴教室は、入門できません。」

と、苑子さんは、永井さんに言うのだった。もうちょっと、かみ砕いて説明してくれれば、新しいお弟子さんがもっとはいってくれるきっかけになってくれるのではないかなと、咲は思うのであるが、苑子さんは、絶対そういうことは崩さないらしい。苑子さんは、きちんと、伝統を伝えたいと思うのだろうが、もうちょっとかみ砕いて教えないと、今の人はついてこないような気がする。

「苑子さん、もう少し、わかりやすく伝えてあげれば、、、。」

と咲は思わず、そういうのであるが、苑子さんは、それを無視して話を続けるのであった。

「それでは、来週までに、着物を用意してきてくださいね。私も、助手の浜島さんも、こうして着物を着ているのですから、着物は、こういうものであると言うことは、すぐにおわかりになるでしょう。それでは、来週のお稽古には、着物で来てくれる事を期待します。では、また来週のこの時間に来てください。」

と、苑子さんは、早口にそういう事を言って、永井さんにもう帰るように促した。

「わかりました。ちょっと、何がなんだかわからないけれど、できる限り用意はいたしますから。」

そういわれた永井さんは、ちょっとどうしたらいいのかわからないと言う顔で、苑子さんを見て、一礼し、お教室のある部屋から出ていった。それでは、なんだか彼女がかわいそうだと咲は思った。せめて、着物の本でも貸してあげるとか、そういう事をすればいいのに。まあとりあえず、永井さんの連絡先は、入門申込書に、書いてあるので、あとで電話して説明すればいいと思うのだが、ちょっと咲は、苑子さんのやり方は強引すぎるのではないかと思う気がした。

「苑子さん。」

咲は、永井さんが部屋から出ていったところで、思わず苑子さんに言った。

「もうちょっと、彼女に、わかりやすく説明してやってくれませんか?きっと色無地がどういう着物なのかとか、そういうことは、彼女何も知らないんじゃないかと思いますよ。その証拠があの顔じゃないですか。苑子さんは、彼女の顔を見て何も思わなかったんですか?」

「だって、そのとおりのことだもの。日本の伝統とは、そういうものですよ。」

と、苑子さんはいつもと変わらずに言うのであった。

「でも、ただ色無地とか、一重太鼓とか、そういう事を話しても分けのわからないなまえを出されただけで、何も無いと思うんですが?」

咲は、苑子さんに言ってみる。

「いいえ、日本の伝統とは、自分で覚えるものです。他人に聞いてどうのこうのというものではありません。自分で、名前の意味や、特徴などを調べて、自分で、覚えていくものです。親方が何でも教えて親切にという世界ではありません。それは、ずっと同じ姿勢でやってきたんですから、今更変えるわけには行かないでしょう。」

と、苑子さんはそういうのだった。確かに、日本の伝統というのはそういうものなのかもしれないが、ちょっと今の時代というものには合致していないこともある。それは、日本が戦争に負けて、急激に西洋化したのも原因の一つではあるのかもしれないが、日本の伝統に携わる人が、それを極度に拒み続けるのも、問題の一つではないかと思う。

「そういうことなのかもしれませんが、でも、ちゃんと教えてあげたほうがいいと思うんです。間違った着物を着て怒るだけじゃなくて、ちゃんと、わかるように説明してあげることも重要なんじゃないでしょうか。私達は、してあげることを、ちゃんとしてあげないと、行けないのではないでしょうか。もう、見て学ぶとか、先生の態度を見てどうのこうのという時代ではありません。そんな事をいつまでも要求されるから、だれも人が来ないんじゃないんですか。苑子さんは、ちょっとその辺りは、優しくないんじゃないかな。それは、もう仕方ないこととして、こちらが親切に教えなければならないんじゃないでしょうか?」

