第9話 イチゴ事件1-2

 今日のお茶会は一般の人も、チケット購入でお手軽にお茶体験が出来るというもの。だからお客様は多いし、回転も早いから裏方さんたちはバタバタになるのが当たり前。


「それじゃ、苺ちゃんはお菓子を出してね? 圭樹はお手前よろしくね?」


 充希にそう言われ、「はーい」の苺が応えれば、圭樹も「はい」とにこやかに答える。勿論他のお弟子さんたちにも、指示をして充希は、ぽんと手を叩いた。


「今日は一般の方が多いから、お茶を楽しんで貰えればって思ってるの。それじゃ一日よろしくお願いします」


 庭を見れば、お道具屋さんが袴姿で荷物を運び入れてる。お道具屋さんとは、茶道の道具を販売する人なのだが、こんなときは彼等が、茶器を洗ったりなど,扱ってくれる。なかには高価なものもあるから、お弟子さんたちにとってたのもしい存在だ。

 野点をするにはいい天気。その陽気に誘われてか、午前から一般のお客様がたくさん足を運んでくれた。


「どうぞ、お茶菓子です」


 笑顔で苺がお茶菓子を配れば、お客もほんわか笑顔になる。


「まぁ、可愛らしい」

「このお菓子はどういったものなの?」


 そんな質問に答えるのは、充希だ。


「ありがとうございます。本当に愛らしくて、彼女とお茶をするのが私の楽しみなんです。あぁ、お菓子の説明でしたわね。このお菓子は菓子処・一ノ瀬さんの新作ですの。羊羹ですのにこの透き通った美しさがなんとも言えませんでしょう?」


 そんな会話をしている間に、亭主である圭樹がお茶を立てる。

 亭主・圭樹の前に座るのが正客、その隣が次客とされ、小難しい作法を必要とされるのだか、今日は一般客がほとんどなので充希も何も言わない。

「いや、作法はさっぱり」と正客を拒む客にも充希はニッコリと笑顔で出迎えた。

「あら、お茶の作法はお茶を楽しむことですわ。そんなことは気にせず、お茶とお菓子をご堪能くださいませ」と圭樹の立てたお茶を勧めた。


 ちなみに、一度の席で10人ほど相手をするものだから、すべて圭樹が立てる、というわけにはいかない。

 だから裏の水屋では、残りのお客のお茶を裏方のお弟子さん達が立てる。それをまた裏方がお客に運ぶのだ。

 飲んだらお茶碗を下げ、洗う。茶器は洗剤やスポンジでは洗わない。だから、以前彼女に圭樹が言ったように、べっとりと付くような口紅は避けるべき、というのは当たり前のことなのだ。




「うー、足が……」

「ですよね、こんなに立ってることなんてありませんものね」


 そんなお弟子さん達の声を聞きながら、「お腹すいた」と心で呟いたのは、勿論苺だ。


「桂社中の水屋お見舞い、いただきました」


 苺の心の声を聞いたのか、お弟子さんの声に苺の耳がピクンと反応する。

 ちなみに「社中」というのは同じ同門の意味で、「先生」の代わりにこの言葉を名前のあとにつけて呼ぶ。


「なに?」

「わっ、山本道子のマーブルクッキーだわ」


 そんな声に苺の耳はまたもピクピク反応した。


「お腹すくだろうから、合間に食べてって。苺ちゃんもおいで」


 まるで子犬よろしく呼ばれて、苺もそのクッキーに手を伸ばす。


「うーん、美味しい!」

「サクサクだね」


 みんなの意見に賛成するように、うんうんと頷きながら苺はクッキーを幸せそうに食べていると「あ」と声が聞こえて、誰もがその人を見た。


「圭樹さん、お疲れ様です。あ、これ、桂社中からの水屋お見舞いでって、もしかして休憩ですか?」


 その声に「そう」と頷いて苺を見るのだから、誰ともなく察してしまう。


「それなら苺ちゃんも一緒に休憩にどうぞ」


 元々弟子でもない苺は、完全に手伝いなので、周りのみんなも優しい。しかも、充希の声がけで手伝って貰っているし、苺の人懐こい性格も手伝って、苺は圭樹と休憩することが出来た。


「お腹すいた」

「クッキー食べたのに?」

「うん」

「そっか。で、何が食べたい?」

「……美味しい茶碗蒸し」

「なかなか難しいオーダーだね。交代で休憩だからあんまり時間取れないしねぇ」

「なら、天むす」

「……?」


 なかなかぶっ飛んだオーダーだ。


「移動販売車の声が、聞こえた。きっと少し先にある公園で販売してる。真実はいつも一つだ、圭樹」

「……苺はコナンだったか」


 呆れながらも、二人は公園まで歩くことにした。




「ね、モデルかな?」


 歩けば聞こえる声に、苺はキョロキョロと辺りを見回す。


「どうかした?」

「んー、さっきすれ違った人、モデルが居るって。どこだろ?」

 それはあなたです。と言ったところで、彼女が信じないのは知ってる。いや、もしかしたら圭樹のことを言ってるのかもしれないが、それはそれで面倒なので。


「……見間違いでしょ?」


 そう誤魔化せば、「なんだ、残念」とすぐに諦めた。

 それにしても、と隣を歩く苺を見る。元々運動好きが高じて、無駄な脂肪もなければ姿勢も良い。顔立ちも、桐谷は「アイアイ」と評したが、クリッとした目も長いまつげも小さな口も少しばかり低い鼻も、「可愛い」に十分当てはまるだろう。普段の行いから粗野に見られているが、実はそうでもない。でなければ、暇だからという理由だけでお茶室に足は運ばない。


