写真⑩

曽根の主人は健司を居間に招き入れ、話をした。知人が自動車製造の工場で人事を担当しており、数年ぶりに連絡してみたところちょうど人手不足と返事があったとのことだった。しかし、見合う資格もなければ経験もない、そんな自分が働けるのだろうかと健司は心配した。 紹介してもらうのに役に立たなければ曽根の顔を汚すことになる、と。それでも曽根は健司に「大丈夫だ」と言った。小学生の息子を1人で育てていることを話した上で時間調整も相談可と言っている、と説明した。ようやく健司は肩のこわばりを和らげ曽根に頭を下げた。

快速電車で15分、駅からバスに乗って25分、家を出てから数えても1時間ほどで通勤できる場所とわかった。職歴を書き、顔写真も撮った。ここ数週間どれほど胃の痛い思いだったか。これでようやく前に進める。そして何よりも、前職の月給と同等の額が稼げることを耳にして益々期待した。



健司は背筋を伸ばして事務所のドアをノックした。

「ああ、曽根の紹介の人?そこ座って」

野崎一正はタバコの匂いをまとった作業着の首回りを着心地悪そうに揺すった。

「今日はお時間とって頂きありがとうございます」

野崎は健司の姿をつま先まで一見すると眉間に皺を寄せた。

「あんた細いなあ」

そういうと職歴の封筒を求め手を出した。

「ふーん、営業か。うちは愛想より体力と精神力が大事でね。甘くみた奴はすぐ辞めていくんだよ」

「体格は良くありませんが、必死に努力します」

健司の誠実さから言った言葉だったが、野崎は怪訝な顔をする。

「まあ、まずは作業覚えてよ。いつから入れるの?」

「こちらは今週からでも入れます」

「よし。 じゃあ木曜から来てもらおうか」

健司は口を開いたまま一瞬言葉を詰まらせた。

「ありがとうございます!」

喜ぶ健司に相反して野崎は小さく鼻を鳴らし、睨んだ目付きで書類に目を通した。


その日健司は残り少ない預金を引き出し久しく拓人の好物を作った。学校から帰った拓人は台所に漂う匂いに気付いて健司を探した。

「お父さん、帰ったよ!」

拓人の明るい声が2階へ届き健司は階段を降りた。

「おかえり」

「今日の晩御飯、僕もう分かったよ」

口元に笑みを浮かべて答えを促す健司に拓人は自信たっぷりで言った。

「ビーフシチュー」

「正解」

「やったー!ランドセル置いてくる」

階段を駆け上がる拓人、いつもなら「危ないぞ」と注意するところだが、すでに姿のない階段上を見上げながら健司は“未来”に期待を抱いた。

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