第11話 イチゴ事件2-2

「はい、ほっぺ見せて?」


 ここは控室。二人は向かい合って座ってにらめっこだ。


「……いいよ、痛いから」

「キズがのこったらどうするの?」

「これっくらい治る。いままでも治ってる」

「水で砂を落とすだけだから」

「それが痛い」

「子供みたいなこと言わないの。このテープ貼ったら綺麗に治るんだから」

「……治らなくてもいい」

 

頑なな苺に、圭樹は「はぁ」とため息をついた。


「その傷が残ったら、僕は一生後悔することになる。あの時苺をお茶会に誘わなかったら、いや、誘っても手伝いなんてさせなかったらって。あぁ、充希さんもそう思っちゃうね。そして、その傷を見たくなくて、もう苺をお茶会には誘わないだろうなぁ。だって見るたびに心が痛いから。残ったお菓子も『苺に食べさせたかったな』と思いながら捨てるんだ」

「……治るし」

「綺麗に? そう言って小学校のとき膝小僧が化膿したの、覚えてないの?」

「……」


 圭樹の言葉に、苺は自分の膝に視線を落とした。

 着物だから見えないけれど、その傷は未だに右膝に残ってる。


「……お願いします」


 その返事に、圭樹はニコリと笑った。




 二人がこの部屋に入ったのは、ずっと付けてきたから知っている。


「──んっ」

「逃げないで、苺」

「だ、だって」

「大丈夫、優しくするから」

「……ほんと?」

「うん、こっち向いて……」

「ん……」


 かすかな衣連れの音に、ドキッとしてしまう。


「……あっ」

「力抜いて、苺」

「む、むりっ」

「それじゃ痛いよ?」

「ぅっ……、圭っ」

「ほら、逃げない。手を縛っちゃおうか?」

「いっ、いやっ」

「大丈夫、痛いのは最初だけだから……」

「うそっ、やっ──」

「声、我慢して。入っちゃうよ……?」

「っ──」

「──やめてっ!」


 バンっとドアを開けたのは、石井で鼻息も荒く二人を見た。


「こんなところで何やって……?」


 いきなりの登場に二人共目をぱちくりさせた。

「うん、苺の消毒をね?」と言いながら、ポンポンと濡れたガーゼを傷口に当てれば、「いたーいっ!」と苺が飛び跳ねる。


「ほら、動いたら余計痛いし、消毒液も口に入るよ? だから逃げられないように手を縛ろうかって言ったのに」

「最初だけって嘘っ! 今痛い! まだ痛い! めっちゃ痛いっ!」

「うんうん、生きてる証拠だね。今度はその消毒液も流してパワーパック貼ろうね」

「嫌だぁぁ!」

「……しょう、どく?」


 こんな惨劇に石井の目は点になる。


「うん、鼻緒が切れて転んでね」

「──っ」


 その言葉に石井が足を引くと、圭樹も視線を彼女に向けた。


「……その草履、さっきと違うね」

「そ、そんなことっ」

「そういえば苺、どこで草履を履き違えたの?」

「え? 痛っ、んと……」と痛みに顔を歪めながら苺は話し始めた。

「多分トイレ。ここ、履き替えるじゃん? その時、出たら違うのしか無かった。でも他に無いし、相手の人も気がついたら、探してくれるかなーって! 痛っ!」

「はい、お終い」


 ぴとっと貼れば、苺は涙目でその部分をそっとさすった。


「ねぇ、石井さん」

「あ、あたしっ、用事がっ」


 圭樹の呼ぶ声に後ずさりすると、誰かにぶつかり石井はビクッと体を震わせた。


「あら、失礼。こちらに苺ちゃんが居ませんか?」


 振り向けばそこには杏が居て、またも石井は身体をビクつかせた。


「いっ、五十鈴川さんならっ」

「あー、杏!」


 その声に杏は石井を通り越して、「ここでしたか」とにこりと笑った。


「警察の方がお探しですわ」


 見れば、安心の後ろには制服を着た究竟な警察官が居て、石井は「はっ」と顔を歪ませて笑った。


「今度は何をしでかしたの? 見た目は立派でも中身はやっぱり──」

「そのお口、閉じたほうがよろしくてよ?」


 引きつった顔に扇子を当てられ、石井は言葉を飲んだ。


「おばあさん、彼女で間違いないですか?」


 警察官の声に、今度は年を召した女性が苺の視界に入って来た。

「あ」と声を出したのはどちらが早かったのか。


「ええ! この子で間違いないです! さっきは本当にありがとうね?」


 歩み寄ってお礼を口にするおばあさんに、苺は「大したことないって」と笑顔で答えた。


「いやいや、これが大したことあるんですよ。あなたが捕まえた犯人はこの辺りで常習的にひったくりをやっていてね。本当にありがとう。署長が表彰したいから、探してくれと言われてね」