咲は、本当はすぐに、永井さんに教えてやらなければだめだと思うのだが、苑子さんにどうして言っておきたくて、咲は、一生懸命、自分の意見を述べた。

「いいえ。日本の伝統は西洋とは違うのよ。西洋の伝統は、教えるのかもしれないけど、日本の伝統は、教えるものじゃなくて、盗むものなのよ。上のものは、言葉以上に態度で示すのよ。それを読み取って、本人のものにしていくのが、弟子の勤めでもあるのよ。日本の伝統は、西洋に同化してしまってはいけない。それを、私達は、伝えていかなくちゃね。」

そういう苑子さんに咲は、なんだか時代外れというか、なんで日本の伝統は、そういう古いものにこだわりすぎて居るんだろうか、また同時になぜ、こうも西洋的なものを敵対するのかと思ってしまったのであった。

「苑子さんがいる世界は、もう当の昔に終わってしまった、そんな世界を美しく見すぎていて、それにしがみついて居るだけの様に見えます。私にしてみたら、もう壊れてしまって居ると言ってもいいくらい。なんでそんなに壊れた世界にこだわり続けるんですか。そんなに、西洋的な思想は、行けないですか?私は、いいと思うけどな。」

咲は、思わず苑子さんに言った。

「咲さんは、そう思うかもしれないけど、このままじゃ、日本の文化というものが消滅してしまうような気がするの。今はなんでも親切にどうのこうのとか、そういう時代かもしれないけど、日本のそういう相手を読み取る力って言うのは、すごいものだったと思うわ。それは、悪いことでは無いわ。なんでも、ヨーロッパのマネをすればいいかって言うと、そういうことは無いと思う。私は、少なくともそう思ってる。」

苑子さんがそういう事を言うので、咲は思わず頭にきたというか、そんな気持ちになってしまって、思わずこういった。

「もう時代は変わったのよ!それなのに、古い時代の良かった事をしゃぶって、今の世の中を敵視している苑子さんが悪いのよ。それは、ぶっ壊れてしまった世界に、しがみついているだけじゃないの。じゃあ、もう一度聞くわ。なぜ壊れ物の世界を抱くの?」

「そのうち、あなたにもわかるわよ。私達の文化が、消えてしまうってことが、いかに悲しいかってね。」

と、苑子さんは静かに答えた。

「それが、答えですか?」

と、咲は苑子さんにいう。

「ええ。そうよ。日本の伝統文化は、このままだと、消えてなくなってしまう。それはね、国家が消えてなくなってしまうこととおんなじことなのよ。国家一つが消えてしまうってことは、どういうことなのか。あなたには、わからないわよ。」

「ええ、わかりませんとも。私は、苑子さんの答えは間違っていると思います。もっと、新しい考えを取り入れて、伝統の良いところを、一生懸命保持して行くことのほうがよほど賢いのではないかと思います!」

咲は、思わずそう言ってしまった。今回は、苑子さんの言うことは間違いだと思ったのだ。なんで、そういう事を伝統に携わる人達は言うんだろう。例えば、中国などでではよくあるが、伝統楽器を使ってロックバンドを結成する人たちが居てもいいと思う。咲はそれを、思っているのだが、何故かでんとうに拘る人は、それを邪道だと言ったりする。

「もう質問がないなら、今日はここまでだったわよね。明日また、お弟子さんたちが来るから、また頑張りましょう。明日のお稽古は、秋の七草だったわね。よろしく頼むわね。」

と、苑子さんはそういって、お琴を片付け始めた。咲は、明日苑子さんのところに行けるかどうか、なんだか嫌だなあと思いながら、お琴を片付けるのを手伝った。お琴というものは、一人では片付けできない楽器でもある。ピアノも一人では持ち運べない楽器ではあるけれど、お琴もそうなのである。

「じゃあ、浜島さん。また明日も来てね。尺八演奏が無いと、箏曲の実態がつかめないから、きっと大事な役になると思うわ。」

そんなこと言って、苑子さん、そういうんだったら、少し私の意見も取り入れてよと、咲は口にしようとしたが、苑子さんの悲しい顔をしているのを見て、それはいわないでおいた。

