第39話 そよ風

 その店は国道から一本入った脇道にまるで生い茂る木々に隠れるかのようにひっそりと佇んでいた。見つけられたのはまったくの偶然だ。




「うおーっ!!!」


 俺は国道を気持ちよく流していた。そこに突然何かが横の茂みから飛び出してきてそれを避けるために急ブレーキをかける羽目に陥っていた。

 フロントロックでの転倒を避けるため出来るだけ車体を立てた姿勢でフロントブレーキは程々にしてリアブレーキを思いっきり踏み込むとロックしたリアが景気よく滑る。そこから軽く車体を左に傾けてやると鵞鳥は転倒することなく車線の中央で道を塞ぐように横を向いて止まった。


「フゥ、あっぶねー。コケるかと思った」


 一気に体の力が抜ける。これ、SSの強力なダブルディスクならパニックブレーキでフロントからスリップダウンしてたかもしれない。ああ、最近のはABS付いてるから大丈夫なのか?兎にも角にも今回は鵞鳥のチープなブレーキに救われた感じだ。固着してたリアのマスターシリンダーを頑張って磨いた甲斐があったようだ。


 若かりし頃、漫画の一場面に憧れてコッソリ練習してたのがこんなとこでお披露目する事になるとは。黒歴史もたまには役に立つモノですな。


 飛び出してきた何かはとっくに道路を横断して茂みの中に消えていた。なら途中で止まってこっち見なきゃいいのに。たぶん野生の狸かイタチだろう。そうして目をやった脇道の茂みの向こうに『営業中』の札を掲げたログハウス風のその店を偶然見つけたんだ。


(こんなとこに店?レストランかな?)


 遠目で眺めて分かる事は一つだけ。


(商売っ気ないわ〜)


 普通なら国道沿いに看板とまでは言わなくてものぼり旗の一本くらい出しそうな物だがそんなのは全く見当たらない。


 ちょっと怪しいと思いながらもいつまでも道の真ん中で止っている訳にもいかないので取り敢えず脇道に入って店に近づいてみた。


 建物はやっぱりこじんまりとしたログハウス。三段の階段を上った先に上半分がガラスの明り取り窓の付いた木製の扉がある。扉の上には白い文字で『Brise』と書いてある木の板が掲げられている。店名なのだろう。読みはたぶん「ブリーゼ」。ドイツ語で「そよ風」みたいな意味だったかな。これでも第二外国語の選択はドイツ語だったりする。


 駐車場は舗装はされていないが整地されて10台は停められそうな十分なスペースの奥に車庫に丁度良さそうなこれまた木造の納屋がある。駐車場の入り口には目についた「営業中」の赤い文字の看板が風でクルクル回っている。


 今日は昼飯用に景色のいいとこで食べようとラーメンセットを持って来てたんだけどこれは延期だな。時間は昼前。こんな店を見つけたのも何かの縁だろう。外れたらおやつにラーメン食べよう。


 そんな事を考えながら階段脇に停めてある自転車の横に鵞鳥を停めた。


『カランコロン』


 入口の扉を開けるとドアベルが素朴な音をたてて店主に来客を知らせた。


「いらっしゃい」


 そう声をかけて入口から奥に続くカウンターのスツールから立ち上がったのはパイプを燻らせいかにもそれっぽい口髭を蓄えた小柄だがどこかニヒルな雰囲気の白髪まじりの男性だった。年は六十過ぎって感じかな。


「ここって食事なんかできます?」

「ああ、喫茶店だからね。大した料理じゃないけど」

「よかった。じゃあ一人なんですけど」

「好きなとこに座んなさい。今メニュー持っていくから」


 そう言われて見回した店内は目の前のカウンターの他に壁際に四人掛けのテーブルが三組と中央に歪な一枚板の大きな天板を持つテーブルが一つ。テーブルの中央には楕円の水槽が置かれその中には揺れる水草と戯れるかのように五匹の金魚が悠々と泳いでいた。


 俺は一番奥の四人掛けのテーブルに腰を下ろした。その横には年季の入った薪ストーブが鎮座している。席からカウンターの方を眺めるとそんなに広い空間ではないはずなのに梁が剥き出しで天井が高いせいなのかとてもゆったりとした空間に感じる。温かい電球色の照明も木肌の内装と相まって暖かみを醸し出していて落ち着く。


「はいお待たせ」


 そう言って差し出されたのはメニューとお冷。

 店主は立ち去る気配もなく話しかけてきた。


「バイクかい?ツーリング?」

「はい。修理上がりの様子見にあてもなく走ってたんですけどそこの国道で狸が飛び出してきて慌てて止まったら偶然ここを見つけて」

「そうか。それじゃあ狸に感謝しなけりゃな。客引きしてくれたようなもんだ、ハハハ」


 店主は最初の印象とは違うとても暖かみのある笑顔で笑った。








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