第35話 幸と不幸は紙一重
それは前触れもなく突然やってきた。
デイキャンプの翌日はキャンプ道具を干した後に鵞鳥様のチェーン清掃を敢行していた。所謂チェンシコ。チェーンオイルは意外と飛ぶし雨で流れたりもするから本格的に梅雨に入る前に手入れをしときたかったんだ。
油が切れて錆びて固まったらスプロケも痛むし走行中に切れようものなら目も当てられない。
センタースタンドのない鵞鳥は右側のスイングアームにジャッキを当ててリアタイアを少し浮かせなければならないのが面倒だ。
チェーンカバーとフロントのスプロケカバーを外してからチェーンクリーナーを噴きかけていく。この時にチェーンの内側に適当に切ったダンボールを挟んでやるとホイールやスイングアームに余計な汚れや油が付かないで済む。ついでにスプロケ周りの汚れも一緒に洗っておきましょう。
クリーナーを噴いたチェーンをブラシで擦っていくのだがブラシも進化していた。コの字で三方向から擦れるのだ。こりゃ便利と吹いては擦り、擦っては噴いてチェーンを送っていく。
ブラッシングが完了したらチェーンを回しながら再度クリーナでビタビタにして浮いた汚れを流して不織布の作業用ペーパータオルでふき取っていく。手が汚れるから手袋をしたいとこだが巻き込まれるとシャレにならないので俺は素手でやる派です。調子乗って勢いつけ過ぎるのも事故の元なんでゆっくりのんびりやりましょう。
拭き取りが終わったら少し勢いをつけて回して残ったクリーナーを飛ばしたら次は注油だ。最初は面倒でも一コマごとに可動部に細い金属ノズルを密着させてチェーンルーブを噴いていく。
某超有名三桁数字の潤滑スプレーを使う人もいるようだがやめた方がいい。あれは柔らかすぎて飛び散るしシールを痛めるからシールチェーンのグリスが抜けやすくなって結局寿命を縮めます。大した値段でもないからチェーンルーブ使いましょう。専用品にはちゃんと意味がありますから。
無事に注油が一回りしたらリアタイアを回してチェーンに油を馴染ませる。これをやりながら今度はノズルの場所を固定してチェーン全体に噴いていく。噴き終わったらこれもペーパータオルを軽く当てて余分な油を拭き取りましょう。この青い奴、本当に便利だわ。
少し勢いをつけてタイヤを回しても油が垂れなくなったらカバーを戻して終了です。ああ、カバーの裏側もついでに掃除しときました。
ホイールやスイングアームに飛んだ汚れを拭き取ってジャッキを外して完了です。
ほんの三十分の作業で安心して乗れるなら全然手間なんかじゃない。
さて、近所を軽く一回りしときましょ。
いつもの手順で燃料コックを捻ってからチョークを軽く開けてイグニッションON。そしてセルボタンを押す。
「キュルキュルキュルキュル」
ん?もう一度。
「キュルキュルキュルキュルキュル」
あれ?エンジンがかからない。一旦イグニッションをOFFにしてエンジン回りを目視点検。
燃料コックは開いてるし途中のフィルターにもガソリン入ってるからガス欠は無いだろう。キャブ周りも漏れてる形跡無いし。じゃあ点火系か?
狭くて力が入れずらいが何とかプラグキャップを外して予備で買ってあった新品プラグをセットしてエンジンブロックの傍でセルを回してみる。
「キュルキュルキュルキュル」
問題が無ければ小さな火花が飛ぶはずなんだけど何も起こりません。手がちょっとビリッとしたから電気はきている。多少のリークはあってもコードも生きてる。
セルは回ります。だからバッテリーが上がった訳ではありません。つまり発電と充電は問題ありません。プラグコードも生きてます。
という事は?
素人の限られた知識を脳内検索した結果、導き出された結論は………
『ステーターコイルかCDIがトンだ』
ガックシ。ここは項垂れるしかない。
どちらが原因か分からないけど、どっちも高額部品。
CDIの方が作業は簡単だけど俺はステーターコイルの方が怪しいと睨んでいる。
でも手間暇かける前にお手軽な方を確認しておきたい。
何しろ三十年落ちのバイクだ。どの部品も経年劣化でいつ逝ってもおかしくない。
ならばこの機会に両方行くのが正解なんだろうが何しろ高い。多分七〜八万コース。
潮時と諦めるのも手だが女子高校生’sとのキャンツーの約束を反故にするのは大人として申し訳ない。
昔のバイク仲間で今でもまだ乗ってる奴もいないから借りる当てもないし、そもそも人のバイクを借りるのが嫌いだ。だからと言って別のバイクを探すとなると時間も金もかかる。
俺は暫しの沈思黙考の末に結論を誰に聞かせる訳でもなく呟いた。
「しょうがねぇ、両方やっちまうか」
旧車乗りあるあるである。
多分、最初から直すのは決定事項でそれを正当化するための理由を探してるだけだ。
今回は『女子高校生’sとのキャンツーの約束』がそれにあたる。そんな約束が無くても最終兵器として『ここまでやったのにもったいない』というのがある。
エンジンがかからなくなったら『ああ、寿命か』と諦める人は多い。それが三十年も前のバイクなら尚更だ。それを機会に別のバイクに移るかバイクから離れるかするのが普通だと思う。
『せっかくだから最後まで』って多くの人には今がその最後なんだが。
傍から見たらただの銭失いの馬鹿である。しかし本人がそれに気づく事は無い。沼に浸かった脳はその辺が麻痺してる。
しかも『出先でなくて良かった〜。ちょっとツイてるかも』とか思ったりもする。
前触れもなく突然訪れたアンラッキーが何故かラッキーに変換されてしまってたりする。
救いようがないのである。(悲)
「部品取り寄せなきゃな」
そう独り言ちると俺は本田のオッチャンのとこに行くために変態車の鍵を取りに玄関へと向かった。
しかしこのタイミングで来るか。まさか
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