「わかりました、明日また来ますから、よろしくおねがいします。」

咲はそれだけいってお教室を後にした。全く今日は、苑子さんと派手に喧嘩をしてしまったなと思ったが、謝ろうという気持ちにはなれなかった。苑子さんは、どうしてああいうふうに、伝統的な物にこだわるのだろうか。そしてそれを、ひたすらに西洋文化が悪いといい、自分たちが被害者であるかのような顔をしているのだろうか。なんでかなあ、咲はそう思いながら、教室からバス停に向かった。

その日は、流石にまっすぐ自宅へ帰る気にならなかった。なんだか、そのまま家に帰ったら、怒りを処理できないまま明日を迎えてしまう気がした。なので咲は、いつも乗っていくバスとは、違うバスに乗った。そのバスは、いつも行く自宅の方向ではなくて、製鉄所のある大渕の方向に向かった。咲は、製鉄所近くにあるバス停で降ろしてもらうと、製鉄所に直行した。製鉄所といっても、いろんな事情がある人達に、勉強や仕事をするスペースを貸し出すところなのだが、皆製鉄所とよんでいる。日本旅館のような形の建物は、正しく純和風という感じなのであるが、入り口に段差がまったくないなど、工夫がされていた。そういうところは、西洋的なバリアーフリーをしっかり取り入れているといったほうがいいのかもしれない。そうやって大成している場所があるのだから、お琴教室でも、そうなってくれればいいかと思ってしまっているのだろうか。すべてのものが、すべての人に楽しんでもらうという発送は、無いのかなと思いながら、咲は製鉄所の入り口の引き戸を開けた。

「こんにちは。杉ちゃんいる?ちょっと聞いてほしい事があるのよ。」

咲がそう言うと、製鉄所の中から、今手が離せないんだよ、上がってきてくれるという杉ちゃんの声が聞こえてきたので、咲は、いわれなくてもそうすると言って、靴を脱ぎ、製鉄所の建物内にはいっていった。製鉄所の建物は、何も段差もないし、ただの床の上を歩いていると言う感じだった。咲が四畳半に行くと、縁側で杉ちゃんが、着物を切っている音がした。それがまたたいそう立派な訪問着だったので、咲は思わずわあと言ってしまう。

「何を言っているんだ。これは、たしかに訪問着だけど、着れなかったら何も意味が無いじゃないか。だから着れるように今から改造するんだよ。」

と杉ちゃんはでかい声で着物を2つに切った。おはしょりの部分は足し布をし、おはしょりが出ているように見せかけるトリックを使っている。今日は、水穂さんも具合がいいのか、布団に座って、杉ちゃんが縫っているのを眺めていた。

「まあ、こういうコトも必要でしょうね。その人は、着物を着たいけれど、着付け教室に行く手段が無いので、自分一人でも着られる方法は無いものか、杉ちゃんに相談しに来たそうです。」

水穂さんがそう言って、状況を説明してくれたので咲はなるほどねえと思う。でも、こんな立派な訪問着、買ったらきっと、何十万、いや、もしかしたら、何百万してしまうような着物を、ぶった切って二部式着物にしてしまうのは、ちょっと申し訳ないような気がする。

「杉ちゃん、この着物ってまさか。」

「そう、京友禅だよ。」

杉ちゃんはサラリと答えた。

「それはそうなんだけど、ちょっと精巧に出来すぎてるわな。でも、着られないでタンスの肥やしにしちまうのはもっとかわいそうだからさ。だから、ちゃんと着てやるのが一番だと思うわけ。着物なんて、もともと礼装専門というわけじゃない。普段に平気で着ちまって良かったものなんだ。それが、いつの間にか、礼装だけのものになっちまった。普段気軽にっていうわけには行かないんだよね。もっと、気軽に、着られたらいいのにね。二部式着物はその答えだと思うんだ。」

それにしても、杉ちゃんの縫うスピードは速かった。もしかしたら、和裁屋としては天才的だと思われるくらいだった。

「まあ、こういう形になっても、着ようという気持ちがあることが一番大事だよね。」

と、水穂さんがそれに付け加えた。ちなみに、杉ちゃんの着ているものは、上は武家からしたは農民まで浸透したという黒大島と呼ばれるものである。正式名を大島紬といい、これだって、もとは、農民の普段着だったんだし、そこを考えると、着物と言うものだって、普段当たり前のように使っていたコトもあったんだと思う。

