第46話 想定外


『カランコロン♪』


 素朴なドアベルの音と共に見慣れてきた店内に足を踏み入れる。学生の夏休みも終わり朝晩の涼しさに季節の移り変わりを感じる時期だが晴れた昼間はまだまだ暑い。この店には偶然訪れたあの日から何度となく足を運んでいる。料理が美味し事ももちろんだがバイクで散歩がてら出るにも丁度いい距離だし、いつ来ても空いていてノンビリと静かに過ごせるのが有難い。今日だって天気のいい土曜日の昼過ぎにも関わらず他に客の姿は無い。うーん、ちゃんと商売になっているのだろうか。余計な事だろうが心配になってしまう。


 昔から俺が気に入る店は余り長続きしない。なぜなら繁盛して混んでいる店には人混みがあまり好きではない俺が近づかないからだろう。静かでノンビリ過ごせる店とは詰まるところ客が少なく売り上げが上がり辛い店だ。生業として続けるのは当然難しくなるから店を閉めてしまう事が多いのだ。


 そんな店に何度か通い顔を覚えてもらうと必然的に店主と言葉を交わす機会も増える。程よい距離感を保って接してくれる店主の人柄も居心地の面からは大事な要素だ。その点この店のマスターは最高だ。


 初回の出来事のお陰もあってか二回目からはすっかり親しくさせてもらっていた。共通の話題で話が盛り上がるのは楽しい。マスターは若い頃にはライセンスも取得してプロダクションレースなんかではかなり本格的に走っていたらしい。その後は家業を継いで、それも引退した今は殆ど趣味の感覚でこの店をやっているらしいから売り上げは全く気にしていないようだ。


「こんにちわー、あれ?マスター?」


 店に入っていつものカウンターに店主の姿がない事を訝しみ奥の調理場の方に向かって更に声をかけたがそれでも応えはない。


 一人でやってる店だからゴミ出しなんかで店の外に出る事もあるのだろうがこの時は何か違う雰囲気を感じて初めてカウンターの端から一歩踏み込んで調理場の奥を覗き込んだ。


「光岡さん!」


 そこには果たしてコンロの前に蹲るマスターの姿があった。


「大丈夫ですか」


「ああ、豊田君か。…すまないけど救急車を呼んでもらえるかな。薬では収まりそうもない」


 息も絶え絶えに苦しそうに小さな声ではあるが辛うじて応えてくれる。意識はしっかりとしているようだ。


「は、はい。今すぐに。だからしっかりしてください!」


 俺がてんぱってどうする。慌てて携帯を取り出し119番をコールする。


「マスター、歳と症状は?あと、ここの住所!」


 コールの間に必要な事を確認する。


『はい、消防指令センターです。火事ですか?、救急ですか?』


 こちらの焦りなど関係ないと言わんばかりの感情を感じさせない機械的な応答が癪に障るがあちらも仕事としてそういう対応を訓練しているのだから仕方がない。


「救急です。救急車をお願いします」


『落ち着いてください。救急車が向かう場所を教えてください』


 オペレーターの誘導に従って必要事項を伝えていく。


『ではこれから向かわせますので誘導可能であればサイレンの音が聞こえたら誘導に出て下さい』


 通報が終了するとマスターをゆっくりと入り口付近のカウンターまでゆっくりと移動させる。


 こんな時はバイクは本当に役に立たないので救急車の到着をジリジリしながら待つしかない。


 待っている間に保険証や携帯を準備して厨房の火の元だけ確認しておく。扉にはコピー用紙に手書きで『臨時休業』の紙を貼ったところで遠くからサイレンの音が聞こえてきた。





 マスターは循環器系の持病があったらしくかかりつけの病院もあったのでそこへと搬送されることになった。救急受け入れもしている立派な総合病院だ。


 カルテもあるので受付はスムーズで救急の診察室での診察の後にそのまま入院となる事がすぐに決まった。


 マスターの症状も処置のお陰で既に落ち着いており、今は念のためだろうがバイタルをモニターする為の患者監視装置と点滴に繋がれて入院病室へと移動していた。


「豊田君、済まなかったね。でもお陰で助かったよ」


 ベッドに横たわったままいつもの穏やかさとは少し違う静かな声で声を掛けられた。


「いえ、気にしないで下さい。あのタイミングで来れて良かった」


「いつもは薬だけで問題なかったんだが今日は収まらなくてね。この夏の暑さが堪えたのかもしれない。歳を取ると無理が効かないとしみじみ思うよ」


 確かに今年は猛暑日どころかバイクで出歩くのを躊躇するような酷暑日が何日もあるような暑い夏だった。


「今年の暑さじゃ無理もないですよ。俺だってへばってましたから。少し病院でゆっくりした方がいいかもしれませんね」


 そんな話をしていると個室の病室の扉がいきなり引き開けられ元気な声が飛び込んできた。


「お爺ちゃん大丈夫?!」


 その声に振り向いた俺はちょっと驚いた。


「「え?」」

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