「表彰? やー、そんないいって」

「おや、その傷は犯人逮捕のときの!?」


 視線は頬の傷に。


「やっ、これは違くて!」

「あぁ、おばあさんの言うとおり鼻緒も切れてしまってるね」


 さらには、さっき切れたばかりの草履へ。


「そうなのよ、だから新しいのに草履もプレゼントさせてもらえたらってね」

「やっ! 本当いいんで!」


 勘違いも混ざってしまって、それを否定しながら遠慮を繰り返す苺に、杏は「うふふ」と笑う。


「苺ちゃんったらまるで正義のヒーローですわね? 正義のヒーローに謙遜はテッパンですわ」

「だから違くて!」


 想像していたものと違い、和やかな雰囲気に目が点の彼女にゾクッとするほど低い声で「石井さん」と圭樹に耳元で囁かれた。


「その草履、君の着物には似合わないよ」


 穏やかな顔は笑ってるのに、目の奥は笑ってなくて、石井は固まった。


「今回は見逃してあげるけど、次は無いよ?」


 その言葉に石井は「ひっ」と息を飲んで、それから「ご、ごめんなさいっ」と震える声で言うとパタパタともつれる足で去っていった。


「あらあら、お優しいのね?」


 杏の言葉に「そうかな?」と圭樹も表情を緩める。


「というか、バレたとして苺は女の子に手はあげられないから何もしないと思うけどね」

「ふふ、暴力ばかりがお仕置きではありませんわ。彼女には貴方の言葉のほうが刺さったでしょうね」

「それならそれで。寧ろそうだといいね」


 これがこの男の本性だろう、それが分かるから杏も「ですわね」と同意した。


「圭樹っ、杏っ、逃げよう!」


 二人の間をすり抜け力て走り出す苺に、二人は唖然。


「あ、待ってください! せめてお名前と住所を! 署長になんて報告すればっ」


 慌てて追いかけようとすれば、おばあさんも一緒になって走ろうとする。


「あ゛……」


 すると、おばあさんの動きはいきなりのスローになって、その手はゆっくりと自分のことは腰に当てられた。「ど、どうしました!?」と警官が声をかければ、ゆっくりと声の方に顔を上げる。


「こ、腰が……、持病のぎっくり腰が……」

「え? えぇ!?」


 驚く警官に、圭樹と杏は顔を見合わせる。


「行こうか?」

「そうですわね」


 おばあさんは気の毒だが、警官がそばにいるのだ。パトカーで運ぶもよし、救急車を呼ぶもよし。自分たちより遥かに役に立つだろう。


「それでは失礼します。彼女の怪我は自分で転んだだけですからお気にならさらずに。おばあさん、お大事に」

「ふふ、おまわりさん、おばあ様をよろしくお願いいたしますわね?」


 丁寧にそう挨拶すると、二人は苺を追いかけた。




「うーん、美味しいー!」

「ふふ、本当に幸せそうに食べますわね、苺ちゃんは」


 逃げ込んだのは、杏の乗ってきた車の中。


「圭樹、お茶」

「抹茶は無理だけどね」と言いながら、ポットから暖かいお茶をコップに注ぐ。

「良かったですわ、お茶もご用意しておいて」

「うんうん、味が混ざったらお菓子が可愛そうだもんね」

「ですわね」


 少しズレた会話だが、圭樹も笑顔のまま相槌を打つ。


「この羊羹、めっちゃ綺麗!」


 苺がそう褒めたのは二層に別れた羊羹だ。


「うふ、でしょう? 透明感を持たせて、尚かつ甘味は軽く、見た目も涼やかに仕上げた新作ですの。名は──」

「まるで星の雫が散りばめてるみたい!」

「……星の雫」

「だってほら、こうして光に透かしたらキキラしてる!」


 そう言って苺は光に羊羹をかざした。中に入ってる小さな金粉がキラキラと輝いた。それを一緒に眺めながら、杏はもう一度「星の雫……」と呟いた。


「それ、いいですわね。「銀河」と名付けたのですが……、『星の雫』、いいですわ! すぐにお父様に相談してみましょう!」

「どっちでもいいけど、これは売れるね! 軽いからいくらでも食べれそう!」

「あらあら、まだこちらの新作も口にしてませんのに」

「食べるー!」


 そんな苺に、圭樹は「苺は今日も元気だねぇ」と呑気に呟いた。こうして、『お茶会事件簿』は綺麗に解決、したかのように思われたのです。

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