第61話 いつもの風景
コーヒーと煙草の香りが漂う室内にヴォサノバのリズムだけがのんびりと流れる。
店がようやく通常営業に戻りました。
時間は既に11時を回っているけど客の気配すらありません。
うーん、閑古鳥サイコー。(仕事しろ)
今日はゆっくりと小説が読めそうだと文庫本を手に取ろうとしたら駐車場の砂利を踏む音がした。カウンターのスツールを降りて窓から覗くと見知った軽トラが停まった。
「よう、兄ちゃん今日は暇そうだな」
店に入るや否や明るく暴言を言い放つ。事実だけど。
ドアベルの軽やかな音と共に店に入って来たのは予想通り弦さんだった。
「今日の一人目は弦さんですよ。いらっしゃい」
「そうかそうか。昨日の昼に来たんだけど忙しそうだったから出直すことにしたんだよ」
そう言いながら勝手知ったる様子でテーブル席にドカリと腰を下ろす。
「それはすいませんでした。土日は急に混んじゃってこっちもてんやわんやだったんですよ」
見慣れない混雑に気を使わせてしまったようだ。お冷をテーブルに運びながらお詫びを口にする。
「バイクが何台も止まってたから兄ちゃんが友達でも集めたのかと思ったけどそうでもないのか」
「マスターのお孫さんがSNSにこの店の事載せたらしくて」
「SNSってのはあれか。ツブヤイターとか何とか言う」
ビミョーに間違ってますけどそのお年でご存じなのは素晴らしい。
「そうそう、そんな奴です。今日は何にしますか」
「オムライスにしてくれ。ソーセージを一本付けてな」
「はい。じゃあちょっと待っててくださいね」
厨房に入って早速調理を始める。週末の経験のお陰で手順に淀みが無くなった気がする。何事も経験に勝る学習機会はないって事かな。
「おう、早いな」
一本目の煙草を吸い終えるタイミングでテーブルに料理を運ぶと驚かれた。
「このスープ美味いな。今日みたいな雨の日は温かいのが染みる」
今日のスープは刻んだ白菜とベーコンのコンソメスープ。俺が好きで家でも時々作ってる奴だけど気に入ってもらえたようだ。
「午後も畑ですか?はい、これは昨日のお詫びで」
粗方食事を終えたテーブルにホットコーヒーを置く。
「いや今日は終いだ。こんな天気で野良仕事しても風邪ひくだけだ。この後は家に帰って婆さんとテレビでも見るさ」
確かに今日はこの時期にしては寒い。天気のせいで気温も上がらない。日に日に深まる秋の気配を感じずにはいられない。
「やっぱり外仕事は雨だと大変ですよね」
「お天道様あってだな。こればっかりは鳥小屋の中の方がいいかもしれん。しかしあんなに客が来たなら兄ちゃん一人で大変だっただろう」
「そうなんですよ。マスターの娘さんにも相談したんですけどまだ人を雇うには早いだろうって。ああ、今度の週末はお孫さんが手伝ってくれそうなんですけどね」
「人を雇うのは大変だからな。一度雇えばやっぱり辞めて下さいとはいかん。雇う側も責任を持たにゃあならんからな。…ちょっとした手伝い程度なら当てがあるが聞いてみるか?」
元経営者の言葉には説得力がある。弦さんがコーヒーを飲みながら何か思いついた様だ。
「土日の昼間だけなんですけどそんな都合のいい人いますか?」
「家に東京から出戻ってゴロゴロしてる孫がおってな。暫くは休みたいとか言って次を探しもせん。真さんが戻るまでなら二、三週間だけじゃろうから丁度いいかと思ってな」
「自分としては手伝ってもらえるなら猫の手でもって感じですから有難い話なんですけど、無理強いだけはしないで下さいね。ホントにこの先どうなるのかは分からないんで」
「構わん構わん。とっとと社会復帰させるいい切っ掛けだ。兄ちゃんが気にする事はない。本人がやる気があるなら顔出させるから一度話してみてくれれば十分だ」
弦さんがコーヒーを一口飲んでから煙草に火を着ける。おお、その若緑色のパッケージは『わかば』。お年寄りって『わかば』かオレンジ色の『エコー』のイメージなのは何故だろう。ああ、因みに俺は『セブンスター』です。注意書きの面積が拡がってパッケージデザインの意味が全くなくなっているのが悲しいです。
「あっ、そういえば今日はお店早仕舞いしても大丈夫ですかね?」
「そんなものお前さんが決めればいい。真さんも時々は臨時休業したり昼で店閉めてたから問題ないじゃろ」
マスターも時々休んでたんだ。そりゃそうだよな。病院にも通ってたみたいだし。三音里ちゃん母に連絡しとこ。
そんな雑談タイムをまったりと過ごしているうちにお客様がご来店です。あ、この前も来てくれた農協さんだ。リピーターは有り難い事です。
当然と言うか弦さんとは顔見知りの様で畑の話を始めたのでお冷を出すために一旦テーブルを離れる。
さて、今日は何人来るかな。お仕事、お仕事。
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