第70話 実習
明けて金曜。今日は木島さんが就業前の実習を兼ねて手伝いに入ってくれる。
ちょっと早めに開店準備を済ませると彼女は十時前に今日も元気にミニバイクを駆ってやってきた。
「おはようございます。今日はよろしくお願いします」
シンプルなボーダーの長袖Tシャツにスリムのジーンズという出立はショートボブの髪型とも相まってアクティブな雰囲気の彼女にはとても似合っていた。そして元気な挨拶はそれだけでその場を明るくしてくれる。うん、挨拶は大事だね。
「おはよう。こちらこそ宜しくね」
いつもの空間を独り占めしているような一人の静かな時間もいいけど他に人がいる活気のある空間も楽しい。それが華やかな異性ならなお宜しい。
実習と言ったって彼女にお願いするのは基本的なフロアの動きだけなんで何も問題は無いだろう。何しろ高校生のバイトでもできるお仕事だ。出来ればコーヒー淹れるのもお願いしちゃおうかな。
一通りの物の配置と簡単な動きを説明して操作が必要な物は実際に動かしてもらう。
新兵器の操作もいたって簡単なので先週みたいな大忙し状態になったらお任せしてもいいかも。新兵器二号になってくれると嬉しい。
そうこうしているうちに十一時を回り本日最初のお客様が来店した。
いきなり接客はハードルが高いのでまずはじっくりと見てもらおう。
やって見せ、言って聞かせて、させてみせ、褒めてやらねば、人は動かじ。
五十六さんは凄いね。
ちょっと違うか。でも似たようなものだろう。
やっぱり金曜は入りが良いような気がする。週末に有休を絡めてちょっと遠出。妙な病気が流行ったせいで在宅勤務やら週休三日やらと週末以外にも休みやすい環境が出来たせいかもしれない。
ちょっと前よりみんな時間に余裕が出来たような気がする。通勤がないだけでも時間的にも精神的にも少し楽になって休日に何かする気になるのなら今までと違う所が元気になるかもしれない。
この店みたいな鄙びた場所に人が来てくれるのもそんな生活様式の変化の影響だったりするのだろうか。
何しろ車もバイクも製造ラインが滞ってるせいもあるけど新車は納期がエグいほど先になる程売れているらしいから動きたがってるのは間違いない。
そうして漸く新車が届いたならそりゃちょっと出かけてみたくもなるわな。
何処に行くかと言えば感染のリスクを嫌って人混みの多い街中を避けてちょっと(かなりだろ)離れた田舎にある混んで無さそうなとこ。何か変わった物でも食べられればいいなーなんて…。
まんまここじゃん。
ど真ん中だよ。
そうか、この店に客が来るのは厄介な病気のお零れだったりするのか。
グヌヌ、素直に喜べん。
以前の職場ではマイナス効果しかなかった騒動がここではひょんなきっかけでプラスに働いているという捨てる神在れば拾う神在り的な皮肉。
うむ、世の中の流れは侮れん。
まあ、そんな自分ではどうしようもない事を考えても仕方がないので今できる事を頑張るしかない。
ここでできるのはせっかく来てくれたお客さんにまた来てもいいなと思ってもらう事ぐらいだろう。
だからしっかり接客しましょう。
木島さんもその辺理解してくれるかな。
「ご注文はお決まりですか」
お冷とお手拭きをテーブルに置きながらオーダーの確認。
お客さんは二十代前半らしき男性二人組。
「えーと、俺はホットドッグとホットコーヒーで」
「じゃあ俺はオムライスとアイスコーヒー、先でお願いしまーす」
「このあとラーメン屋に行くんだぞ。食えるのか?」
「大丈夫、大丈夫。朝飯食ってないし」
今日は男二人でノンビリ食べ歩きのようだ。ちょっと羨ましい。
「ホットも先で宜しいですか?」
「はい、一緒に先で」
オーダーを記入した伝票バインダーをカウンターの上に置いてから一杯分のコーヒー豆をミルで挽いてサイフォン式のドリッパーにセットする。
火を点けてからお湯が沸くまでにカップをウォーマーから取り出しソーサーにセット。
そう、カップウォーマーがあったんです。カウンターの隅で埃避けの布巾を被せられ忘れ去られていたようです。きっと暇だから出番がなかったんだろうな。
マスターもそうしてたから俺も一々お湯で温めたんだけど在るなら早く言ってよーてな感じ。コンセントを挿してスイッチを入れたらちゃんと動く。これは便利と即座に現役復帰を決定しました。
木島さんはサイフォン式が珍しいらしくお湯が上がってくる様を楽しそうに眺めている。都会で流行りの店じゃ立派なコーヒーマシンばかりできっと目にする事も無かったのだろう。
上がって来たお湯を木べらを使ってゆっくりと撹拌して粉と馴染ませる。あとはゆっくりと落ちるのを待つだけ。
深入り焙煎の香ばしい匂いがカウンターの周りに漂う頃には完成だ。
ホットにはスティックシュガーとミルクポーション、アイスにはガムシロップとミルクポーションを添えて出来上がり。
「配膳してみる?」
「はい!」
ただ見ているだけじゃつまらないだろうと声を掛けると、木島さんは零れる様な笑顔で元気な返事を返してくれた。
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