第5話 甘酸っぱい悩み

 帰り道は、いつも一緒なのは家が近いから。そして、もうそれが習慣になってるからだ。


「……圭樹」

「ん?」

「お茶飲みたい」


 こんなときは、苺が落ち込んだり悩みがあったりで、話がしたいとき。だから圭樹は、「いいよ」と答えた。

 圭樹の家はお茶のお家元。当然のようにお茶室はあるし、そこの小さな窓からは簡素ながらも、砂利を敷き詰めた庭も見えた。

 畳の縁を踏んではいけない、それを理解しているのか、苺はそれを踏むことなく茶室に入り、圭樹の前に座った。


「菓子をどうぞ。お湯がまだ沸かないから、ゆっくりお食べ」


 茶器の中には、まるでキャンディのように和紙に包まれた干菓子が入っていた。


「二人静、苺、好きだよね?」


 それは『二人静』という、和三盆で作られた干菓子だ。和紙をほどくと、白とピンクの半円形のものが合わさって一つの球状をなしている。口に入れると、やさしい甘さが口の中に広がり、すーっと溶けていく、そんな上品な味わいのある和菓子だ。

 苺はその白い方を手でつまみ、口に入れた。口のなかで溶けていく甘さに、ほうっと息を吐きたくなる。


「今日はお稽古でもなんでもないんだから、好きなだけ食べていいよ」


 圭樹がそう言うと、苺は「うん」と答えて、もう半分のピンク方も口に入れた。それでも笑顔にならない苺に、圭樹はもう一つ勧めて、釜のお湯を確認した。お湯は茶碗に移し、また他の茶碗に注いで温度を下げる。

 抹茶茶碗に茶杓で抹茶を入れ、それからお湯を少量注ぎ、茶筅で溶くように混ぜる。さらにお湯を注ぎ、最初は前後に小刻みに、次は表面を整えるように混ぜる。そっと茶筅でのの字を書いて、お茶を点てた。


「どうぞ、苺」

「……ちょうだいいたします」


 出された茶碗を両手で受け取り、左の手の上で茶碗を回す。これは茶碗の正面が苺の前を向いているからだ。

 茶人は茶器を大事にする。その想いを汲んで、客人も茶碗の表を汚さないように飲むのだ。


「うっ……、毒がっ!」


 そう言いながら倒れ込む苺に、圭樹は慌てる素振りもなく、ニコニコ笑ってる。なぜなら、茶碗をちゃんと両手で畳に置いてるなんておかしいし、何より彼は毒なんて当然のごとく盛ってないのだから。

 圭樹に無視されても、苺は横になって小さな扉から見える庭を眺めた。


「……ねぇ、圭樹」

「ん?」

「この庭ってさ、絶対寝転んで眺めたほうが綺麗だよね」

「そう? 僕はした事無いから分からないな」

「……圭樹も寝転べばいいのに」


 そんな提案に、圭樹はクスクス笑いながら「僕はいいよ」と断った。それから自分用に彼はお茶を点てるから、苺もその音を聞きながら庭を眺めていた。


「……ねぇ、圭樹」

「ん?」

「あのね……」

「なに?」

「……分かんないことがあってね?」

「うん」

「……もう一個、食べていい?」

「いいよ。でも寝転んで食べるのはお行儀悪くない?」

「……痛くて起き上がれない」

「なら、いいよ」


 そう言うと、苺はもう一つ二人静を手にして、今度は2つ一度に口へ放り込んだ。それを見て、圭樹も二人静を口にして、それから自分が点てたお茶を口にした。基本2,3度で飲みきるのが普通だ。最後もずずっと音を立てるのではなく、スッと音を立てる。その音を聞いて、苺は口を開いた。


「あのね、圭樹」

「うん」

「あたしが助っ人で試合に出たら、出られない人が居るんだって」

「……そうだね」


 少し考えれば、分かりそうなことだけど、苺の言いたいことが分かって、圭樹は目を伏せた。


「今日ね、放課後言われたんだ。あたしのせいで試合に出れないって」

「うん」

「ずっと練習してきたのに、いきなり助っ人とか卑怯だって」

「……そう」

「だから、もうバスケなんて辞める。全部あたしのせいだって言われたくないし」

「……苺」

「……」

「苺」

「ん……」


 圭樹の方からは、苺の顔はみえない。寝転んで体を丸めて、背中を向ける彼女は、まるで猫のようだ。その彼女に近付いて、圭樹はそっと苺の頭を撫でた。


「……圭樹」

「ん?」

「あたし、断るべきだった?」

「……」


 この話を持ってきたのは、女子バスケ部の部長だった。授業中、バスケをしていた苺を見てスカウトに来たのだ。

 苺の運動神経はバツグンだ。大抵のスポーツは、記録が残せるほどこなしてしまう。だからこんなスカウトは初めてではない。

 だけど、今までは柔道に空手、テニスに卓球、体操に新体操と、個人競技ばかりだったことを思い出し、圭樹は納得した。


「その答えは、僕にも分からないかな……」


 そう答えると、小さく息を吐く音が聞こえる。


「……圭樹が分かんないなら、あたしには絶対分かりっこないよ」


 拗ねるような声に、圭樹はわずかに笑みを浮かべた。


「でもね、苺」

「……ん」

「一つだけはっきりと分かることがあるよ』

「……なに?」

「苺が凄いってこと」

「……」

「毎日練習してる部員より、苺の方が上手いからスカウトされたんだよ」

「……」

「そこは自信持っていいよ」

「……そんなの、知ってるし」


 負け惜しみのような言葉に、圭樹は「そっか」と言ってクスリと笑う。


「それにね、女バスの部長はこうなることをわかってて、苺に助っ人頼んだんだと思うよ?」

「……なんで?」


 そう言いながら、ごろりとやっとこっちを見た苺に、圭樹はニコリと笑った。


「きっと、苺をカンフル剤として使いたかったんじゃないかな?」


 勿論、即戦力としてって意味もあると思つけど、と付け加える圭樹に、苺は口をへの字に結んだ。


「……分かんない」

「うん、結論から言うと、苺の選択は間違ってないってこと」

「……そう?」


 まだ訝しむ苺に、圭樹は首を縦に振った。


「まだ食べる?」

「……食べる」


 今度はちゃんと体を起こして、お行儀よく二人静を口に放る。やっと伝わる甘さに、苺の頬がほんの少し緩んだ。


「毒は消えた?」

「うん、多分」

「それは良かった。残り、持って帰る?」

「うん。……ねぇ、圭樹」

「ん?」

「宿題写させ──」

「ダメ。ちゃんと自分でやるようにね」


 とても当たり前の事なのだけど、苺には納得のいかない言葉だから、じとっと圭樹を見あげた。


「圭樹のケチ」

「苺、手に持ってるそれ、返してもらっていい?」

「やっぱ、太っ腹だね」

「……それ微妙なんだけど。でも分からないところは教えるから」


 圭樹はクスクスと笑いながら、空になった茶器の蓋をそっと閉めた。

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