「これで、着てくれる気持ちが湧いてきてくれるかどうか疑問だが、それでも、着てくれることを祈ろう。着物代官なるものにバレちまったら、すごく怒られると思うけど、それ以上に、着物を着ようという気持ちが大事だと伝えておこう。」

杉ちゃんはそう言いながら、巻きスカートと化した着物の下半分に腰紐をつけながら言った。

「まあ、少なくとも、簡単に着られるようになったわけだから、少しは、着てくれる気持ちも湧いてくると思う。まあ、そういうことなんだけどね。なんていうのかな、日本では、日常的なところよりも、どうしても高尚な行事ばかりを大事にしてしまうので、、、。もっと、毎日が楽しいと思ってくれるといいんだけどね。着物だってもともと、そういうときに使うものではないんだし。」

水穂さんは、杉ちゃんの言葉に、そう返した。咲は思わず、

「それだわ!右城くんいいこと言ってくれた!そこが一番、日本の文化でかけていることなんじゃないかしら。見栄えとか、見た目の美しさとか、そういうものばかり気にかけすぎて、目の前の毎日が、大事だってことは、少しも考えてないってところよ。」

と言ってしまった。杉ちゃんたちが、はまじさんいったいどうしたの?と聞くので、咲は今日苑子さんと喧嘩をしてしまった事を話した。それで、苑子さんが、どうしても改善してくれそうもなかったということを、強調して話した。

「はあそうなのねえ。まあ、もともと、芸人は、特別な日に、呼ばれて仕事するっていう人間でもあるからねえ。」

と、杉ちゃんがいうと、

「でも芸人だって普段の毎日があったはずですしね。僕が、邦楽にはじめて触れて驚いたのは、練習曲を書いた作曲家が居なかったことですよ。だから、そういう事を言ったのであって。」

水穂さんも付け加えた。咲も、古典箏曲で、練習曲として採用されたものが一曲も無いことを思い出した。ピアノでは、ショパンの練習曲とか、ドビュッシーの練習曲とか、そういうものがあるのに、お琴では一曲もない。楽器の演奏技術を獲得するための曲と言うのは何も無いのだ。

「まあ、色々悪いところはあると思いますけど、日本人は、本番を愛してやまないと思いますよ。だからそのために多くの事を作ってきた文化なんですよ。日常的なことは二の次だったから、日常が、西洋文明に乗っ取られても抵抗しなかったというのはあると思いますね。まあ、それも、すぐに変化が起きても対応できる利点でもありますけどね。」

水穂さんは、咲にこういう面もあるんだと紹介する様に言った。

「そうかあ、それもあるかあ。でも私は、どうしたら、日本の伝統がわかるものかしらね。このままだと私、わからないまま終わっちゃいそう。だって、見て学ぶとか、そういうことはもう時代遅れだし、日本の伝統は、いいことがあるとは、まるで思えないけど?」

咲が思わずそうきくと、

「やっとそうでは行けないと気が付き始めたばかりという意味でもあるんじゃないの?まあ、いきなりおっきな事がやってくるのも恐怖だし、今までの事を失うのも恐怖ではあるな。でも、柔軟で、すぐに対処できる文化ではあるな。」

と、杉ちゃんはカラカラと笑った。

「じゃあ、できたぜ。これで、ある程度簡単に着られる着物と言うものになったと思うんだけど、喜んでくれるかな。」

確かに作ったのは、二部式着物だ。だけど継ぎ足した布などで、着物の形ではなくなっていた。それは、ある意味では、行けないということなのかもしれなかった。そこは、苑子さんにいわせたら、行けないところなのかもしれないが、咲は、それでいいのではないかと思った。同時に、苑子さんが、壊れ物の世界を抱くという現象にハマっていても、私は私なのだと思うことができた。


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