第73話 何か漏れてる

 結局、この日は席が埋まるほどの混雑はなかったが客足は途切れることなく三時前まで続いた。驚くよ。木島さん招き猫なのかな。なら両手上げてそう。


「結構忙しいじゃないですか」


 最後のお客さんの食器を下げてカウンターに入って来た木島さんが言った。


「平日は十人来ればいい方なんだけどなぁ。こりゃ明日も覚悟しとかなくちゃいけないかな」


「脅さないで下さいよ。緊張して失敗しそうです」


 初めてのフロア業務を卒なく熟してるんだから全然問題ないと思います。結構器用そうなのに何で料理はダメなんだろ。


「明日はマスターのお孫さんも手伝いに来てくれる予定だから今日より混んでもきっと何とかなるよ。ああそうだ、遅くなっちゃったけど何か食べる?」


「はい。オムライス食べたいです。運んでて凄く美味しそうだったから」


「了解。ちょっと待ってて」




「ご馳走様でした。美味しかったです」


「お粗末様でした。じゃあ明日は10時からで大丈夫そうかな」


 外したエプロンを受け取りながら明日の予定を確認しておく。


「はい、宜しくお願いします」


 元気に笑顔でそう答える姿を見ると今日の実習で少しは手ごたえを感じてもらえたようで俺も少しホッとした。


 元気があれば何でもできる。皆さん、元気ですかー!(誰だお前)


 そのまま前回と同じように駐車場まで出てお見送り。

 鵞鳥に隠れるように隣にチョコンと停められたミニバイク。

 やっぱり可愛い。ついついニヤケてしまう。(最早フェチだな)


 木島さんが手慣れた手つきでフレームの三叉の傍に設置された鍵穴でハンドルロックを解除してからバイクをバックさせる。これうっかり鍵を抜き忘れてハンドル動かすと折れる厄介な奴だ。


「ん?」


 ふと見た地面に黒い染みが。

 指先で軽く擦って匂いを嗅ぐと水では無いようだ。

 何か漏れてる。


「あっ、ちょっと待った」


 今にもキックペダルを蹴り下ろそうとする木島さんを止める。


 不思議そうにしている木島さんに近づきしゃがみこんでクランケース周りをちょこっと観察。クランクケースの継ぎ目は多少は汚れているけど乾いていてミッションオイルが漏れた感じは無い。


 ならばとラジエターの下回りからホース、ウォーターポンプへと触りながら点検してみるがこちらも特に異常はなさそう。こいつチビッ子のくせに水冷なんですよ。何気に凄い。


 キャブの一次側で漏れたののならガソリンだからもっと匂いもするだろう。


「ああ、これだ」


 俺の声に後ろから木島さんが覗き込む。左のシュラウドに隠れるように設置された白い樹脂製のタンク。その側面の汚れの一部が黒く湿って下に向かって線を描いていた。


「エンジオイル何かした?」

「はい。今日から乗るので朝出る前に足しました。こっちに帰って来てから足してなかったから」


 タンクの正体はエンジンオイルのリザーバータンク。2ストローク車は4ストロークと違い分離給油式の構造で潤滑を確保している。シリンダー内に噴きつけられたオイルはガソリンと一緒に燃やされて減ってしまうためにガソリンと同じように定期的な補充が必要となるのでその為のタンクがアクセスしやすい場所に取り付けられているのだ。


 この手のタンクは大抵ポリプロピレンという樹脂製だ。成形しやすくて軽くて丈夫。とても素晴らしい素材だ。ただ紫外線に弱くて劣化する。添加剤などで改善してるみたいだけど完璧とはいかない。そして一旦割れてしまうとくっつけるのが難しい素材としても有名だったりする。


 じゃあバイクの部品になんか使うなよと言いたいところだがメーカーとしてはその辺のデメリットを承知した上で、それでも使うメリットが上回ったという事だ。


 これが最終型だとしてもエンジンの直ぐ横に設置され、熱と振動に耐えながら20年以上。十分仕事してるよね。


 壊れたらお役御免で交換しろよと言う事です。


「タンクの上の方が割れてるみたいだね。オイルを足して油面が上がっちゃったから走って揺れた時にそこから漏れたんだと思う。このままでも走れない事も無いけど危ないから修理というより交換かな」


「バイク屋さんに行くくらいは大丈夫ですか?」


 心配そうに木島さんが聞いてくる。


「それくらいなら問題なく走るよ。ダダ洩れしてオイルが無くなる事も無さそうだし。でも念のために応急処置だけしておこうか」


 いや、そんなに心配そうな顔しないでも大丈夫だから。

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