第56話 転がる小石
何がどうしてこうなった!
金曜日まで至って平穏だった店は土曜日の開店と同時に在り得ない事態に見舞われていた。
10時になっていつも通りの準備を終えた俺は入口扉の札を『営業中』にひっくり返そうと表に出ると待ち構えていたかのように5台のバイクが駐車場へと入ってきた。
今日は天気もいいしツーリングにも最適だろうからこんな事もあるかと慌てて店内へと引き返しお冷の準備をする。
幸先がいいなとちょっと喜んだりもした。
五人のオーダーをサーブし終えたところで更に三人がご来店。
店内の三つのテーブルが初めて埋まった。埋まってしまった。
新人管理人としては初めての事態に結構焦る。先客のオーダーを出し終えた後だったのはラッキーだった。
五人組が会計を終えて店を出てホッとしたのも束の間、入れ替わるように三名様ご来店。時計はまだ11時前だというのに初の10人超えだ。
ここまで来れば鈍い俺でもさすがに何かおかしいと感じる。ホットドッグが一番人気なのも何か気になる。
昼前なのでランチとは別に軽く済ませるのは分からなくもないが、それを目的にしていそうな気配が会話のそこかしこに感じられる。
「うおっ、旨っ」
「これならもう一ついけるな」
「ここ当たりじゃん」
聞こえる声は概ね好意的な感想が多かった事もあり会計時にちょっと話をしたらやっぱり来店のきっかけはSNSだった。
「結構『いいね』付いてるんで混むかと思って早めに来たんですよ」
とのこと。
何!これ以上混むだと!
これはヤバいとようやく気付いた俺は慌てて厨房で在庫を確認した。
幸いな事にソーセージとパンはまだ余裕がある。だけど他の材料はちょっと怪しいかも。
何しろ店を開けてる理由が殆ど在庫整理だし客が少ないんで肉も野菜も卵も俺がスーパーでちょこっと買えば済む量だったので業者さんに発注なんかしてない。でも今更買い出しに行く時間は無い。
こりゃ最悪ホットドックだけで乗り切る事になるかもしれない。
さっきのお客さんの話を信じて昼前後に更に来店客があるとするならちゃんとした食事のカレーやオムライスのオーダーが増えるだろうと冷凍したご飯を解凍しながら玉葱を刻む。
カレーはタイミングよく残りが少くなっていたから今日は五人前を追加で作ったけど足りるだろうか。すぐに追加できるように材料だけは準備しておこう。あと五人分ならいけるはずだ。
ホットドックも調理時間を短縮するために常温で少し解凍して、パスタも多めに水に浸けておこう。セットのミニサラダも多めに作ってラップをかけて冷蔵庫へ。
手間がかかるホットコーヒーはどうしよう。さっきは今日の陽気のお陰か冷たい飲み物ばっかりだったから問題なかったけどまた満席になったら手が回りそうもない。
そんな初体験の事態にアタフタしているうちに昼に近づき一度途切れたお客さんが増え始める。
こうなりゃ考えるよりも動くしかない。ハリウッド映画の戦闘機乗りの台詞が頭を過る。あんなに格好良くはないけど。ミスっても死なないし。
そして地獄がその姿を現した。
14時過ぎには30に迫ろうかというオーダーを何とか片付け、厨房には洗われる事も無く積み上げられた食器の山とカウンタースツールにグッタリと座る燃え尽きて真っ白な灰となった俺だけが残されていた。
何じゃコリャ!
何処かの殉職前の刑事のような言葉が頭に浮かんだ。
この数は無理。ワンオペで回せませんから。どこぞの牛丼屋よりハードですから。
だけどそんな中でも妙な充足感も感じていた。
「美味しかったよ」「また来ますね」
そんな言葉を残し笑顔で店を出ていくお客さんたち。
今迄の仕事も楽しかったし周りの人達もいい人たちだった。しかしこれ程の近さで自分の仕事を実感する事は無かったように思う。
すぐに返ってくる反応の手応えが段違いなのだ。
(飲食って何か楽しい)
ようやく今までと違う何かが動き出した気がした。それは例えるなら小石が坂の上から転がり出したような感じとでもいえばいいのだろうか。
小石はどこをどうやってどこまで転がるかなんて見当もつかないけど、いつかはどこかに辿り着く事だろう。それまでもう少し頑張ってみるのも悪くない。振り返るのはそれからでも十分間に合うかな。
そんな思いを抱きながらふと見た厨房には無秩序に積み重なった物が目に入る。
(うげっ、コレがあったか)
世の中いい事ばかりではないのだよと食器たちに笑われた気がして俺はカウンタースツールから重い腰を上げて洗い物を始めた。
因みにだが殆どが男性客であったのは確証は無いが『#バイク女子』の影響と思われる。そこで一言言いたい。
お前ら群がり過ぎだよ!!!
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