第50話 冬眠準備
その日は家に帰ってから事情を両親に説明したら、さすがに少々もめた。三十過ぎで無職になる事が決まった時も一波乱あったのだが職場の状況などこちらでは如何ともし難い事情もあり何とか矛を収めてもらっていた。そこに来ていきなり碌な経験もない飲食店の管理の話である。そりゃ三十過ぎの馬鹿息子でも心配にもなるだろう。
それでもマスターが復帰するまでの短期間だという事もあり昼間も家でゴロゴロされるよりはマシだと思ったのか納得してもらえた。凄い渋々だったけど。
翌日は日曜日にも関わらず7時起床の8時半出発。バイクで小一時間の道程なので10時前に着ければ十分だろう。
店に着いたらまずは窓を開けて店内清掃と空気の入れ替え。それが済んだら昨日は遅くなってできなかったバイクの確認。
小屋の扉を開けると以前と変わらぬ姿でそいつはそこにいた。
(ホントにピカピカなんだよな)
冬ごもりと同じ作業でいいかと思っていたのでまずはタンクキャップを開けてガソリンの残量を確認すると、ほぼ満タン状態だったので問題なさそうだ。贅沢をいえばガソリンを抜いて内部を完全乾燥させるのが理想だろうけど手間がかかり過ぎるからこれで十分とした。燃料コックはONだったのでOFFへと切り替える。後で添加剤入れてもいいかな。
出来ればセンタースタンドを立てて水平にしておきたいところだがレーサーレプリカであるこのバイクにはセンタースタンドは無い。しかし整備されたこの小屋にはメンテナンススタンドがあるのでそちらに乗せる事にした。サイドスタンドで車体を斜めの状態で長期間保管するのはキャブの油面の関係であまりお勧めしない。タイヤの変形防止にも有効だ。
キャブのガソリンをドレンから抜くかとも思ったがマスターの予定がハッキリしてからでいいかと今回は保留。必要ならこの状態でエンジンをかけて空にしちゃえばいいし。ミッションオイルの状態も良さそうなので交換はせずにこのままにする事にした。汚れたオイルの水分は意外と悪さをする物だ。チェーンやディスクブレーキ周りも綺麗なものだ。後は念のためバッテリーのマイナス端子だけ外しておこう。
ほぼ状況確認だけだったので時間はまだ11時前だ。店でボーとしてるのも何なので厨房で三音里ちゃんと約束したカレー作りを試してみる。今日はそのつもりだったからカレールーもちゃんと持参した。
不便なキャンプでも作れるくらいなので設備の整った厨房ならあっという間だった。昨日も思ったけどこの包丁切れ味が素晴らしい。やっぱりキチンと手入れされた道具は一味違う。
野菜を使ってしまいたかったのでジャガイモ、人参、玉葱、ウィンナーをカットしてコンソメスープも作ってみた。味付けは市販のコンソメの素と塩コショウだけだけど十分美味しく仕上がった。でも具が多くなりすぎたかな?
『カランコロン』
鍋を火からおろして冷蔵庫のウーロン茶を飲みながら一息ついているとドアベルが鳴った。
「おぅ、シンさんいつもの頼むわ」
その聞き覚えのある声に厨房からカウンターに出ると弦さんにちょっと驚かれた。
「おっ、エアコンの兄ちゃんじゃねぇか。そんな格好して何やってんだ?」
馴染みの店でエプロン姿の三十路男が出てくればそうなるわな。
「実はですねぇ…」
昨日の顛末を簡単に説明する。
「そうかぁ、シンさんがなぁ…。だけど大丈夫ならよかった。ワシより若いんだからちゃんと順番は守ってもらわねえとな。じゃあ暫く店は休みかい?」
「好きにしていいとは言われてるんですけど所詮素人ですからねぇ。事情を知ってる人ならともかく普通のお客さんに出すのは恐れ多くて」
「まぁそうなるわな。とりあえず今日はなんか食える物あるのかい?」
「さっきカレー作ったんでそれでよければ出せますけど」
「カレーか。そういえば最近食ってねぇな。じゃあそれで頼むわ」
「えっ、いいんですか?」
「この辺の食い物やなんてここぐらいだ。ワシが味見てやるからいいから持ってこい。兄ちゃん昼飯食ったのか?まだなら一緒に食おう」
「自分の昼飯のつもりだったんで一緒に食べてもいいですかね?」
「独りで食べるより話をしながらの方が美味いからな。どうせ他には客も来ないだろうからいいんじゃないか」
常連さんが言うんだからその通りなのかもしれないけど店としてはどうなんだろ。
「じゃあお言葉に甘えさせてもらいます。今、準備してきますね」
準備と言っても皿にご飯を盛ってカレーをかけるだけだ。それをスープとスプーンと一緒にトレーに乗せる。
「お待たせしました。ああ、飲み物。ウーロン茶でいいですか?」
「おお、何でも構わんよ。ほう、いい色だ。見た目は美味そうじゃないか」
「じゃあ忌憚のないご意見をお願いします。いただきます」
最初の一口をパクリ。出来は大丈夫そうだちょっと安心して弦さんを見る。
「うん、こりゃ美味いな。婆さんのとは大分違うが大したもんだ。十分いけるぞ」
お許しを貰えたようでホッとする。
「シンさんの事はワシから周りの連中に話をしておくよ。ワシほど店には来てなかったから問題ないだろう。ワシは時々寄るから何か食わせてもらえると助かるがの」
「この程度で良ければいつでもどうぞ。マスターが戻るまで店番はする予定ですから」
「そうかそうか、なら良かった。その辺の話もしておくよ。うん、美味い」
そんな話をしながら店番初日の昼はカレーの香りと共に過ぎていった。
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