第3話 大人なケーキ

「圭樹、お待た──」


 せ、が言えなかったのは、圭樹が誰かと話していたから。


「ダメ、かなぁ?」


 可愛く身をよじりながらのセリフなのに、圭樹の目は彼女を素通りして、苺にニコリと笑いかけた。


「苺、彼女にね、僕のとこでお茶を習いたいって相談されてね」


 その態度に少しだけムッとしながらも、彼女は続けた。


「ほら、いま日本文化って見直されてるし、同級生がお茶の教室やってるなんて、何かの縁じゃない?」


 そう続ける同級生に苺は「いんじゃない?」と軽く答えた。


「あれの何が楽しいのか分かんないけど。正座しなきゃダメだし、作法とか覚えるのメンドいし、お茶はマズイし」


 そんな苺の感想に圭樹はクスクス笑いながら、「苺は嫌いだもんね」と話す。


「そりゃ五十鈴川さんにはお茶の良さなんて、ねえ?」


 彼女が同意を求めたのは圭樹に対して。けれど圭樹は冷ややかな目で彼女を見下ろした。


「苺は結構辛抱強いほうだと思うけど?」


「え?」と聴き返す彼女に、圭樹は続けた。


「その苺が『嫌だ』って言うんだよ? お茶ってね、多分君が思ってるより厳しいと思うけど? 純粋にやりたいなら反対はしないけど、とりあえずそのキツイ香水とべっとり付けたリップはやめた方がいい」

「──っ」


 口元を抑え目を見開く彼女に、圭樹はニコリと笑う。


「それじゃ、やるなら頑張って。ホームページに連絡先はあるはずだから」


 そう言うと、圭樹は彼女を通り越し苺に「帰ろうか」と声をかけ彼女の背中をポンと押した。


「いいの? 話の途中だったよね?」

「ん? 終わったよ?」

「そうなん?」

「そうなの」


 ちらりと彼女を振り返るが、彼女は足早に立ち去るから苺も納得してあるき始める。


「あ」


 そして、何かを思い出して苺は声を上げた。


「なに?」

「お茶は面倒だけど、茶菓子は美味しいって教えてあげるの忘れた」

「あぁ、そう言えば今日の茶菓子は源氏吉兆のきんつばって言ってたね」


 その単語に苺の耳がピクンと動く。


「吉兆? きんつば?」

「うん」

「余ってない? 余分ある!?」

「どうかなぁ。うちに来る? 無くても昨日お弟子さんが持ってきた阿闍梨餅があるよ?」

「行くー!」


 元気よく右手を上げる苺に、圭樹もニコリと、笑う。


「って、あれ? なんか他のこと話してなかったっけ?」


 どうにも会話の着地点にしっくりと来ず、立ち止まる苺。


「話してないし、早く帰らないと暗くなるよ」


 けれど、圭樹にそう言われて「だね」と、引っかかった何かは、そのまま忘れることにした。





 きんつばをパクリと口に入れれば、彼女の顔は一気に緩む。


「うー、美味しい!」


 これ以上ないほどの笑顔に、圭樹もニコニコしながらそれを眺める。


「本当に苺は甘いものが好きだよね」

「きんつばは神です」


 きりっとした顔も一瞬、圭樹の手からきんつばを与えられれば、パクリと口を開けてニンマリ笑う。


「うふっ、苺ちゃんってば本当に美味しそう♪」


 そう言いながらお茶をコトリと置いたのは、圭樹の母親、支倉充希だ。さらには圭樹の師匠でもあり、裏千家の流れを汲んだ伊織流のお家元でもあるが、今は見る限り普通の主婦にしか見えないだろう。


「そうだ、苺ちゃん、空也の最中食べたい?」

 

 そんな質問に、苺の頭の中は最中一色に染まった。


「……空也」

「そ、予約しようと思うんだけど、苺ちゃんのどうしよ」

「いるっ! 絶対いる!」


 真剣なまなざしでそう答える苺に、充希はにこりと笑い、そのそばで圭樹もニコニコ笑っていた。

 因みに空也とは予約の電話すらなかなか通じない、和菓子の老舗だ。その最中は良心的な値段でありながら、味は上品、出来立てもよし、時間が経って最中がしんなりしても美味いと、非の打ち所のない最中だ。


「なら、苺ちゃんのも用意しとくわね?」

「うんっ!」

「ちゃんと来てね?」

「うんっ!」

「待ってるから」

「う、ん?」


 最後は疑問系だったのだけど、充希はにーっこりと笑った。


「良かったわ、苺ちゃん来てくれて♪ ほら、あの子は来ないの? って毎回言われちゃうし、苺ちゃんいないと圭樹が動けないしてね?」

「まっ、待った!」

「あ、お振り袖は私が着せるから安心して? メイクも美容師さん呼ぶから!」

「違っ」

「あん、お金なんて気にしないで、私が頼んでるんだもの! むしろバイト代出しちゃう! あー、良かったわぁ。そうそう、これね生徒さんがお土産ってくれた阿闍梨餅。桜さんと一緒に食べて?」


 そう言って箱を苺に渡すと、「ほんとに良かったわ」と繰り返しながらリビングから出ていった。因みに、桜さんとは苺の母親である。


「……騙したな?」

「ちゃんときんつばあったでしょう? ほら、阿闍梨餅だって」

「騙したっ! お茶会なんて聞いてないし!」

「苺の食い意地がはってるからだよ」

「空也の最中で吊られないやつなんて、人間じゃないっ!」


 真剣にそう言い切る苺に、圭樹はニコリと笑ってお茶を勧める。


「なら仕方ないよね? どうやっても吊られちゃうなら、最中食べれる方がよくない?」

「……」

「しかも阿闍梨餅付き」

「……そっか」

「そうそう、他にもたちばなのかりんとうとか、京都からも取り寄せするらしいよ?」

「なんと!」


 途端に幸せそうな顔になる苺を見ながら、圭樹は自分のお茶をすすった。

 支倉圭樹、彼は茶道の御家元の後継ぎにして、すでに師範の資格すら持っている男子高校生である。


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