第78話 不可避
客商売をする以上は避けては通れない事がある。
それはピークを何とか乗り切ってそろそろ一服出来そうかなと思った矢先の出来事だった。
「だからどうしてくれるんだって言ってんだろ」
何やらカウンターの方から聞こえてきた声に厨房からフロアを覗き見ると、カウンターの前でお盆を胸元に抱え上体をちょっと後ろに反らしている木島さんに詰め寄るチャラそうに髪を赤茶色に染めた兄ちゃんの姿が目に入った。
「それはお客さんがご自分でなさった事ですし店としては何とも」
「俺が悪いって言うのかよ。零れないようにするのは店の責任だろうがよ」
ああ、これは駄目な奴だ。
結論ありきの言いがかりだ。フロアが女性だけだから明らかにナメてかかってるし。
どうやら綺麗なライダースジャケットにケチャップが飛んで染みが付いた様だ。事故なのか故意なのか疑わしい事この上ないのだが。
「何か問題でもありましたか?」
エプロンで手を服ながら厨房を出て木島さんに助け舟を入れる。
「あんたが店長さん?これ見てよ。ケチャップが飛んで染みになっちまったよ。これ買ったばかりで高いんだぜ。どうしてくれんだよ」
腹部に2センチほどの赤い染みが付いたジャケットをこれ見よがしに引っ張って俺に見せつけてくる。胸には大きくメーカーの名前が入った見ようによってはカッコイイ服だ。聞いた事も無いメーカー名だけど。
大方大陸製のパチ物だろう。大体、新しいと言いながら防汚や防滴のコーティングも真面に効いてないんだから碌な物じゃないのはお約束だ。
「あらら、早く洗った方がいいですね。ケチャップは落ちにくいから」
「何他人事みたいな事言ってんだよ。だからこの責任どう取ってくれるんだって言ってんだろうが!」
ここぞとばかり凄みを込めて追い込みをかけてくる。マヌケなだけだけど。
「まあまあ大きな声を出さないで下さい。他にお客さんもいらっしゃいますから。でもお客さんの服をお客さんが汚しただけでしょ。店がどうこうする話じゃないでしょ」
「何だとテメェ。俺が悪いって言うのかよ!零れて服を汚す可能性があるんだったらそれを予防すんのは店の責任だろうが」
ああ、変な理屈が自己完結しちゃってるよ。盗人にも三分の理と言ってあげたいところだけどそれにすら及んでないよな。後ろでニヤニヤと突っ立ってる連れらしき金髪の兄ちゃん止めてくれないかな。
「格好からするとバイク乗ってらっしゃるんですよね?バイクで転倒したらバイク屋に文句言うんですか?こんな転ぶような危ない物売りやがってって。転んで怪我したから治療費払えって?ケチャップが服に付けば汚れるのは子供でも分かる常識でしょ?それが嫌なら付かないように努力するのはお客さん自身の責任ですよ。そんな理屈が通るならカレーうどんを出す店がなくちゃいますよ」
「黙って聞いてりゃ調子に乗りやがってテメェ」
実力行使に出そうな勢いで一歩踏み出すので俺が右手を小さく挙げて天井を指さすとそちらを睨んで忌々しそうに動きを止めた。
指の先の天井には半球型のケースの内側に赤いパイロットランプが点滅している。
「今のやり取り全部記録されてますよ。これ以上続けるなら警察呼びましょうか。脅迫か威力業務妨害ってところですかね。ウチはかまいませんけど」
画像データどこにあるのか知らないけど。
「くっ、とんでもねぇ店だな。こんな店二度と来てやらねえからな。晒してやるから憶えてろよ」
とんでもねぇのはお前さんだよ。来ないなら憶えている意味もないだろ。
そもそもお前自身が見た目通りの鳥頭で憶えてないと思うぞ。その赤頭は絶対三歩で忘れるタイプだよな。
「ご自由に。あんまりにも酷いようならこちらもそれなりの手段を取らせてもらいますから忘れないで下さいね」
一方的に他人を晒すなら自分も晒される覚悟はするべきでしょ。自分だけは大丈夫と思っている思考回路が理解できません。他人を殺そうとするならまずは自分が殺される覚悟をしましょう。
SNSで流れる情報は良い物ばかりとは限らない。それどころか謂れのない誹謗中傷の方が多いのかもしれない。自分の意見を表明するのは有だと思うけど特定の相手を貶したりするのは全く別物だ。一定数以上いる顔が見えないだけで何でもありだと思ってるおバカを止める手段は残念な事にない。
客商売として避けられないリスクだろう。客は選べません。ならやられたらやり返すだけだ。降りかかる火の粉は自分で払わなきゃね。これも自営業の自衛だな。
外から大きな排気音が聞こえてくる。アイツらのバイクの音だろう。無意味に何度も空ぶかしを繰り返している。いいのか、そんなに回転数上げて。
『ジャリジャリガシャ』
ほら言わんこっちゃない。砂利の路面で荒いクラッチミートしたら滑るに決まってるじゃん。
まあ俺の知った事じゃないけどね。
これで少しは反省できれば丁度いい授業料だよ。
やり取り見てたお客さん笑い過ぎ。
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