2.【洗濯】


 イスフィール家のウルク令嬢がお嬢様であるとは信じられなかった。


 豪勢な屋敷に通され、裏庭にやってくる。そこには大量の洗濯物があり、どれも血が沁み込んでいた。


 ……酷いなこりゃ、掃除のできない冒険者みたいだ。


「すまない、待たせたな」

「い、いえ……」


 返り血を洗ったウルクは、銀色の髪をしていた。キリッとした顔つきで、美女という言葉がよく似合う。


 大層な美人に少しだけ見惚れていると、首を傾げられる。


「まだ返り血でも付いているだろうか……?」

「綺麗ですよ。ただ、剣を持っているのが意外で……」


 貴族のお嬢様が冒険者をやっているなんて信じられない。


 イスフィール家は話によると侯爵家の貴族で、この王国、ドラッド王国の政治に関わっているらしい。

 そのご令嬢とあれば、大層なお偉いさんであることに間違いはないのだが……。


 護衛もなし、冒険者、信じろと言う方が無理だ。


「ウチの家系では、ある程度の年齢になったら独り立ちも兼ねて冒険者になる試練を与えられるんだ。例え私がお嬢様であろうと、自分の身は自分で守らなければならないからな」

「け、結構厳しい家なんですね」


 それに比べ、元の家に居たウェンティお嬢様はどうだ。

 我儘、出不精、何かあったら「パパ、パパ」と連呼する。


 同い年のウルクがどれだけ立派なのかよく分かる。


「それで、どうだ。大変だろうが頑張れそうか?」

「そうですね……15着だと、一時間で終わります」

「まぁそうだろう。それくらい……一時間⁉ 15日ではなくてか⁉」

「えぇ、そうですが……」


 なんか変なことでも言っただろうか。

 前の屋敷だと、ウェンティお嬢様……もうウェンティでいいか。

 魔物の討伐を何度か無理やり命令され、返り血を浴びてしまったことがある。


 あれは手洗いじゃ時間が掛かって仕方ない。庭の手入れ、書類整理や屋敷の掃除に到底手が回らない。


 一着洗っている間に仕事量はバンバン増えた。


 だから俺は魔法の勉強をした。

 

 睡眠時間を削って、初級魔法の本を読み漁った。頑張って作ったものが【洗濯(ウォッシュ)】という魔法だ。


 俺は、魔法を開発した。


「……本当か?」

「我が主の名にかけ、嘘は申し上げません」

「……分かった。じゃ、邪魔にならないように見てても良いか?」

 

 興味津々と言った様子で、ウルクが近くに腰かける。

 

(さて……15着だと3000ゴールドか。初めてお金がもらえる仕事だ。眠いとか言ってられないぞ、俺!)


 腕を捲り桶の中に血染めの服をまとめていく。

 

 水を流し込み、両手を添えた。


「【洗濯(ウォッシュ)】」


 水が淡い虹色を帯びて、まるい泡が浮き始めた。

 魔法を掛けただけで綺麗に出来るほど便利ではない。


 ただ汚れが落ちやすくなる液体を作ることができたんだ。

 あとは軽く洗えば、綺麗に汚れが落ちる。

 

 ゴシゴシと集中していたため、周りに人が集まっていることに気が付かなかった。


「ここに居られましたか、ウルクお嬢様。お昼の時間ですぞ」

「もう少しだけ見ていたいんだ」

「ほう、新しい洗濯の人ですか……あれ、目のクマがものすごく……いつ倒れてもおかしくなさそうな方ですな……」


 メイドたちも何事かと集まり始めた。

 執事長がアルトの洗濯を眺めていると、とある違和感に気付く。


「ウルクお嬢様……っ!! これは一体?」

「凄い……あの泡は綺麗だな……心が救われるようだ。アルトの魔法は美しいな……」

「み、見てください執事長! 一日洗っても落ちない魔物の血が、簡単に落ちています!!」

「もっと近くで見るぞ!!」


 しばらく、俺は集中していた。

 しつこい汚れを落とすため、魔法を使い液体を製錬していく。


「ふぅ……これで全部終わりかな」


 一息つくと、周りにたくさんの人が集まっていた。

 どうやら、使用人たちが洗濯に興味を惹かれていたようだ。


「凄いっ……汚れが一つもありません! しかも真っ白って……新品同然ですよ!」

「ふむ……私も四十年は洗濯をしてきているが、ここまで綺麗になるというのか……」


 シワの深い執事とメイドたちが、洗った服を見てあれやこれやと言っていた。


「えっと……あの……」

「君! 何をやったんだ⁉ ぜひ教えてくれないか⁉」

「何をやったって、魔法で【洗濯】しただけですが……」

「ま、魔法……?」


 そんな魔法は聞いたことがない、と言ってさらに問い詰めて来る。

 

「す、スライムがいるじゃないですか? あれって吸収した物を消化しますよね。その発想で、水に消化を付与してその濃度を薄める。汚れだけを取るように粘りっ気のある液体を作り出したんです」

「そ、そんなことが出来るのか⁉」

「魔法は発想力とイメージで色々と出来ると書いてあったので……」


 「そうか、そんなことが……思いつきもしなかった……」と言って執事が悩み始める。

 その光景をウルクは眺め、俺に歩み寄る。


「凄いな君。思っていたよりも圧倒的に凄い……すまない。正直君を疑っていた」

「いえいえ、構いませんよ」


 そういえば、この魔法を披露したのは初めてだったな。

 周りがこうも驚くとは……思ったよりも凄い魔法を作っていたのだろうか。


「ウルクお嬢様、ぜひこの方に洗濯の追加を依頼しては如何でしょうか。我々では血の染み付いた服をここまで綺麗には落とせません。出来るのはこの方のみでしょう」

「……そうだが、アルトに迷惑を掛けることになってしまう……。アルト、これからも洗濯の仕事があったら来て欲しいって言ったらダメだろうか?」

「ご命令とあらば」


 癖でついつい頭を下げてしまう。

 ハッとした頃には、周りの人達が呆然としていた。


 ご命令って……これじゃあ、奴隷みたいじゃんか。


「アルト、君がどんな環境に居たかは知らない。でも、これは命令じゃない……お願いだ」

「お願い、ですか?」

「私は目の前で、凄い魔法に魅せられた。美しく、儚い魔法だと思った。その手腕と魔法を教えてくれた。普通は開発した魔法は教えない物なんだぞ?」

「そ、そう言う物なのでしょうか」

「あぁ。つまり、君がなによりも謙虚である証だ。どうだろう、報酬も倍にするから……と言ってもダメか?」


 ────お願い。

 その響きが、どこか懐かしく感じた。

 思い出される記憶は『アルト、掃除をしなさい』『アルト、魔物を狩ってきなさい』『アルト、命令を守りなさい』。


 しなさい。しろ。やれ。


 ……命令ばかりだった。


 俺の意思は通じなかった。

 でも、お願いは違う。俺の意思で決めることができる。


「お願いなら……やります」

「ありがとう。アルト」


 久しぶりに聞いたお礼に、少しだけ頬が緩んだ。


 

 

 

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