第2話【屋上】

 屋上に登れる場所なんて、昨今はめっきり減った。漫画のワンシーンでは、よく屋上で友達どうしでお弁当を食べたりする描写があったりしたものだけれど、ぼくがこれまで行ったことのある場所では、屋上に出る扉が閉ざされているか、もしくは屋上に出るルート自体が封鎖されているかというのが普通だった。もちろん、鍵を持つ人に伴われてとか、建物の管理業者の点検でとかであれば、屋上に出たこと自体はある。そこで弁当を食べるなんてもってのほかではあった。

「じゃあなんで今ここにいるの?」

「それはまあ、細かいことだから気にしなくていいんだよ」

 二人連れの若い男の子の気だるげな質問に、ぼくは笑って答えた。答えになってないよ、と女の子の方がけらけらと軽く笑った。繁華街のビジネスホテルの屋上は、当然高い柵が張り巡らされた上で入り口に防犯カメラが付いている。この場合は、犯罪を防ぐのと同時に、別の事象を防ぐ理由もあるだろう。真昼の太陽の角度は低いが、眩しい。ぼくは高架水槽の長く伸びた影に入って、近くのコンビニで買ってきたおにぎりの包みを開いた。本格的に食事を始めようとしているぼくを見て、女の子はますます可笑しそうに笑い続けていた。

「変なの。こんなところでご飯食べてる」

「屋上でお昼ご飯食べるのは、寧ろよくあることじゃないかなぁ」

「違うって。うちら見ながらご飯食べたって、多分楽しくないよ」

 それはそうかも、とぼくは考えつつ、ぱりぱりに乾いた海苔とほどよく塩気のきいた白飯、具の焼きたらこを頬張った。コンビニのおにぎりは、どんな時でも消費期限内であれば同じように美味い。

「でもお昼時に来ちゃったし、下のコンビニでご飯買ってきちゃったし」

「えー、別のところで食べたらよくない?」

「……味噌汁にお湯入れてきちゃって、こぼしそうだったから……」

 一番正直な理由を言うと、女の子はいっとう高い笑い声をあげた。男の子は気だるげに空を見上げていて、まるで女の子の声が空に舞い上がって、消えていく先を眺めているみたいだった。女の子があんまり笑い続けるから、ぼくは少し恥ずかしくなった。

「だって、運んでる間にこぼしたら勿体なくない?」

「あは、それな。食べ物大事だよね」

 ぼくは味噌汁のカップの蓋を開けて啜った。ほどよく冷めている。ぼくの好きな、揚げなすの入った味噌汁だ。これまた、いつ買っても同じような美味さ。

 おにぎり二つとレトルト味噌汁、紙パックのお茶という簡単な昼食を終えるのは早かった。ぼくは食べ終わったごみをコンビニの袋にひとまとめにして、口を縛った。下のコンビニに確かごみ箱があったはずなので、下りたら捨てに行こう。軽くなったコンビニ袋と荷物を持って立ち上がった僕に、男の子は言った。

「ほんとにお昼ご飯食べにきただけだったの?」

 ぼくはどう答えようかしばらく迷った後、お茶を濁すように笑った。

「たまたまね。たまたま」

「……ふうん」

 男の子はまた気だるげに空を見上げた。ずっと寝ころんでいるけれど、背中は痛くないんだろうか。でも、そんなことをぼくが聞いても仕方ない。だって、通りすがっただけなのだし、この二人連れとぼくの関係は、駅の雑踏ですれ違う言葉をかけあうことのない他人同士とほぼ変わらないのだから。

「マジで行くんだね。じゃあねぇ」

 女の子はまだ笑いの余韻を残した声で言った。顔に貼りついたまま剥がれなくなってしまったような笑顔の中で、唇の端が引き攣っていた。赤いリップはムラになってしまっている。ぼくは手を振ってくれた女の子に手を振り返して、屋上をあとにした。

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