「苺、変な人についていっちゃダメだよ?」


 これは最早親心なのか、思わず口をついた言葉に苺も「ん?」と首を傾げる。


「行なかいし」

「赤福餅あるからって言われても?」

「……悪いやつなら奪って逃げる」

「それ、苺の方が犯罪者だよ」

「今、付いていくなって言ったじゃん」

「苺には犯罪者にも被害者にも、なってほしく無いんだけどなぁ」

「頑張って逃げる。足には自信あるんだ」


 確かに足が早いのは知ってるし、論点がずれてるのも分かってるけど。

「うん、頑張って」と、圭樹は答えることにした。




「うー、美味い!」


 公演のベンチに座ってそう叫ぶ苺に、「良かったね」と言いながら自販機で買ってきた水を渡す。

 コナン苺の推理どおり、天むすの移動販売車は公園で営業していたのだ。


「苺、それじゃ足りないんじゃない?」


 苺の胃袋を一番把握してる圭樹がそう心配するのだけど、苺は「大丈夫」と笑う。


「まだ杏のとこのお菓子食べてない。新作だけで5種類って言ってたもんね。それに水無月もまだ食べてないし、きっとまだ水屋お見舞い来るはずだから!」


 そんな推理に、圭樹も「なるほど」と納得して、苺がオススメのえび天を口にした。


「うん、美味し」

「きゃあ! だっ、誰かっ!」


 その声にいち早く行動したのは苺だった。


「苺!?」


 圭樹が振り返ったときには、もう苺はベンチのすぐ後ろのフェンスを飛び越えていた。

 声が聞こえてきたのは確かにベンチ後ろの、道路から。少し先を見れば歩行者通路に伏せるようにして、手を伸ばしたお婆さん。そのお婆さんが、恐らく叫んだのだろう。そして苺が飛び降りようとした先に、女性者のバッグを握りしめた若い男が走っていた。


「お前かぁ!」


 男はギョッとして上を見上げた。この公園は少しだけ坂の上にあり、フェンスを越えると車道より少しばかり高い位置にある。そこのフェンスから着物を着た女が落ちてくるのだから、驚いて当然だ。

 そして、驚いた次の瞬間。

 バキッ!


「ぐえっ!」


 男に苺のドロップキックが炸裂した。着物でありながら、着地も完璧に決めて、苺はご満悦。


「……お気の毒」


 その景色を上から眺めながら、圭樹はそう呟いた。


「はい、お婆さん」


 ぽんとバッグのホコリをはたいて、そのカバンをお婆さんに差し出す。


「え? あぁ、ありがとう……」


 助けられたお婆さんも放心ぎみで、差し出す苺の手をとって立ち上がった。


「怪我してない? えーと、絆創膏は……、あ、あたしカバンも持ってないや」

「そうだね、草履も履いてないよ?」


 そう言いながら、圭樹が草履を持ってきたのだが、その草履をみてため息をつく。


「だって切れた」


 苺の言うとおり、鼻緒が切れてしまっているのだ。


「仕方ないね。会場に戻れば予備があるかな? あ、それよりそろそろ戻ろうか」

「そだね。えーと、お婆さん大丈夫?」


 苺の質問に「あ」と反応したのは圭樹で、彼はお婆さんの擦りむいた手のひらに、そっと自分のハンカチを巻き付けた。


「帰ったら消毒してください」


 そう笑顔で言われ、お婆さんがコクコクと頷けば、苺も満面の笑みだ。


「あ、そうそう。あの男はあそこで伸びてるんで、警察呼んで貰えますか? 僕たちちょっと急ぎの用があるので」


 圭樹にニッコリそう微笑まれれば、「えぇ……」としか返せないだろう。それを了解と受け取ったのか、圭樹は「はい、苺、おんぶ」と彼女の前に屈む。すると苺も「ほーいー」と、躇うことなくその背中に飛び乗った。

 そして二人が去っていく姿を呆然と眺めて、「あら、警察だったかしら?」と、お婆さんもようやく自分のすべきことに気が付いた。


「あのね、圭樹」

「ん?」

「やっぱさ、着物だと反応遅くなるよね」

「十分早かったよ」

「でもさ、着物だと技が限られるじゃん?」

「というかね、苺、ちゃんと相手を確かめた?」


 フェンスと飛び越えそのまま、ドロップキック。絶対に確認なんてしていない。間違えて通りすがりの人にドロップキックなんて、ただの無差別傷害事件だ。


「だって、怪しかった」

「……」

「結果、間違ってないから問題ない」

「……まぁね」

「うーん、でもやっぱり普段着がいいよね。踵落としとか選択肢増えるじゃん?」

「……着物も似合ってるけどね」

「だよねー」


 こんな会話をしながら、二人はまた会場に戻っていった。

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